第一章 最終話 

 由衣たちに連れられ、椿は有川尚が入院している病院へとやってきた。

「尚くん、ここのICUに入院しているんです。ただ、会うのは主治医の許可がいると言われています」

 由衣はそう言うと、受付に声を掛けに言った。

「あの、ここのICUに入院している有川尚の友人ですが、お見舞いに……」

「早瀬薫、あんた……あいつに感謝するんだぞ。あいつがあんな性格じゃなければ今頃どうなっていたか分からねえぞ」

 椿がそう言うと、薫は「もちろんです……」と静かに言った。まるで人が変わったかのように大人しくなった薫。彼女の視線の先には受付の女性と話す由衣の姿があった。

「ICUに行って直接、主治医と相談してくださいって。みんな行こ!」

 ICUへ着くと、主治医と有川尚の両親がいた。

「あの、尚くんのご両親ですか?私たち、尚くんのお見舞いに……」

 由衣がそう言うと「あなたたちが尚を病院に連れてきてくれた方?本当にありがとうね……この子に会ってやって。今はまた閉じてるけど、さっきちょっとだけ目を開けたのよ。私たちは外にいますから、ゆっくりしていってくださいね」

 尚の母親はそう言って、場所を空けた。

「四十住さん……とりあえず人の目がたくさんありますけど、何とかなります?」

「……多分……」

「え、多分!?そんな……それは困りますって」

 そう言う健一をよそに、椿は静かに、聞こえるか聞こえないかの声量での呪文を唱え始めた。椿の声が消えたと同時に、有川尚のまぶたが動く。

 ゆっくりまぶたを持ち上げ始める尚。それにいち早く気付いた椿は「今から忘却の言葉を唱える。それが唱え終えたら、今回のことも俺のことも忘れる。いいな」と言った。

「はい。四十住さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 由衣をはじめ、楓、剛士、健一、そして薫がお礼を言った。

「じゃあな。もう、こんなことするなよ」

 椿はそう言うと忘却の呪文を唱え始める。

 唱え終えた椿はそっとその場を離れた。

 少し離れたところで由衣たちの様子を見ている椿。

「尚くん!?ねえ、分かる!?」

 薫がそう声を掛ける。その言葉が聞こえたのか、尚の両親は慌ててICUの中へと走った。医師や看護師も慌てて向かう。

「良かった~目が覚めて……尚くん、からびっくりしたよ……」

 楓のその言葉を聞き「俺の仕事は終わり……あとはお前たち次第だぞ……」と椿は病院を後に、自宅へと向かった。


♢ ♢ ♢


 自宅へ戻ってきた椿。

 ドアの前に立つ笹倉の姿が目に入った。

「げっ……」

「今、げっ……って言いましたね!?それはこっちのセリフですよ!?椿さん、どこにいたんですか!約束の時間は17時だと、あなたが言ったんですよ!?」

 怒鳴る笹倉の言葉を耳に、椿は慌てて自宅のドアを開ける。

「ほら、早く原稿ください!何で最後の日まであなたの世話をしてるんですかね、私は!新しい担当者も紹介するからと言いませんでしたっけ!?」

「い、言ったっけ……?あまりよくおぼ……」

「記憶力の良さが化け物みたいなあなたが、たったこれだけの会話の内容を忘れるわけないですよね?言い訳は良いですから、さっさと原稿ください。そしてこの子を紹介するのでさっさと座ってください!」

 笹倉に肩を掴まれ椿の前に飛び出た女性は、小動物を彷彿とさせた。

 彼女はいつものようにぐいぐいと部屋の中へ入ってくる。椿も慌てて仕事部屋に入り原稿を手に戻ってきた。笹倉の後ろに隠れるように立つ女性を見て、椿は思った。小柄で低身長、弱々しそうな表情に違和感のあるスーツ姿。その割には綺麗に染められた栗色の髪。それはまるで……

「……リス……?」

「つーばーきーさ~ん!?」

「こわっ……こっちは鬼か……」

 椿は原稿を笹倉に渡した。彼女はそれをさっと確認すると、椿をリビングにある椅子に座らせた。そして自分の後ろに隠れるように立っていた女性を椿の目の前の椅子に座らせ、自分もその横に座る。

