【創作童話】キツネの傲慢

北條カズマレ

キツネの傲慢

 あるところにキツネがいました。


 キツネは鳥を見てはいつもこう言っていました。


「あのくらい、俺でもちょっと練習すれば飛べるようになるさ」


 あるいは、魚を見てはいつもこう言っていました。


「あのくらい、俺でもちょっと練習すれば泳げるようになるさ」


 キツネは夜眠っている時の夢の中では、鳥になったり魚になったり、自由に何にでもなることができました。


 しかしもちろん、キツネは現実の世界では、空を飛んだり水の中を泳いだりすることはできません。


 ちょっとやってみることすらしませんでした。そんなキツネの態度を見て、犬が言いました。


「キツネさん。君は、他の動物が、キツネさん自身にはできないことを成し遂げているのを、もっと尊敬するべきだよ」


 キツネは答えます。


「いやいや犬さん。別に何かが他の者よりできるからといって、えらいわけじゃないよ。尊敬するほどのことかね」


 犬はムッとしました。犬は、自分ができることにおいて、キツネと大した違いがあるわけでもありません。


 しかしだからこそ、鳥や魚を尊敬していました。


 尊敬しているゆえに、キツネの傲慢な態度を見ていると、心がざわついてなりませんでした。


「キツネさん」


 犬は言いました。

 

「君も一度は挑戦してみればいいんだよ。空を飛ぶことや、水の中を泳ぐことにさ。そうすれば鳥や魚のすごさがわかるよ」


 キツネは首を振って笑いました。

 

「いやいや、そんなことしないさ」


 キツネは犬に何を言われても、決して、自分ができないことに挑戦したりしませんでした。


 そんなある日のこと、キツネは崖から落ちて足を怪我してしまいました。


 それからというもの、キツネは走ることも跳ねることもできずに、餌を獲ることもできなくなってしまいました。


 もう一生このままかもしれません。


 キツネは、何もできなくなった自分に、すっかり自信を無くしてしまいました。

 

 もうどんなに練習しても、空を飛んだり、水の中を泳いだりできそうにないと思いました。


 そして、自分が鳥や魚のようになれると無邪気に信じていた日々を思い出して、涙を流しました。


「ああ、あの傲慢な思い違いは、自分に自信があるという幸せの裏返しだったのだな」


 キツネは、満足に歩くこともできなくなるとともに、幸福な思い違いまでも失ってしまったのです。


 もう、キツネは、夜の夢の中で、飛んだり泳いだりする夢すら見なくなってしまいました。


 餌を取れなくなったキツネは、日に日に弱っていきます。


 そんなキツネの巣穴を、犬が訪ねました。


「キツネさん、僕が言い過ぎたよ。君はただ、自分が何にでもなれるという空想を守りたかっただけなんだね」


 キツネは巣穴の中で横たわりながら、力無く笑って、答えます。


「傲慢な心根にバチが当たったのさ」


 犬はゆっくり首を横に振りました。


「君は何も悪くないんだよ、ただ、夢を見ていただけさ。君は空を飛んだり、水の中を泳いだりしたかっただけなんだろ? そうすることができない体に生まれついたのに。そして本当は、どんなに練習したってその夢が叶わないことに気づいていた。それでも空を飛びたい、水の中を泳ぎたいと思ったら、ああいう意固地な態度になるしかないじゃないか」


 キツネは静かに涙を流しました。


 それから毎日、犬はキツネに餌を運んできてやるようになりました。


 犬がとても甲斐甲斐しくキツネの世話をしたおかげで、キツネは歩けるようになり、ついには走れるようになりました。


 そしてまたキツネは、自分が空を飛んだり、水の中を泳いだりする夢を見ることができるようになりました。


 しかし前のように、キツネは練習すれば空を飛べるようになるとも、水の中を泳げるようになるとも言わなくなりました。


 代わりに、犬と一緒に、空想や夢の話をよくするようになりました。


「ねえ、犬さん。どうして僕たちは、空を飛ぶことも、水の中を泳ぐこともできずに、地べたを走り回ることしかできないんだろう」


 ある時ふとキツネが質問しました。


 犬はこう答えます。


「それは神様が決めたんだから仕方ないよ。神様はみんなに得意なこと不得意なことをそれぞれ決めて、この世に産まれさせたんだ。そして、生き物は、生まれ持った得意なことを精一杯楽しむことで、幸せになれるんだ。さあ、空想を語るのはこれくらいにして、野原を走り回ろうよ。きっと楽しいよ」


 キツネは犬の誘いに乗って野原を駆け巡りましたが、頭の中にあるのは空を飛ぶことや、水の中を泳ぐことばかりでした。


 ある日の夕方、キツネは犬と別れて自分の巣穴に戻る途中で、ふと思い立って海の方へ出向きました。


 そこには高い崖がありました。


 下には海が広がっていて、大きな渦がごおっと音を立てて逆巻いています。


 キツネはここから飛び降りるつもりでした。


 飛ぶことか、泳ぐこと。


 どちらかができさえすれば、死なずに済みます。


 キツネは意を決して崖の下へと踏み出そうとしました。


「キツネさん!」


 犬がやってきました。


「キツネさん。馬鹿なやめはよしなよ。そんなことをしても何にもならないよ。ただ死んでしまうだけだ」


 キツネは振り返って答えます。


「やあ、犬さん。そんなことはわかってる。でもね。こうするしかないんだよ」


 犬は泣きながらキツネを引き止めようとします。


「ねえ、空想じゃダメなのかい? 空を飛ぶ空想の話、それから、水の中を泳ぐ空想の話。鳥さんに聞いても、魚さんに聞いても、ここまで面白おかしくお話ができる者はいなかった。君の空想の話はとっても面白かったよ。本当に空を飛んだり水の中を泳いだりした者達のする話よりも面白かったんだ。ねえ、キツネさん。今度はクマさんも虫さんもヘビさんもみんな集めて、みんなに聞かせてあげようよ。そうしたら、きっと君も満足できるよ」


 キツネは目を伏せて、また真下に広がる暗い海を見つめました。


「それじゃあダメなんだ、犬さん。ダメなんだよ。ごめんなさい。そして、今までありがとう」


 それだけ言うと、キツネは崖の下へと一歩踏み出し、海へと真っ逆さまに落ちていきました。


「ああっ!」


 犬が崖のふちに駆け寄ると、もう下には暗い海があるばかりで、キツネの姿はどこにも見当たりませんでした。


 それから、犬はキツネに聞いたお話を動物達みんなの前で話してあげました。


 みんなとても面白がってその話を聞いていました。


 犬は最後にとっておきだ、と言って、空を飛び、水の中を泳ぐキツネの話をしました。


 それはキツネが話したお話ではなく、犬が作ったお話でした。


 大好きな親友のキツネから聞いたお話は自信満々に語れる犬でしたが、自分で作った話はどうも聞かせどころがわかりません。


 最後の話はとっておきのつもりでしたが、いまいち、面白がってもらえませんでした。


 動物達が去って、犬は一匹になりました。


 犬は何度も心の中でキツネがしてくれた空想の話を思い返しました。


 そしてもうお話の数は増えないのだと思って、涙を流しました。


 キツネの作った空想の話は、その後も、動物達の間で語り継がれました。


 しかし、空を飛び、水の中を泳げる、空想の話がとても上手なキツネの話は、みんな、忘れてしまいましたとさ。

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