第29話

「……で?」

 夜、丑三つ時。濃紺のビジネススーツにローヒールのパンプスを履いた蘭円あららぎ まどかが、促した。

「婆ちゃん、あの……」

 ともえは、自ら説明しようとする、が。

「初めまして、滝波信仁たきなみ しんじと言います。不躾ですみませんが、いずれ巴さんを嫁に頂きたく、そのお許しを保護者である円さんに頂こうと、こういう次第です」

 練習でもしてきたかのような立て板に水の説明を、巴を手で制した信仁が述べた。

 円は、ニヤリとして信仁を見る。高校生にしては大柄、175センチちょっと、くらい?運動してるのか、肩幅もある。革ジャンボンバージャケットにジーパン、足下はトレッキングシューズ。いわゆるミリカジ系か。彼我の距離は3メートルほど、大きなライフルのグリップを右手で握り、機関部を肩の前に載せるように支えている。銃口は空を向いているが、即座に撃つ態勢にも移れるし、そもそも体力筋力に優れているのが持ち方と銃の安定性からよくわかる。風がほとんど動かないこのステージの上では、相当撃ち込んできたのだろう、銃からも革ジャンからも、硝煙の匂いが強く香る。

「はっきりしてていいわね、そういう子、おばさん好きよ」

「じゃあ、お許しをもらえた、ってわけには……」

「行かないのよ。ごめんね」

 円は、肩をすくめる。こればっかりは、円にもどうにもならない。そういうしきたり、掟なのだから。

 人狼、彼女たちの言う聖狼族は、獣妖の中でも特に血統を重んじ、為に、混血を許し血が交わることで新しい力を得ようとする狐狸の類いと対局を成す事で知られる。それが故に、人狼に恋慕する他の種族の獣妖は滅多にいない。ましてや、人間など。

 とはいえ、時代は変わり、人にまぎれて暮らす獣妖も増えた。若い男女であれば、知らず知らずのうちに惹かれあうこともあるだろう。とは言っても、たいがいは獣妖が正体を現した時にその恋は終りを告げる。異質なモノを、はいそうですかと受け入れられるような器量のある人間は、そうそう滅多にいるものではない。

 それでも極まれに、互いを許し合う者達が出る。そんな時、聖狼族は面倒なのだ。

「信仁君、だっけ?もう聞いてるって事でいいのよね?悪いけど、巴を娶るってんなら、あなたが人狼ひとおおかみまさる事を、里の代表であるあたしに勝って証明して貰わないといけないの。それが、力を信奉するあたし達人狼ひとおおかみ、聖狼のルール。時代錯誤だし面倒くさいけど、一族をまとめるためには仕方ないことなの。ごめんね」

 円は、優しい声でそう説明する。これで何度目だろう、何十年かに一度、こういう役目がひょっこりやって来る。それ自体は、もう慣れた。

 ただ、それが自分の血縁者というのは、あんまり経験がない。

 なかった、のだが。

――それが、二回連続だもんねぇ……――

 円は、今目の前に居る信仁に寄り添う巴と、ステージの下の観客席から様子を見ているかおるかじかの三姉妹の母親、しずかの事を思い出す。

――因果、なのかねぇ――


「理解しているつもりです。なんで、準備はしてきました」

 円の説明に答えながら、信仁は右手で支える大型のライフル――PSG-1、ドイツ警察が発注元の狙撃銃――のマガジンを抜いてみせる。そこに収まっているのは、7.62mmNATO弾、しかし、弾頭は銅で被覆されたFMJフルメタルジャケットではない。

「一応、銀です」

 離れたところにいる馨と鰍が、息を呑んだ。既に知っていたのだろう、巴の表情に変化はない。

 どうしてか、すまなそうに微笑んで、信仁はマガジンを銃に戻す。

「予習、して来たんだ?」

「はい、真剣勝負ですから」

 ちょっとだけ真剣な目で問う円に、信仁が答えた。

「なら、恨みっこなしだよ……一度だけ聞くよ。思い直す気はないかい?あたしなら、全部忘れさせてあげられる、哀しむこともなく、その原因ごと全て無かったことにしてあげられるよ?」