 テーブルを挟んだ最後の会議が始まった。

「原稿、確かに預かりました。それと今朝言ったように、私は今日で椿さんの担当を終えます。明日からはこの子が担当することになりますので、顔と名前、覚えてくださいね」

 笹倉はそういうと、女性に「自己紹介しな」と優しく促した。

「初めまして……明日から担当させていただきます、海野春うんのはると申します。今後とも、どうぞよろしくお願い致します」

「堅っ……海野さん、そんな堅くならなくていいですよ。笹倉さんなんて、もう全然堅くな……」

 笹倉の視線に気づいた椿は出てきた言葉を飲み込み、自分も自己紹介した。

「初めまして。俺は四十住椿と言います。“あいずみ”は“四十”に“住む”と書いて“四十住”、“椿”はそのままで」

「はい、じゃあ、ハルちゃん……この人の特性を教えておくね。そしたらイライラは半減されるから」

「ちょ、笹倉さん……酷すぎやしません?俺の扱い、どうなってるんですか」

「本当のことです。ハルちゃん、この人はね、言葉遣いが悪い・性格が悪い・朝寝坊ばっかり・期限を守らない・資料集めが下手・めんどくさがり・食事バランスが悪い・買い物に行かない・とりあえず何でも人任せ……って感じで、他にもいろいろあるんだけど……」

「笹倉さんっ!それ、俺の悪口になってません?」

 二人の会話を見ていた春は突然笑い出した。

「何か……夫婦漫才……みたいに……」

 言葉にならないのか、発する言葉は途切れ途切れで、涙目になっていた。

「う、海野さん……?」

「へ?あ、すみません……私、ゲラなんです……」

 笹倉と椿は顔を見合わせて笑った。

「何だかんだ言って、二人は良いペアになりそうね」

 彼女は少しほっとした。

 それからも椿に関すること、仕事に関する様々な引継ぎを行った。

 すべての引継ぎを終えたのは22時になった頃だった。

「ということで、四十住さん、今までお世話になりました。それと、ハルちゃんのこと、あまりこき使わないでくださいよ」

 笹倉はそう言って去っていった。

「四十住さん、新人の私が担当になって申し訳ないですが、出来ることを精一杯するので、これからよろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げるハルを見て、椿は「だから海野さん、俺相手にそんな堅くならなくていいですから」と肩に手を置いた。その瞬間、ビクッと体を震わせたハル。「あ、すみません」と慌てて顔を上げ「じゃあまた明日連絡しますから!」

 ハルはそう言って慌てて帰っていった。

「ん?どうしたんだ……?」

 椿は一瞬不思議に思ったが、突然触れたことに驚いただけだと納得した。

 翌朝、インターホンの音で目が覚めた。

 連続して鳴る嫌な音。椿は枕で頭を抑えたが、その音が鳴り止むことはなかった。

「だーっ!もうっ、誰なんだよっ!」 インターホンモニターを見に行くと、驚くべき人物が立っていた。

 椿は慌てて玄関に向かい、扉を勢いよく開けた。

「あ、四十住さん!先日は本当にありがとうございました」

 そう言って頭を下げたのは、七海由衣だった。

「あ、お前……何でここに……それに何でここが……」

「何でって……昨日来たからに決まってるからじゃないですか!昨日のお礼にフルーツバスケット持ってきたんです!一緒に食べませんか?四十住さん、果物好きなんですよね?昨日食べてたし。あ、桃もありますよ!」

「……あ、七海さん……あの」

「やだな~、昨日は由衣って呼んでくれてたじゃないですか!いきなり呼び捨てで呼ばれて驚きましたけど、ずっと呼ばれているとさすがに慣れました。七海じゃなくて由衣でいいですよ」

 昨日のこと、全部覚えてるのか……?椿は考えた。けれど、昨日“忘却の呪文”を唱えたはずだ。全員にちゃんと……。

「由衣……」

「何ですか?」

「昨日のこと覚えてるのか?」

「もちろんですよ!私が四十住さんに依頼して、助けてもらったんですから。でも、何でか私だけ覚えてるみたいなんです。みんなに確認したんですけど、みんなは忘れてて。どうしてかな~と思ったんで来ちゃいました。外暑いんで、中に入れてもらってもいいですか?」

 由衣がそう言う。

 椿は驚いたような、不思議な顔をしながらも彼女を自宅へと招き入れた。

「昨日も思ったんですけど、四十住さんの家って片付いてますよね……」

 椿はそう話す彼女の背中めがけて念を送った。

 ”由衣、由衣”

「今呼びました?」

 彼女がそう言いながら振り返った。

「由衣、ちょっとここ座れ」

 椿はそう言うと戸棚からトランプを取り、二枚のカードを抜いた。

「選べ」

“左、左、左……”

 由衣は自分から見て左のカードを抜いた。その手を一瞬にして椿が掴み「何でこっちを取った?」と聞く。彼女は「何でって……何かこっちを取ったほうがいいような気がして……ダメでした?」と少し困った顔で椿を見る。

「由衣、本当に昨日のこと全部覚えてるのか?」

「だーかーらー、覚えてますって!昨日のお礼をしに行こうって、みんなに言ったら、みんなは何のこと?って忘れてるし、これが四十住さんの言ってた忘却の呪文?ってやつ?って思って。じゃあなんで私は忘れてないんだろう、私にかけ忘れたのかな~って思ったから、聞きに来たんですってば!四十住さんこそ、おかしくなっちゃったんじゃないんですか!?」

