第二章⑤

 椿は大元から借りたライターで、黒く染まった人形ひとがたを焼こうと炎を紙に近づけた。

〈……テ……ケテ……〉

 “黒い塊”が何かを発している。頭の中に声が響く。隣に立つ由衣には何も聞こえていないようだった。

「……何を言いたい……答えろ」

 椿がそう聞くと“黒い塊”は〈タスケテ〉と伝えてきた。塊を視る。黒いもやの中に一人の男の子が体育座りしているのが視えた。

「お前……名前は?誰に連れ去られた?どんなやつだ?少年?青年?大人か?」

〈……オ……ナ……オト……ナ……ナオ……オト……ナ……オ……〉

 言葉を発し続け、それは巨大化していく。

「つ、椿さんっ!」

 由衣が視線を上げ、叫ぶ。

 膝丈ほどしかなかった“黒い塊”はあっという間に椿の身長にまで達していた。

「これは……祓うしかねえな……」

 椿はそう言うと、目を閉じ、気を落ち着かせた。そしてゆっくり静かに目を開ける。

「あ……紫色になった……」

 椿が目を開けた途端、彼の右目は淡い紫色を放っていた。

「椿さん……それ……その目……」

「無駄だよ。ああなっているときは呼んでも返事はない。本人も聞こえてるかどうか、自分でも分かってないしな」

 突然、後ろからそう聞こえた。由衣は振り返る。鷹斗が立っていた。

「鷹斗さん……あ、あの……椿さんのあの目って……」

「昔からだよ。ふとした時や視るとき、祓うときに変わるみたいだ」

 鷹斗はそう説明した。

 低い静かな声が聞こえる。心地良いような恐ろしいような声が椿から発せられている。

「……臨める兵、闘う者、皆陣列れて前に在り……」

 椿はそう言って、両手で刀印をつくり唱えた。一言唱えるたびに、右手の刀を振り下ろす。“黒い塊”に向かって最後の刀を振り下ろした瞬間、それは塵となって消えていった。

「え、今の……」

「これが、あいつの本当の力だよ。七海さんはまだ、こういうのは見たことなかったの……?」

「はい……自分にかけられた呪い?は解いてもらったことがあります。でも……こういうのはないです。鷹斗さんはあるんですか?」

「……ああ。何回もね。それこそ……小さいころからずっとあいつと一緒だから、色んなもの見てきたよ」

 椿はそれを祓うと、自分を見つめる大元の前へ歩いていった。大元は目を離せないのか、椿を見たままだ。

「大元さん……これが俺の力なんです……。プロファイリングや捜査に関しての知識は書籍を読み漁ったから身に付いたものですが、今のようなものは……その……生まれつきで……。捜査会議の時に説明した、自分が小学生のころに経験した神隠し、あれも自分が解決しました……。大元さん、俺の捜査手段は普通の刑事がするような捜査じゃないんです。原因となるものが俺の専門なら、それを祓ったり浄化することで解決する、そんな手法なんです。警察にそれが通用しますか?俺は……この捜査に参加しても……」

 そう言う椿をじっと見る大元。数分の沈黙が続き、椿はその場を去ろうと体を動かした。その瞬間、大元は彼の腕を掴み「待ってください」と発する。

「捜査、参加してください。その力のことは言わなければいい。捜査員たちだって周りに言ってないことくらい一つや二つあります。それと同じですよ。この事件、あなたの力が必要になる。だから、どうか最後まで参加してもらえないだろうか……?」

 大元はそう言う。椿はしばらく考え込み、頷いた。大元の大きな、厚い、温かい手が椿の背中に触れる。じわじわと温かさが体に染みるのを彼は感じていた。

「大元さん……ありがとうございます……」


♢ ♢ ♢

 

 翌日、昨日に引き続き捜査会議が開かれていた。

「え~……被害児童につきましては、家族から新たな証言を得ることが出来ました。まず、古田凛ちゃんはとても親切な子で、困っている人を見ると自ら走っていって手を貸すような子だそうです。そして山下直人君は、警察官に憧れ、小さな時からパトカーのミニカーや白バイなど、フィギュアを集めるのが好きな子だと。そして荻原美咲ちゃん、彼女はいわゆる“占い”に興味が強いらしく、図書館などで占いの本を借りてはノートにまとめたり、パワーストーンを集めたりと、かなりの占いマニアだとか。公園に行ってはきれいな石を集めるのが好きだと、お母さんから伺っています。事件に関係あるかは分かりませんが、何かの足しになればと思ったので報告させていただきます」

