第18話 影に沈む


 あの日、会談を終えて国王が去った後でオッサンと二人になった時、追加の依頼と共にその名を告げられた。


「ファマウス、か」


「そうだ、奴だけは生かしておくことはできん」


 そう言われる予感はあった。


「お前達から報告を受けた、王都までのハイリア護衛の一部始終と、もう一方の当事者であるオルドレイク侯爵から聞いた話の中で、一つ、決定的に齟齬が生じている部分があった。それがどこなのかは、お前には言うまでもないよな?」


「エドラスの街での襲撃だよな」


 いくら大貴族とはいえ、家臣に大量の冒険者を雇わせて冒険者ギルドを包囲したり、我が物顔で日中の街中で戦闘を仕掛けたりしていいはずがない。

 ましてや、冒険者達の雇い主であるファマウスは、何のつもりか堂々とオルドレイク侯爵家を名乗っている。

 貴族お得意の隠ぺい工作だって限度がある。エドラスの街の住民全員の口に戸は立てられない。


「しかも奴は、冒険者達ギルドマスターのナッシェルが俺の息のかかった者だとわかった上で、襲撃を仕掛けた。これは、俺とエリーシアとの婚約を成就させたい侯爵の意向とは明らかに異なる」


 ついでに言えば、王都郊外で五千の軍を率いて黒鉄の虎と対峙したオルドレイク侯爵は、実に正々堂々とした言動を貫いていた。とてもじゃないが、王家直轄地であるエドラスの街で乱暴狼藉を指示した人物像とは一致しない。


 そんな納得できる材料を提示されても、俺には納得しがたいことがあった。


「だけどオッサン、なんでそのことを今更俺に話す必要があるんだ?俺だって馬鹿じゃない、この一連の騒動に関して、気になることが残ってなかったわけじゃないさ。だが、それはあくまでサーヴェンデルト王国の問題だと思って、見て見ぬ振りをして永眠の森に帰ろうとしてたんだ。それを蒸し返すってのか?」


「お前の言いたいことはよくわかる。だが、事はそう単純ではない、なかったんだ……」


「なんでだ?たかが貴族の家臣だ。オッサンやオルドレイク侯爵なら、命令一つでどうにでもできるだろう」


 俺の苛立ちが割と本気だとわかってはいるんだろう、オッサンは苦悩の顔を見せつつも、決して話をやめようとはしなかった。


「……結論から言おう。ファマウスはただの家臣じゃない。前オルドレイク侯爵の父親、先々代の隠し子だ。それも、母親の方もそこらの侍女などではない。家名は明かせんが、由緒ある貴族に連なる女性だ」


「……へええ、それはまた」


 それが事実なら、ファマウスの出生の秘密だけでも大スキャンダルだ。

 オルドレイク侯爵家と相手の貴族家の評判は地に落ちる。そうなれば、確実に騒動の再燃だ。


「先々代の遺言によって、分家待遇の家臣として遇してきたようだが、それが却って仇となったようだ。いつの頃からかファマウスは、将来はエリーシアを娶って次期当主候補に躍り出ることができると信じ込むようになったと、前侯爵から聞いている。実際、求婚まがいのことを何度か仕出かして、その度に前侯爵が叱責したらしい」


「だが、仮にも自分の主家を恨むことはできない。そこで降って湧いたのが、エリーシアの婚約話と――」


「その相手の俺の存在、だったようだ。エドラスの街にファマウス自らがやって来たのも、俺の弱みを握ろうと周囲を嗅ぎ回った末のことだったようだな」


 それが本当なら、ハイリアの脱出行はずいぶんと危ない話を渡ったということになる。

 俺に手紙を届ける前、もしくは俺と合流する前に、ファマウスの手に落ちていても何の不思議もなかった。


「……今思い出しても、本当にぞっとする。一歩間違えれば、俺の判断は取り返しのつかない結果を招くところだった。そういう意味でも、ファマウスを生かしておくことはできん」


 そう言って、オッサンは最初の言葉を繰り返した。


 話を整理する――必要はないだろうな。


 オッサンにとってはハイリアに危害を加えようとした敵。

 オルドレイク侯爵家にとっては存在そのものがタブーな上に、主の意向を無視し暴走した危険人物。


 この二者にとって――いや、ファマウスの母方の貴族家を加えた三者かもしれんが、ファマウスはこの世にいてもらっては困る存在というわけだ。


「だが、俺やオルドレイク侯爵家が、直接手を下すのはまずい。万が一にも関与を疑われれば、ファマウスの出自まで知られる恐れがある。それだけは何としても避けたい」


「あー、その先は皆まで言わなくても、俺でもわかる。ファマウスには心強いお友達がいるみたいだからな」


 どういう伝手を持っているのかまでは分からんが、奴は大勢の冒険者を雇って、エドラスの街で俺達を襲ってきた。しかもご丁寧に、A級冒険者という切り札付きでだ。

 俺が言うのもなんだが、普通A級冒険者といえば、実力、評価、待遇などあらゆる面で、ギルドの最高戦力と言って差し支えないらしい。

 S級?誰だそいつは?奴なら死んだ。


「A級冒険者を相手にすると同時に、ファマウスを秘密裏に始末する実力者となると、俺にはお前しか思い浮かぶ者がいない。頼む!金輪際お前と関わるなというのならそれも飲む!だから今回だけは俺の――」


