暁のさかさま言葉

@Strontium01689

暁のさかさま言葉

 辻浦夕というのが私の名前。命名の理由は『夕方に生まれたから』。人は安直だと言うけれど、私は自分の名前が好きだ。1日の終わり、トマトのように熟れた太陽が海に入っていく。海面は夕日の複雑な色をそのまんまに映し、空もそれまでの青空から様相を変え、ラベンダー色、橙色に染まる。そんな美しさがこの名前にはある。夕のあとに『コ』とか『ミ』とかをつけないおかげで、響きが丸くて愛らしくなる。親には感謝してもしきれない。

 しかし、小学校、中学校、高校と、私の周りには『ユウ』がいた。不便だからと、先生やクラスメートは私とその『ユウ』を区別して呼んだ。たいてい名字呼びを押し付けられるのは私だった。誰も私の名前を呼んでくれない。それは不満として私の中に蓄積されていく。その不満は私に他人を避けさせるには十分で、私はいつの間にか周囲から浮いた存在とまっていく。『ユウ』らはにこりともせずに、私が譲ってあげているとも知らずに、私から『ユウちゃんと呼ばれる権利』を奪っていった。

 芹沢優もその一人だ。



「辻浦さん、今ヒマ?」

 媚びるような高い声に、私は振り向いた。

 薄い化粧に緩く巻いた茶髪。校則違反のオンパレードだが、クラスメートはもちろん他のクラス、他の学年の生徒達まで口を揃えて「ユウちゃんはカワイイ」という。萌え袖で手首を隠し、男はもちろん、女相手でも上目使いで、高めの声で媚びる。ある意味平等で、他の人はそれを気に入っているようだ。私は全然そんなことないけれど。作られたキャラというのがどうにも苦手なせいだろう。

 午後4時の教室。課外や部活などでクラスメートのいないこの教室からは綺麗な夕焼けがよく見える。それを撮りも描きもせず、肉眼で見つめるのがマイブームだ。しかし、芹沢は夕焼けと私を断絶させるように窓際に座る。仲の良いメンバー、というか取り巻きの女子は今はいないらしい。

「ヒマと言えばヒマだけど、どうかした?」

「相談したいことがあってね」

 芹沢は大事なものを抱えているように両手を組む。指先が夕日に照らされて、桜色の爪先がオレンジに光る。

 彼女の仕草はいつだって夢を見る少女そのものだ。小学生の時好きだったアニメに出てくるアイドルによく似ている。私も当時はよく真似していたが、小学4年あたりでクラスメートに「辻浦さんってそういうの似合わないと思うの」と控えめに、しかしはっきりと言われてしまったので自分に絶望してやめた。

「私ね、モデルになりたいんだ」

 ふうん、いいと思うよ。

 それだけ返せれば良かったのだが、なんだか失礼な気がした。今は高校3年生。将来を決めていないのがもう少数派で、「絶対にこれ」というものがなくても、行く大学の学部ぐらいは確定している。例えば私のように。

 そんな中、将来のことを相談しにくるのはなんだか時期外れのような気がした。それこそ、冬に紫外線対策をするようなものだ。いや、冬でも紫外線は天敵か。

「……どうして私に言ったの」

 私と芹沢には接点がない。同じ名前だが、それをネタにされたことはない。話したことはあるが、それも業務連絡。「辻浦さん、化学の先生が呼んでたよ」「わかった。ありがとう」、そのくらい。

「アタシの家族は猛反対でね。お姉ちゃんがおんなじこと言って大失敗しちゃったから」

 芹沢はそっと目を伏せる。話が長くなりそうなので、隣の席から椅子を拝借し、彼女をそこに座らせた。ポケットに手を入れると、乾いたハンカチの感触。

「でも、友達はみんな大賛成なの。ユウならいけるよ、ウチら応援してるよーって」

「……なるほどね」

「もうどうしたらいいかわかんなくなって。そしたら、友達が辻浦さんに相談してたのを思いだして……」

 そこで首をひねる。どうして私が出てくるんだ?