 肩で息をしながら、由衣は全てを出し切る勢いでそう言った。

「ま、まあ落ち着け……。これは恐らくだが、君に俺の術はかからないみたいだ。それに君には多分、第六感がある。それもかなり鋭い……。由衣、この家……なにか感じたりしないか?」

 椿がそう言うと、由衣はきょろきょろと部屋を見回した。

「言われてみれば……確かに何か感じるような……?でもそれが何かは分かりません。けど、守られてる気はします!あと、あの部屋がとても気になるって言うか……」

 椿は由衣に近づき、肩に手を置いた。

“3・6・4・2・1・”

「何か数字が浮かんだりしないか?」

「へ?突然なん……」

「いいから。頭に浮かんだり、直感で感じた数字、言ってみろ」

“3・6・4・2・1”

「……3……4……6……?2……1……あとは、分かりません」

「上等だ。由衣は念を感じるみたいだな。直感が良かったりとか、昔から何か視えたりとか、何もないのに突然呼ばれた気がしたりとか、そういうのなかったか?」

 突然の出来事に由衣は戸惑っている。

 そんな由衣を置いていくように、椿はのドアを開けた。

「由衣、こっち来てみろ」

 椿に呼ばれ、慌てて向かう由衣。

「お前が気になるって言った部屋、特別に見せてやる。その代わり、オフレコだぞ」

 そう言って椿は中へ入った。慌てて後を追う。部屋はどこか不思議な空気が漂い、薄暗く、心なしか少しひんやりとしていた。例えるなら、ウォークスルー型のお化け屋敷だ。

「……なんだかお化け屋敷みたい……」

「お前な……人の家なんだから遠慮ってものをしろよ」

「あ、ごめんなさい!私、遠慮って知らなくて。とりあえず思ったことは言っちゃうみたい。あ、ねえ、これはなに?」

 由衣は本棚にある一冊のノートを指差した。

「あ……それは……」

 少しの沈黙の後「あ、ねえねえこれは?このぬいぐるみは何?まさか四十住さんの?」と聞いた。彼女は気を利かせたのだ。

「それは呪具として使われたんだ。それを持つ子どもはみんな昏睡状態に陥った」

「え~怖すぎる……じゃあこれは?」

「それは……俺のアルバムだよ……」

「四十住さんのアルバムか~。興味ないからいいや!」

「おい、酷くないか?」

 由衣はそう言うと部屋の奥にある一つの扉に気づいた。

「あ、四十住さん……あそこは……?」

「行ってみろ……お前だったら見られたところで問題ない」

 椿がそう言うと、由衣はどんどん進んでいった。扉は引き戸になっている。

 由衣は扉に触れる瞬間、ひんやりと何かを感じた。しかし構わず、扉に手を掛ける。

「……あれ?開かない……四十住さん、鍵は?」

「ない。その扉は鍵を付けてないんだ」

 由衣は必死に扉を開けようといろんな方向に引いてみる。しかし扉はびくともしない。

「やっぱり開かない……どうして?」

 そう言う由衣の手を取り、椿は急いで部屋から出た。

「お前、俺の助手になれ。というか助手じゃなくてもいいや。アルバイトでもアシスタントでも、なんでもいい。とりあえず俺の傍にいろ」

 部屋から出ると突然、椿は真面目な顔をしてそう言った。

「……は……?へ?あ、四十住さん……?」

「あの奥の扉、開かなくて当然なんだ。そもそもあれが視えた時点でおかしいんだよ。あの扉に触る前、何か感じなかったか?」

「何かって言われても……少しひんやりした感じが……」

「それだよ。その感じてるやつ。それの正体は結界だ。俺が張ってる結界だよ。至る所に結界を張り巡らせてる。この家に上がってきたときも、俺、聞いたよな。何か感じないかって。お前は“守られてる気はする”って言ったんだ。その通りだ。この家は結界と護符で守ってあるんだよ。それを感じてるだけでも凄いが、あの扉を見つけたのがもっと凄いことなんだ」

 椿はまっすぐ、由衣を見て話し始めた。

「あの扉、普通には見つからないようにしてある。簡単に見つかってはいけないから、結界はもちろん護符も貼ってある。あの扉の向こうのこと、それはまた今度ゆっくり話すが、あれを見つけることは普通の人間じゃできないんだよ……」

 由衣はきょとんとした顔で椿を見ている。それもそうだ。こんな話はマンガやアニメの世界だけだ。普通に考えて理解できるはずがない。

「わかりました。じゃあ、私は四十住さんの助手って言うかアシスタント?になります。話が難しすぎてなかなか理解できませんが、まあ、助手をしていくうちに理解できるかな~って。四十住さんの助手、やらせてください」

 由衣は椿に頭を下げた。

「よし。じゃあ決まりだ……由衣、今からお前は俺の助手な」

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