第17話 オレの大好きな母ちゃん

さて、あなたに一つ質問をします。あなたはAさんに誠心誠意尽くしたのに、後日「Aさんはあなたを嫌っている」という報告を受けました。さて、あなたは次の1と2どっちですか?

1、Aさんに心を開き、Aさんを受け容れようとし、さらにAさんを好きになろうとして接したのに私を嫌うとは。そんな人なら今後のおつきあいはこっちから願い下げだ。もう会いたくない。

2、ああ、やっぱりまた嫌われた。自分のどこが悪かったのだろう。Aさんの気に障ることを言ってしまったのかなぁ。もっとご機嫌をとれば良かったのかなぁ。自分のどこが悪かったのか、聞きたいほどだ。嫌われた自分がイヤだ。次回Aさんに会ったら、これ以上嫌われないように下手に出よう。

ちなみに2と答えた人は過去に母親のDMC(ドメスティックマインドコントロール)の被害を受けている可能性大です…オレがお世話になる精神科医に言われた言葉がやけに身にしみる。躁鬱で病院通いを余儀なくされ、通院に行こうと疲れた身体にむち打ち起き上がったら、固定電話のメッセージランプが光っていた。『母ちゃんがボケた。帰ってこい』留守電に父ちゃんのメッセージが入ってた。ちなみにウチの父ちゃんはアルコール中毒で何度も何度も入院し、何度も何度も失踪してはウチに戻る迷い犬のような迷惑なジジイだ。御年75歳の糖尿病性腎症で、痛風持ち。救いがない。約5年ぶりくらいに父ちゃんの声を聞いた。生きていたんだな。そりゃそうか、死んだなんて一報入ってきてねーし。しかしまあ、あの健全で頑丈な母ちゃんがボケたとか何とか…母ちゃんには金銭面でめちゃくちゃお世話になった。速攻で離婚したけど、結婚費用で200万くれた。大学も行けずに3浪したけど、予備校の授業料も出してくれた。どうしようもなく流れるままに専門学校行ったけど、つまらなくて前期で中退した。その費用は全て母ちゃんとお祖母ちゃんが出してくれた。なかなかな親不孝っぷりだ。超絶久しぶり、約20年ぶりくらいにT県にある金太町に戻ってきて驚いた。バスを降りると至るところに老人ホームや老人保健施設、グループホーム、デイサービスセンターなどが建ち並んでいた。葬儀屋に、霊園墓石の店。いったい何があったんだと首を傾げた。見慣れたはずの町並みのド派手な変貌ぶり、たった20年そこら地元を放ったらかしにしていただけで、まるで浦島太郎の気分だった。バス停を降りたら、腰の曲がったお年寄りだらけで思わず引いた。ここはゾンビタウンなのか?試しに実家に着くまで、お年寄り(推定60歳以上)が何人いるのか数えてみたら、わずかな距離に47人もいた。もう少しでAKBグループが組める人数だ。いや、坂道シリーズならすでに結成可能か、しかし、BBA47…絶対に見たくないし聴きたくない。実家に近づくにつれて、古風な町並みになっていく、此処だけの空間は昭和そのもので、段々と記憶が蘇ってくるのがわかる。自分の手のひらが汗でべっとり濡れていることに気づいた。緊張しているのだ。何せ20年ぶりの実家である。緊張しないわけがない。変わらない、全く変わらない風景にオレは自然と駆け足になっていた。自分一人だけタイムリープしたような気分だった。背中から羽が生えたように気分は高揚していた。しかし、その高揚した気分も数年ぶりに見る実家を目の当たりにした瞬間に崩壊し、墜落した。頭の中で火花が散るような、不思議な感覚がして目眩がした。実家の前はゴミだらけで異臭を漂わせていた。いったいこの20年で両親に何があったのか?震える脚で腹に力を入れて大きな声を出した。「ごめんくださーい」「お〜い!」「ただいまー」「帰ったぞー」何を言っても中は静かなままだ。「おーい、でてこーい!」近所迷惑なくらい大きな声をあげて叫んだが、誰も出てくる気配がない。昭和のレトロな玄関のガラス戸を無理やりこじ開けようとすると、中から悲鳴のような叫び声が聞こえてきた。『だーれだー、喚いている奴わー』中から山姥のように髪が乱れたババアが飛び出してきた。20年ぶりに会うが、それはまぎれもなくオレの母ちゃんだった。「母ちゃん!」『ああー?誰やお前は?』「誰って、オレだよオレ」『ああー?オレオレ詐欺の片割れかお前は?』なんでそうなるんだ?20年たって、髪も真っ白になり、若干薄くもなり、地肌が透けて見えて、前歯も削れてすっかりババアに変貌した母ちゃんに呆然としてしまった。『で、お前は誰なんだ?警察呼ぶぞ、おい、クソ親父、おい、呑兵衛クソ親父、警察呼べや、変なやつ来たわ』何なんだ?オレのことすっかり忘れてしまうくらいにボケたのか?オレは親父が家から出てくるのを待つことにした。『おい!クソ親父!台所行ってナタ持って来い!大至急や』おいおい、オレを殺す気か?3枚におろす気なのか?