 本当に優しく、円は問う。

「……覚悟は決めました。あねさん、じゃなくて巴さんを忘れるくらいなら。親不孝で申し訳ない話だってのは分かってますけど」

 信仁が、肩をすくめて答えた。

「わかった。その時は、親御さんの事は任せな」

「お手数かけます」

 いい返事だ、円は、本心からそう思った。いいねえ、若いってのは。後先考えないから、思いきりが良い。

「鰍!人払いは?」

「出入り口は封じたわよ、さっき最後の一人が出てったから、今は公園内はアタシ達だけよ」

 練馬区の中央からやや南西寄り、西武池袋線石神井公園駅と西武新宿線上石神井駅を結ぶ線上に、今、彼らのいる石神井しゃくじい公園がある。巴や信仁が通う早大学院はやだいがくいんのすぐ側であり、多くの運動部のランニングコースになってもいるその公園は井草通りで東西に分けられている。その東側、石神井池を望むほとりに、地域の催事で使われる、上手から下手まで20メートル弱の野外ステージがあった。その中央やや下手側に立つ円に向かって、客席ベンチから鰍が返事を返す。

「でも、空間はこの辺しか封じてないの。まさかそんなでっかい銃持ってくるって思ってなかったから……」

 ちょっとだけ済まなそうに、巴の末の妹である鰍が付け足す。確かに、日本国内において、相手が人狼とは言え一般人が銃を持ち出す可能性は皆無に等しいと考えるのが普通だろう。

「……そうね、銃声もそうだけど、流れ弾はまずいわよね。いいわ、あたしが公園全体を封じてあげる。公園全部使うつもりなんでしょ?」

 円が、信仁に聞いた。まだ未熟な鰍では、短時間ならともかく、公園全体を長時間、音も光も銃弾も漏らさぬように封じ続けるのは酷だと踏んだようだ。

「いえ、このステージまわりだけで十分です。最初は確かに公園全部使おうと思ったんですけどね」

 信仁が、答えた。

「……いいの?だって、あんたのその銃じゃ」

 接近戦では、普通に考えれば人狼に対して人間は手も足も出ない。速度でも、力でも。勝ち目があるとしたら、その狙撃銃のような射程と威力のある銃で、人狼を接近させずに撃つ、それを狙っているのだと思ったんだけど。勿論、おとなしく撃たれてなんてあげないけど……でも。円は、ちょっとだけ疑問を感じる。

「いいんです。その替わり、ルールを決めさせてもらえますか?」

 何か企んでる?企んでいないわけないか。円は、その企みに乗ってみることにする。乗ったところで、大勢が変わるとはとても思えない。

「いいわよ、どうしたいの?」

「まず、円さんにここから七歩離れてもらったところから始めさせてもらえますか?俺は銃口を下げた状態から、円さんは済みませんが後ろ向いた状態からスタートで。鰍さん、このステージの周りだけ、封じてもらえますか?馨さんは、カウントダウンお願いします。カウントゼロで、始めましょう」

 円は、信仁の真意が読めない。このルールのどこに、彼が有利になる要素があるのか。いや、むしろ、これじゃ不利なんじゃないの?

「いいの?それで」

 もう一度確認した円に、信仁は頷き、右太腿のレッグホルスターからハンドガン――M1911ベースのストライクガン、ただし弾薬は38SuperComp仕様――を抜いてスライドを引き、セイフティをかけたコック&ロック状態にしてホルスターに戻す。そのまま、慣れた手つきでPSG-1のコッキングハンドルを引き、離す。金属音とともに、勢いよく初弾がチャンバーに送られる。信仁の親指が、PSG-1のセイフティを解除する。

 銃の扱い、慣れてるわね。円は感心する。ガンマニアって奴?高校生のはずだけど、いやに銃の扱いに慣れてるみたいじゃない。

 ふっと、片方の口角を上げて一つだけ笑うと、円は踵を返して歩き出す。七歩、割と大股に。七歩目で止まり、そのまま肩幅より少し広く両足を踏みしめた状態で、背中越しに、聞く。