 リュックからグミを取り出す。小さい頃から食べている、酸っぱいパウダーがかかっているグミだ。今日は新作のイチゴ味。「食べる?」と手渡すと、ありがと、と不思議そうな顔で受け取られた。彼女の手の中にあるハート型のグミはとても大きく見えた。

「その子が辻浦さんに相談した時、話を聞いてもらえてスッキリしたって」

 心当たりがある。その子は確か委員会の友達で、人間関係に悩んでいたので話を聞いたところ、突然泣きだしてしまったので慌ててしまい、自動販売機で缶ジュースを買ってきて二人で飲んだ。今思えばもう少し何かできただろうと思う。その後「ありがとう。縁切れたよ」と言い、空いた友人の枠に入れさせてもらったが。

 芹沢はグミを口の中に放りこみ、指についたパウダーを舐めとる。その時見えた赤い舌に何故か心臓が逸った。逆光のせいで彼女の表情はよく見えない。

「私は話を聞くだけだよ。何もアドバイスとかはできない。それでもいいなら」

「……うん」

 芹沢の頭のなかには、さぞ美しい花が咲き乱れているんだろうな。そう思ったことは一度や二度ではない。能天気な夢見る少女というのが今までの評価だった。しかし、目の前にいる芹沢は、今まで見てきた芹沢とは違う。普通に悩む普通の女の子。

 今までの印象は、どうやら失礼にあたるようだ。悪かったよ、と頭の中で謝罪しておく。

「アタシね……スカウトされてるんだ。モデルにならないかって。詐欺なんかじゃないよ。ホントの芸能事務所」

 3年生の4月の頃、昼休みに女子数人がやかましく騒ぎたてていた。彼女らの中心には一冊のファッション雑誌があり、そこでは『発掘!美少女読モ』というコーナーで芹沢がはにかんでいた。それは雑誌に載っている他のどの少女よりも可憐で華やかに見えた。花柄のワンピースに茶色のショートブーツ。腰に巻いたベルトが彼女をより華奢に仕立てあげていた。ある程度加工されているとはいえ、紙面で見る芹沢はいつも見る芹沢より一段と愛らしかったことを覚えている。

「それでね……アタシね」

 そのタイミングで、教室のドアが開かれる。ガラガラという派手な音を立てて現れた空間には、芹沢の友人達がいた。バレなければ問題ないだろうと言わんばかりに顔に施された化粧。それぞれ自動販売機で買ったらしいドリンクを持っている。様々な香水の混じった匂いはむしろ臭く、思わず顔をしかめた。

「ユウ、こんなトコにいたあ。……え、辻浦さん?」

 一人がやっと私の存在に気づく。

「めずらしー。ユウと何話してたの?」

「最近自動販売機に追加されてたいちごジュースについてだよ」

 咄嗟に嘘をつく。これでいい? と芹沢を見ると、彼女はさらっとウィンクを返してきた。実際自動販売機にはつい一週間ほど前、紙パックのいちごジュースが追加されていた。

「辻浦さんも飲んだの? あれどうだった?」

「美味しいけど、値段に対して量が少ないなあとは思った」

 恐怖と声の震えを抑えて返答する。

 いわゆる陽キャと呼ばれる人間との会話には一言一句に気を使う。うっかり彼女達の機嫌を損ねると、明日から教室にいるのがしんどくなるから。中学生の時、そうした女子に失礼な態度をとってしまい、陰口を叩かれた時期があった。その中心もまた『ユウ』で、彼女は「あんなヤツと同じ名前なんて最悪」と笑っていた。

「わかる。あの値段ならもっとあってもいいよね」

「ユウ、そろそろ帰ろ!」

 一人が芹沢に笑いかける。まるで、私を牽制して「お前ごときが芹沢優に近づくな」とでも言うように。背筋に悪寒が走った。

 うん、と芹沢は椅子から立つ。短いスカートと長い髪が揺れる。顔はもう、いつもの幼い笑顔に戻っている。そんなに嬉しそうな顔をするなら、その悩みも彼女らにシェアするべきだったのに。

