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 梅雨に入り、雨が続いた。それだけのせいではなかったけれど、イヌイさんとの〈寄り道〉はすっかりなくなっていた。

 放課後、彼女が校門の外で待っていることもなければ、目が合っても挨拶をすることもなくなった。そもそも、彼女と目が合うことすら滅多になかった。僕は隣の席にイヌイさんの気配を感じるだけで、僕らがそれ以上の関わりを持つことはなかった。〈日常〉は呆気ないほどすんなりと戻ってきた。

 塾にも真面目に通った。もう、お母さんやお父さんにあんな顔をさせるのは嫌だった。僕は毎晩九時過ぎまで講義を受け、暗い夜道を歩いて帰った。

 たまに、夜空を見上げることがあった。けれどそこは月でも出ていない限り真っ暗で、星の瞬き一つ見当たらなかった。夜空なんて元々そんなものだと思うけど、少し前まではもう少し明るかった気もする。

 答えは出ない。僕は考えるのをやめ、足を速める。


 雨が減り、蝉の声が聞こえだしたある日、朝の会でイヌイさんの転校が発表された。父親の仕事の都合で、時期は二週間後だという。

 それを告げる担任教師の口調は〈あくまで連絡事項の一つ〉といった風だった。実際、数日後におこなわれるプール掃除の注意事項の後についでのように付け加えられていた。受け取るクラスメイトたちにも大して驚いた様子はなかった。

 驚いていたのは僕だけだった。

 イヌイさんの方を見たかったけれど、そうする勇気はなかった。意識を研ぎ澄ませ、視界の隅にある彼女の気配を拾おうとしたけど、何もわからなかった。そのまま朝の会は終わり、午前の授業が終わり、一日が終わった。

 班員の一人が帰ろうと声を掛けてくるのを用があるからと断り、一人教室を出た。校門の外でそこに誰もいないことを確かめた時、僕は自分が抱いていた〈期待〉の大きさを思い知った。

 足が、家とは反対の方へ向かった。

 イヌイさんと歩いた道を、一人で辿った。路地や公園、商店街。それらの景色は、前に来た時よりも色褪せているように見えた。どれだけ探しても、僕の頭の中にある風景は見当たらず、どこまでも〈日常〉の延長が続くばかりだった。

 もしやと思ってスイミングスクールに行ってみたけど、定休日なのか通りに面した大きなガラスの向こうは真っ暗で、駐車場にはマイクロバスが眠るように停まっていた。

 歩けば歩くほど、書き込んだ地図が消えていく気がした。一人でイヌイさんと巡った場所へ行くたびに、それらの場所は僕との関わりを絶っていく。イヌイさんによって繋がれていた街は、僕にとって再び〈知らない場所〉になっていった。

 河川敷に出た。考えるより先に土手を上がった。

 夕暮れの景色が広がっていた。

 けど、それだけだった。そこにあるのは、よその街の一日が終わろうとしている風景だけだった。僕には関わりがなく、僕はあくまで通りすがりの一人でしかなかった。

 カラスが一羽、鳴きながら横切っていった。

 あのカラスよりも僕はこの場所に関係がないのだと思うと、立っているのも辛くなった。早く、知っている街に帰りたくなった。

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