「鰍?」

「うん、今やってる」

 鰍の周りに、淡く光る法円タリスマンが展開している。喧噪や流れ弾を周りに漏らさぬよう、この空間を封じようとしているのだ。

「じゃあ、準備出来次第、いつでもいいわよ?」

 円が、背中越しに声を投げた。

「少しだけ、済みません」

 信仁が、答える。

「そのつもりはないけど、あねさん、巴さんと今生こんじょうの別れかも知れませんからね」

「……いいわよ、ごゆっくり」

 懐から鉄扇を取り出しながら、円は、他の誰にも分からないように、少しだけ笑った。


「じゃあ、姐さん、後はよろしくな」

 自分のすぐ後ろでずっと黙っていた巴を抱き寄せ、信仁がその耳元に呟く。

 黙ったまま、巴は頷く。トレッキングシューズにスリムのジーンズ、薄めのダウンベスト。その下は薄手のウールのセーター。ちょっとだけ、この季節の深夜には肌寒そうだ。

 その様子を、円は背中で聞いている。人が動く気配、衣擦れの音、銃を持ち直す音、そして。

「ちょ、え?信、んっ……」

 何事か言おうとした巴の声がくぐもり、途切れる。

 そんな姉の様子を見ている二人の孫達の、息を呑む気配。

 何が起きているか、円は想像する。若いわねぇ、そう思う。とはいえ、手加減はなし。手加減は、相手を侮辱する行為だから。


「馨さん、カウント初めてくれ。姐さん、じゃあ」

「うん……」

 ややあってから、信仁の声と、巴の返事。馨が、慌てて十からカウントダウンを始める。足音が一人分、離れる。馨のカウントダウンの声が、少しうわずっている。目の前で姉が唇を奪われたのを見て、動揺しているのか。まったく、まだまだ子供なんだから。円は、右手の黒い鉄扇、羅生らしょうを持ち直す。

「さん……にい……いち……ゼロ!」

 その瞬間、人間のそれをはるかに超える反応速度で、円は振り返り、跳ぶ。

 大股に七歩、およそ5メートル。円にとっては、軽く一歩の跳躍で詰められる距離。振り向きざまに目に入った、大型ライフルを構えた人影に向かって円は跳び、その首筋に鉄扇を叩きつける。

 羅生は、人を殺さない。首を刎ねても、命は取らない。そういう呪物だ。殺す必要はない。勝負がつけばいい。勝負には手を抜かないけれど、それが相手にかける円の情け、のはずだった。


 振り向いた瞬間に、飛び出した瞬間に脳は理解した。そこに立っているのは信仁ではない、そこに居るのは、信仁の革ジャンを羽織り、信仁の銃を構えた巴だと。

 七歩の距離。もっと近ければ、振り向いただけで手が届く。気付く前に首をねていた。もっと遠ければ、跳んでも二歩か、あるいは跳ぶ前に腰を落とし力を溜めるから、手が届く前に気付いたはず。

 七歩は、拳銃で最も狙いやすい距離。それを知っている円は、その距離自体が罠である事を、うっかり見落としてしまっていた。ライフルを使うと見せかけて拳銃で撃つ、そういう作戦だろうと読み、撃たれる前に勝負をつけようと、跳躍していた。

 気付いても、翼を持たぬ身では、体が空中では方向転換は出来ない。思わず首をすくめている巴の目の前に着地し、すんでの所で鉄扇を停めた円は、どこかにいるはずの信仁を探す。目の前の、信仁の体臭と硝煙の匂いの染みついた革ジャンのおかげで、鼻は当てにならない。いや、そもそも風向きすら、そよとしか吹かない時間帯、地形から風が回る状況でなお、ごく自然に円の方が風上になるように誘導されていた。仕方なく目で探そうとして視線を振った、その時。

 客席ベンチの、馨と鰍の間に居た信仁の手の中で、拳銃が吠えた。


 結界を張る鰍も、カウントダウンをする馨も、声をあげることは出来なかった。その余裕は無かったし、声をあげたらそれはルール違反になる、円に有利なように動いてしまったことになる。

 だから、目の前で信仁が巴の唇を奪い、多少なりとも動揺した二人の間に信仁がすべり込んで来た時も、努めて平静を保とうとしていた。それでもすぐ隣に信仁が来ることで動揺した分は、しかしながらその直前の動揺の引き続きとして目立つ事はなかった。

 ベンチからステージまで10メートル弱。きちんとルールを守ってカウントゼロで銃を抜いた信仁は、1秒を切る早さで円をポイントし、初弾を放った。

 着地し、鉄扇を無理矢理停めた円は、撃たれた事を理解しても、避けることなど到底無理だった。着地の衝撃を逃がした後の、背筋も膝も伸びきった状態の円にかろうじて出来たのは、銃を構えている信仁の方に半身を開く、その動きだけ。

 その開いた半身の心臓付近を、強力さと高精度を両立した弾丸である.38SuperCompが、貫通した。

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