 友達なのだから。



 それからというものの、芹沢は時折私のところに来るようになった。今までの友人と同じく、いつも一緒にいる人がいない時に来る、言わば『サブ友達』のようなものだ。最近は放課後、いつも残っている私に対してくだらない話をする。

「それでね、絵はがきなら文字じゃなくても気持ちが伝わる! って思ったのか……」

 彼女の話は豊富だ。しかも物語がうまい。あのシェヘラザードの生まれ変わりと言われても納得できるぐらい。今は小さい頃のお姉さんの失敗。昨日は初めてメイクをした時の話。

 そのキラキラした瞳は、金平糖の瓶を思い浮かばせる。前のような憎悪はなく、私も相づちをうちつつ時折質問をするようになっていた。

 私と夕焼けを分けるようにして座っているのは相変わらずだけれど。

「……辻浦さんって、なにになるの?」

 話が一段落して、芹沢はぽつりとこぼす。びっくりして、目を二三回瞬かせた。頬杖を外し、えーっと、と濁す。

「わからない。大学に行ってゆっくり見つけるよ」

「そっか」

 様子がおかしい。体調が悪いのか、だぼだぼのカーディガンの裾を握りしめている。

「……アタシ、どうしたらいいんだろうね」

 ざあ、と強い風が教室を通り抜けていく。茶色の髪が揺れる。俯いていて見えなかった顔が現れた。マスカラで造られたと思っていたまつげには夕日の光が乗っている。

「何が?」

「モデル。みんな、『やったらいい』って言うだけで、具体的にどうしたらいいのかは教えてくれないし。親には死ぬほど反対されるし」

「……芹沢さんはどうしたいの?」

 彼女は「え?」と顔を上げる。まるで、そんな呼び方初めて聞きましたけど? と言っているように。

 ああ、やっぱり芹沢は好きじゃない。ユウというよくある名前の癖に、名字で呼ばれたことがないらしいなんて。この人も、私から『ユウちゃんと呼ばれる権利』を平然と奪っていき、それにも気づかない。

 すっかりふてくされ、机に肘を乗せた。

「モデル、やりたいの? やりたくないの? それ、かなり重要だと思うけど」

 しまった。ついキツい口調になってしまった。

 冷や汗が伝う。

 けれどもそんな私の心情を知らないまま、彼女は笑う。綺麗に笑う。美しい夕焼けから視界の主役を奪うぐらいには。

「……わかんなくなっちゃった」

「……うん、そっか」

 それしか言えない。黙ってうつむく。静寂が耳にいたい。遠くから陸上部らしき掛け声が聞こえる。敷地内をぐるぐる回っているのだろうか。

「どうしよう、アタシ、もうダメかも。卒業まであと少ししかないのに、決めなきゃならないのに」

 彼女の小さな両手が、その顔を覆い隠す。声が濡れている。少し黙っていると、彼女はひっくひっくと控えめにしゃくりあげながら泣き出した。カーディガンの袖の色が少しずつ濃くなっていく。

 どうしたらいいかわからない。とりあえず右手を彼女の頭にのせ、撫でる。

「ごめんね。アタシばっか」

「私の前でぐらいそんなのでいいよ。『いつも可愛いみんなのアイドル』でいる必要ないよ」

「……ありがとう」

 震える声で呟くように彼女は言った。

「……ねえ、辻浦さん」

 両手をはずした芹沢は笑う。初めて見る、困ったような笑顔だった。

「アタシって、なんで生きてるんだろうね」

「……はあ?」

 あまりに突拍子のない質問だったので、私は思わずからだをのけぞらせて大声を出してしまった。芹沢は「ごめんごめん」と平謝りする。

「死んでないからじゃない?」

 芹沢が、生きることに疑問を持っている。主語と述語の噛み合わせの悪さに混乱して、そんなことを言った。彼女は曖昧に笑って、「だよね」とだけ笑う。ふわふわと笑う。

 そうして私達は別れていった。



 次に会ったのは卒業式ではなく、芹沢の葬式だった。死因はロープで首を絞めたことによる窒息。自殺だった。遺書はなかったそうだ。代わりに――なのか、自室の引き出しには夕焼けのポストカードが入っていたらしい。それは小学生からの親友だという女の子に渡されていた。その子は「こんなの残して……わかんないよお」と泣き崩れていた。