「なるほど……三人に共通点は見られないか……。何か他にないか?例えば、犯人と被害児童に繋がる何か……」

 大元はそう言う。その時、勢いよく会議室の扉が開いた。

「警部っ!会議、遅れてすみませんっ!あ、あの三班から報告があります!」

 そう言って会議室に駆け込んできたのは吉川翔平よしかわしょうへいだった。息も絶え絶えになりながら、手に持っているものを大元に見せた。

「……これは?」

「証拠品です!第三の事件、荻原美咲ちゃんの事件発生場所から百メートルの用水路に落ちていました。事件と関係ないだろうと思ったのですが、何となく気になって。調べてみたらヒット、美咲ちゃんの指紋が検出されました!」

 大元の手に渡されたのはパワーストーンで作られたブレスレットだった。

「美咲ちゃんの指紋!?本当なのか!?」

 森本が言う。

「はい!どうやら美咲ちゃんは連れ去られる寸前、このブレスレットに触っていたようです。で、科捜研の天野さんに頼んで調べてもらったら、提供された指紋と一致しました」

 吉川がそう説明すると、森本は何かに気付いたのか大元に寄り、話す。

「警部、美咲ちゃんは占いやパワーストーンが好きで、かなりの数を集めています。犯人のブレスレットがパワーストーンだったことから、美咲ちゃんの興味を引いてしまい自ら犯人に近寄ってしまったか、美咲ちゃんのパワーストーン好きを知っている犯人が、自分のブレスレットを見せ、美咲ちゃんを寄らせたか……とは考えられませんか?」

「もしかしたらその可能性はあるかもしれないな……」

「警部、科捜研から新たな結果が!犯人に繋がるかもしれません!」

 立本が封筒を手に慌てて会議室へ入ってきた。

「これ、天野さんが急ぎで検査してくれたんですけど……、あ、ここです!“犯人のものと思われる毛が提出されたパワーストーンに付着。検査の結果、犯人の物であると判断できる。また依頼された遺伝子検査を行ったところ、犯人は男性、A型、知能は平均より少し高い、お酒に強い、身長平均より高い、筋肉質、計算速度速い、記憶力良い、運動能力高い、目の色ややこげ茶”など、今現在で犯人に繋がりそうなものが分かりました。これコピーするので、各自持っておいてください」

 立本はそう言うと、女性警官にコピーを頼んだ。

「なるほど……遺伝子検査か……立本くん、よく思いついたな」

 大元がそう言う。

「あ、ありがとうございます……」

 立本はどこか嬉しそうで、少し恥ずかしそうにも見えた。ツンデレなの……?由衣は一連の流れを見てそう感じた。

「由衣、あれはツンデレじゃなくて、ツンツンツンデレだと思うぞ」

 椿は彼女の耳元でささやく。

 彼に心を……思考を読まれることに慣れたのか、由衣は平然と「かもしれないですね」と笑った。その二人の様子を鷹斗はじっと見ている。

 その視線に気づいたのか、椿が鷹斗に寄った。

「どうしたんだ?ずっと見てただろ……何かあったか?」

「いや、何でもないさ……ただ、久しぶりに楽しそうなお前を見たからな……あの子はお前にとって特別なのかと思って見てただけだ」

「まあ……特別って言ったらそうかもしれねえな。彼女は俺と似てるんだ……だから……放っておけないって言うか。まあ、そんな感じだな」

 椿はそう言って鷹斗の肩に手を置いた。

「ん……?ちょっと待てよ……俺……今、お前にずっと見られてるのが気になって……自分から……あ、そうか!そう言うことか……てことは……残りは……」

 一人でぶつぶつと呟きながら、時折納得してはまた考える。そんな椿の様子に大元が気付いた。

「四十住君……どうかしたか?」

 大元の声は今の椿には聞こえていなかった。

「もしかして犯人は……そう仮定すると三人と繋がるか……いやでもな……」

「椿さん?あの……警部が……」

「大元警部、七海さん、今は多分……椿に話しかけても返事は返ってきません。あいつ、昔からなんです。ああやって腕組んで歩き回って、一人でぶつぶつ何か言って。多分、自分の考えを自分の中でまとめてるんだろうと思うんですけど……。あんなときは話しかけるだけ労力の無駄になりますし、もう少し待ってみませんか?」