『おい、ハゲ!さっさとナタ持って来い!いや、ハゲって私のことやんか!』コントか?此処はNSCか?勘弁してくれよ。『リンゴ!』え?何?何?唐突に何を言うてるのん?『リンゴ!』だから、リンゴって何?「スター?」恐る恐る何の脈絡もないボケにツッコんでみる。背中に変な汗をかく。『ああーん?』母ちゃん何か知らんけど不機嫌。『何でリンゴ言うたあとにスターやねん。いつウチがリスって言うた?リンゴ言うたら、しりとりで続くのは、ゴリラちゃうんけー!』知らんがな…だいたい何で急にしりとりやねん。『おお?コラー!』詰めてきてるやん。しかも何でゴリラ一択なん?ゴスペルとかゴスロリとかゴミとか色々あるやん。何の脈絡もなくて、ツッコミようもない、想定外のボケはやめて!マジで!『お前!お前は!何処のウナギの骨か知らんけど、しりとりも出来へんのか?カス』知らんがな。つか馬の骨や…ウナギに骨あるんか?知らんけど。『ソ連!』今度はなんだよ。いったい全体何が言いたいの?『ソ連!』だから何の脈絡もなくてツッコむことさえ憚れるボケはやめろよ。ガチでボケたんだな。『ソ連ってゆうとるやんけー、さっさとしりとりやれや、このカス!ソーはソ連のソ〜』いや、ソ連って、それ一撃でゲームオーバーやん。しかもだいぶ前から、ソ連崩壊して今はロシアやし。おそロシア…ウチの母ちゃん。『ドロボー』え、ドロボー?あー、「坊主、いや、ボウリング?」母ちゃんの掴みどころのない呟きにオレは慌てて返答した。『お前のことだよバカヤロー』ええ、しりとりやないんかい。もはや素の状態なんかボケなんかも判断しかねる状態である。『お前、お前は自首しろ!この守銭奴、売国奴!』なんで国まで裏切る奴になってんの?「しっかりしてくれよ母ちゃん」言った瞬間に母ちゃんは顔を真赤にして目を見開いてきた。『お前みたいなドロボーに母ちゃんなんて言われる筋合いはない!息子の正行はなあ、現在外務省に勤めていて、とある国の外務次官をやっている自慢のエリートなんだ!』ええ?オレ、しがない日雇い派遣労働者なんだけど?カイジみたいな…どんだけ妄想でオレを出世させてんの?『ウチの自慢の正行はなあ、昨日もビジネス番組に出ていたし、小さな頃から優等生で神童と呼ばれてて、占い師から奇跡の子供って言われてたんだよ。地球を滅亡から救ったのも正行よ』いったいどんな夢を見てるんだよ。本当にしっかりしてくれよ母ちゃん、いったい何があったのよ。オレは今は父ちゃんの若い頃よりも酷い人生で、誰にも褒められる要素なんて欠片も無いんだぜ。『正行はなあ、アンタみたいなドロボーと違って聖人君子なんや。もうな人間を通り越して、マザー・テレサのような尊さを持つ偉人なんだよ!正行は!』マザー・テレサも人間なんだけど…という野暮なツッコミはやめて出直すことに決めた。「母ちゃん、またくるわ、元気でな」『二度と来るな!この正行を騙るドロボーが!顔も見たくないわ。家の敷居を跨ぐな!』母ちゃんは全力投球で、オレに固まった塩を投げつけてきた。「痛い、痛い、痛いって母ちゃん、ワイがいったい何をしたと!自分の息子にわやくちゃすーのはやめてごしなぃ!」オレは久しぶりに地元に戻ってきた安心感からか、思わず地元の方言が出てしまい、自分でも信じられないくらいに驚いた。『ワイ?ワイって言うたか?』母ちゃんはあんぐりした表情のままオレを凝視してきた。そうだった幼少の頃は自分のことをワイと言っていたのだ。今になって思い出した。『お前、お前、もしかして、正行か?』「だからさっきからそう言ってるじゃん、やっっとこさ思い出してくれたんけ まんず良かった良かった」オレは久しぶりの再会に感極まり、母ちゃんを思い切り抱きしめた。その刹那、みぞおちに焼け火箸を当てられたような強烈な痛みに襲われた。よく見ると母ちゃんは両腕にナタを持っていて、それでオレの腹部を突き刺していたのだ。「な、なんで?」ズブズブと切っ先が内蔵の方にまでめり込む。『待ってたよ、ずーっとお前を待ってたよ、この玩具箱が!オレがボケた振りをしていたのはお前をおびき出す為の罠だったのさ、クソ野郎が!』真っ白いシャツがみるみる赤く染まる。『お前みたいな玩具に病院に放り込まれてたまるか!』苦しくて叫び声も出ない。額から流れるままに汗と涙がアスファルトにこぼれ落ち、赤い斑点模様を作り上げていく。『返せー、てめえの人生に賭けた費用、今すぐまとめて返しやがれー』母ちゃんは更にナタの切っ先をズブズブとオレの身体にねじ込ませていた。その音はまるでオレがこれから訪れる永遠の眠りへの子守唄のようだった。

       完 

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