 棺桶で初めて見る寝顔は安らかだった。色鮮やかな花の中でもなお、彼女は愛らしいままだ。首には念入りに花が敷き詰められている。そういえば彼女は何の花が好きだったのだろうか。

 額縁には綺麗に笑う芹沢がいた。しかし、あの時の笑顔とは比べ物にならないぐらい作り物めいている。

 クラスメート達は大泣き。クラスの中心である人もそうでない人も肩を震わせ、遺族の人のように泣いている。少し首を巡らせば、彼女と同じ中学校だったらしい人もたくさんいた。付き合っていたという男子は何度も何度もなんで、と繰り返している。壊れたおもちゃのようだった。

 なんだ、愛されてるじゃない。

 しかし、当時の彼女には重すぎる愛だったかもしれない。周囲の期待に応える能力もなかった。だからあのように能天気に振る舞っていたのだろう。

 みんなが彼女に永遠の別れを告げていく。愛した彼女との別れは単調なもので、「今までありがとう」と「悩みがあるなら言ってほしかった」が主だった。自分達が芹沢を苦しめたという自覚はないらしい。

「……辻浦さんじゃないの。ユウを殺したの」

 目を赤く腫らしたクラスメートが私に食ってかかる。まだ別れの言葉を言っていない私は、席に座ったままその女子を見上げる。綺麗に整えられた眉毛が醜く歪んでいる。

 殺した、という言葉に、近くから小さなどよめきがあがる。

「そうだ、ユウちゃん、最近は辻浦さんとよく喋っているみたいだったよね」

「辻浦さんと? じゃあ、やっぱり……」

 いくつもの目、目、目が私を見る。心臓が痛い。何もしていないのに、むしろ彼女を殺したのはあなた達じゃないのなんて言えない。臆病な心が口を閉ざさせる。

 たくさんのユウが聞こえる。あなた達が呼ぶユウはこの世にいないのに。芹沢がいないなか、ユウと呼ばれるべきは私なのに。

「辻浦さん、ホントのこと言って。あの日、ユウと何話してたの?」

「……芹沢さんはね、悩んでたんだよ」

「なにそれ。イミわかんない。なんでウチらじゃなくて辻浦さんに言うわけ。ユウの友達はウチらなんですけど」

「もうやめなって!」

 別のクラスメートが割って入る。どちらかというと地味に分類される女子だが、時折芹沢と話しているのを見かけたことがあった。彼女にならって化粧を始めたというその女子の目には微妙にラメがのっている。爪にもベージュ色になっていた。

「ユウちゃんはもういないんだから、そんなこと言ったって仕方ないよ。辻浦さんも、煽るようなこと言わないで……!」

 芹沢の友人は、今が自分の友達の葬式ということを思い出したのか、ゆらゆらと自分の席に戻っていく。幽霊か、酔っぱらいのようだ。すとんと椅子に腰を落とすと、すんすんと慎ましく泣き出す。似たような仕草でも、芹沢の方がずっと可愛い。

「ユウ、なんで、どうして……!」

「辻浦さん、辻浦さんからも何か……」

 担任に促され、立つ。背筋を伸ばして堂々と歩く。会場でほぼ唯一泣いていない私には注目が集まった。親族、僧侶の人、それから額縁の芹沢に一礼する。右手の親指と人差し指と中指で抹香をつまみ、焼香した。鯉に餌をやる感覚。炭が一瞬夕焼け色に燃え、元の色に戻った。

 両手を合わせる。かける言葉は決まっていた。

「卒業おめでとう、優ちゃん」

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