 鷹斗はそう言う。さすが幼馴染……椿さんのことよく知ってるんだ……と彼女は納得する。

 椿の“推理徘徊”はしばらく続いた。そんな彼の様子を眉間にしわを寄せながら、捜査員たちも見ている。

「なるほどな……保護者の聴取にヒントがあったんだ……。警部、これ分かりましたよ。けど、俺の力は必要なさそうです。これは単純な誘拐事件……ですね」


♢ ♢ ♢


「これは子供たちの興味と過去の事件に囚われた犯人による、単純な誘拐事件だったんです」

「どういうことだ……?」

 森本がそう聞くと、椿は机に肘をつき、両手の指先を合わせ、自信気に「今から説明しますね」と放つ。

「まず、今回の誘拐事件は十五年前に起きた神隠し事件の模倣犯でしょう。そしてその犯人は恐らく警察官……」

「警官が犯人!?」

「だとすると、これは大問題だろ……」

「でも確証がないだろ。だって犯人については何も分かっていないんだ」

 捜査員は口々に発する。その声が椿の耳には苦痛でしかなかった。

「皆さん、一度静かにしましょうか。彼の話をとりあえず最後まで聞いてみましょう。話はそれからです」

 大元の一声で室内は静まり、椿の苦痛は取れた。大元を見る。彼はゆっくり頷いた。椿も頷き返す。

「まず、犯人が警察官だと仮定します。すると、おのずと点と点が繋がるんです。そんなに難しく考える必要はなかったんです。最初に言ったように犯人は秩序型です。つまり、この事件は計画的犯行。その証拠に児童誘拐の瞬間は誰にも、防犯カメラにでさえも写っていません。ただ一つのカメラを除い……」

「あ!古着屋の!」

 土屋が言う。椿は笑顔で頷き「その通りです」と言った。

「その古着店の防犯カメラに写っている男こそが、犯人です。この男の表情から感情が読み取れます。それは“しまった……ここにカメラがあったなんて知らなかった……誤算だ”と。“せっかく、誰にも知られずにここまで上手くやってきたのにも関わらず、こんなところで防犯カメラに写ってしまうなんて”男はそう思っています。そして被害児童の保護者の証言……。子供がいなくなったと最初に警察に通報したのは古田凛の母親。いつもなら帰ってくる時間に帰宅せず、一八時になっても帰ってこないことを不安に思い、警察に連絡。近くの交番所員が自宅へ行き、母親と共に子どもの帰りを待つが帰宅する気配もなく、届を出した。確か、森本さんがそう言いましたよね。その交番所員の名前は分かります?」

 森本は突然名前を出され、慌てて手に持っていた資料を落としてしまう。幸い資料はホッチキスで留められていたためバラけることはなかったが、資料を落とした衝撃で脳内に浮かびつつあった交番所員の名前を飛ばしてしまった。急いでノートに書いたはずの交番所員の名前を探す。

「あ、あった……交番所員の名前は“大槌史也おおつちふみや”です。階級は警部補……」

「その大槌という警察官が犯人ですね。間違いありません。恐らく、子供たちを置いているのは自宅の近く……」

 椿がそう断言したのを聞き、大元は「大槌史也警部補に任意同行かけるぞ!一班は大槌の確保に向かえ!」と叫んだ。

 鷹斗を含めた一班と呼ばれる刑事たちが一目散に部屋を出る。それを見届けた大元は椿に聞いた。

「四十住君、なぜ大槌警部補が犯人だと?」

「彼の供述です。“近くの交番所員が自宅へ行き、母親と共に子どもの帰りを待つが帰宅する気配もなく”が俺にとっては違和感でした。子どもが帰ってこない、そう母親が言っているのにもかかわらず、一緒に待ちましょうなんて言う警察官、おかしいと思いませんか?警察内部の仕組みなどは詳しくは分かりませんが、子供がいなくなったと連絡を受ければ、寄り道か、事故か、事件か……と考え、すぐに届けを出したり、警察署に連絡したり、それに応援を呼んだりと行動するのが普通では?」

 椿の言う通りだった。確かによく考えればおかしな話だ。

「それに大槌警部補は、足を怪我しているはずです。十五年前……左足を引きずっていましたから。凛ちゃんは困っている人を見ると、自ら走っていって手を貸す子どもだと、母親が言ったんですよね。だとしたら彼女の視界に入るように、大槌警部補は転けたり、つまずいたり、かがんでいたり……彼女の気を引くために何かしていたのかもしれない。そこを狙われた……。そして山下直人君、彼を誘拐するのは簡単だったかもしれない」

「それはどうしてですか……?」

 立本が尋ねる。

「直人君が警察官に憧れているからですよ。保護者からの証言で“小さな時からパトカーのミニカーや白バイなど、フィギュアを集めるのが好きな子”だとありました。つまり、自分は警察官で家には警察に関わるものがあるなどと会話しては油断させ、誘拐。ましてや小学一年生の力なんて、普段から鍛えている警察官にとっては子犬を抱くようなものだ」

「どうして彼が鍛えていると?」

「途中で遮られてしまいましたが、土屋さんの報告ですよ。あの時土屋さんは“最近は公園でお兄さんのトレーニングに付き合ったりしている”と言いかけました。けれど、被害児童三人に年上の兄はいません。じゃあ、誰なのか……。推測ですが、この“お兄さん”とは大槌警部補のことではないかと。もし彼なら、俺のプロファイリングにも、遺伝子検査にも当てはまるだけでなく、保護者の危険な目からも避けられますから」

「危険な目……?」

「はい。不審な見知らぬ男が自分の子供と遊んでいるとなれば大騒ぎするのが普通です。しかし、母親の証言でお兄さんのトレーニングに……という言葉が出た。これは危険視していない証拠です。自らも安心しているからこそ兄という単語が出るんです。では、なぜその単語が出ただけでなく自分の子供が見知らぬ男と遊んでいても安心したのか、それは恐らく……」

「……大槌が自分は警察官だと言った……?」

 森本がそう言う。

 椿は頷き「その通り」と一言。

 するとその時、大元の携帯が鳴った。

「もしもし……どうした?」

 電話に出た大元の顔色が変わった。

「子どもたちが解放された……!?松風君、それはどういうことだ!?」

 電話の相手は鷹斗のようだ。内容が気になっている捜査員たちに気づき、大元は鷹斗に「スピーカーにする」と言い、携帯を机の上に置いた。

『子供たちは大槌の自宅近くに匿われている……椿がそう言ったので、俺は大槌警部補の自宅近くに匿えるような何かがないか地図で確認したんです。そしたらマンスリーマンションがありました。そこで思い出したんです。十五年前の事件、消えた子どもが何日かして無傷で戻ってきたと彼が言ったのを。本当に模倣犯だとすると、今回もそうである可能性が高い。マンスリーマンションなら一時的に匿えるのではと思い、その周辺を捜索していたら、三人の子供が手を繋いで歩いていたんです。写真と照らし合わせると、被害児童でした。今は保護してパトカーに……』

 鷹斗がそう言う。大元は何やら指示しているが、椿はどこか腑に落ちないでいた。

「椿さん……どうかしました?」

「いや、タイミングが良すぎると思わないか……?何で今解放されたんだ……」

「確かに、言われてみれば……。誰かに教えてもらったのかな……?」

「由衣!今なんて言った!?」

「え……誰かに教えてもらったのかなって……」

 椿はそう言うと“黒い塊”がいた場所へ走っていった。

 そして目を閉じ、その場に触れ、小声で何かを唱えているように見えた。

 しばらくそこから動かない彼を、由衣はずっと見守っていた。またさっきみたいにあの人たちに変な目で見られたら……。由衣は自分の小さな体で椿を隠していた。

「由衣、お前のおかげだ……この事件、やっぱり俺の力がいるみたいだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る