「オッサン、知ってたか?俺はいつも依頼を受ける時に、裏目標を設定してるんだぜ?まあ、面倒な依頼へのモチベーションを上げるための口実と言ってもいいが」


「お前、一体何を……?」


「今回の俺の裏目標はな、ずばり、ハイリアの幸せを見届けることだ」


 そう言って立ち上がった俺を見て、オッサンの体が震えた気がした。


「一度助けたガキンチョが幸せになる。これ以上、冒険者冥利に尽きることはないだろ?」


 たぶんだが、こういう時の俺は、オッサンをビビらせるくらいに、相当本気の眼をしてるんだろうな。






「ひ、ひいっ、誰だ!?」


「黙って伏せてろ!」


 聞こえるはずのない第三の声に、小屋の中にいるファマウスが悲鳴を上げるが、付き添っていた冒険者が素早くその場に伏せさせた気配がした。


 ここは、オッサン達がいる私邸が見下ろせる丘にひっそりとある小屋。

 私邸からは木々が死角になって見えず、格好の監視場所なのだが、俺が以前にちょっとした用で周囲の偵察に来た時には、朽ちかけのボロ小屋だった。

 だが今は、月明かりでもわかるほど、小屋の所々に補修の跡が見られ、長期の監視も可能になっているように思える。


 ……やれやれ、一体いつからオッサンは監視されていたんだろうな。


 逆恨みとはいえ執念深いファマウスを褒めるべきか、暢気にも自分の危機に気づかなかったオッサンを責めるべきか。

 そんな感じで迷っていると、小屋のドアがゆっくりと開けられ、中から冒険者というよりは暗殺者のいで立ちをした男が一人、剣を片手に出てきた。


「おい!どうせ見てやがるんだろう?ならとっとと姿を見せやがれ!」


 一見、慌てふためいた姿を見せることでこっちの油断を誘っているつもりなんだろうが、魂胆は分かっている。


「おおかた、周囲に隠れ潜んでいる仲間に知らせるための大声、ってか?だが残念、その方法は、お前さんが最後の一人の場合には通用しないぜ、A級冒険者のアグランドさんよ」


 正体が分からないようにカーキ色の布で顔を覆った俺は、月光を背にする形で、ナイフを片手に木陰から姿を現しながら、ファマウスが雇ったA級冒険者、アグランドに向けて言った。


「んなっ!?仲間は四か所に散らせてある上に、その中にはB級冒険者が三人もいるんだぞ!そいつらが周囲に知らせる間もなく全員やられただと!?」


「確かにあんたの仲間は優秀だった。正体不明の襲撃者というとっさの事態にも、戦おうとはしないでまずは応援を呼ぼうと的確に動いた。ただ一つ足りなかったものがあるとすれば、純粋な実力だな」


「バカ言え!B級冒険者といえば上級騎士にも匹敵するんだぞ!あいつらを瞬時に無力化できるバケモノがそうそう転がってるはずが……」


「それこそ、バカ言え、だな。お前が敵に回したのは、冒険者ギルドのグランドマスターだぞ?なりふり構わなければ、B級冒険者くらいどうとでもできることくらい分かってるだろうが」


「ま、まさかS級……?いや、そんなはずはねえ!王国内のS級冒険者の居所はちゃんと調べさせた!どいつも今日ここには物理的に間に合うはずがねえ!!それこそ幽霊でもないかぎ……てめえ、まさか『銀閃』!?」


「正解」


 そう言った直後に、月明かりの中で銀の反射光を晒していた右手のナイフを投擲した。


「舐めんな!!」


 キイン


 だがさすがはA級冒険者、林の中という限られた視界の中で音もなく飛んだナイフを落ち着いた挙動であっさりと払った。

 その動きを隙と見た俺は、アグランドの方へ空いた右手で剣を抜きながら走り寄ろうとして――


「ぐあっ!?」


 木の影の闇に潜ませていた左手から手首の返しだけでもう一本のナイフを投擲、迎撃態勢に入っていたアグランドの剥き出しの二の腕に命中させた。


「けっ、こんなかすり傷くらい――れへへれえ?」


 俺との距離を測りつつ一歩踏み込もうとしたアグランドの体が、その軸足から腰砕けに倒れ込んだ。

 その衝撃で二の腕に突き立っていた艶消しの黒いナイフが地面に落ち、月明かりがその刃に塗られた紫色の液体を反射していた。


「森で採取した毒草を調合した、俺オリジナルの毒ナイフだ。効果時間中は指先一つ動かせないが、なあに、朝までには這いずれるくらいには回復するさ。人体実験は済ませてあるから間違いない。あとは、それまでに獣の餌食にならないことを、夢の中で願っておくことだな」


 現在深刻な冒険者不足に悩まされているオッサンからは、自分への襲撃犯とはいえできるだけ殺すなと言われている。俺も余計な恨みを買うのは万が一にもごめんだったので、永眠の森で作った麻痺毒を使うことにした。

 ちなみに、人体実験もウソじゃない。すでに死んだことになっている二大派閥の騎士やら魔導士やらの生き残りを有効に利用しただけの話だ。

 少なくとも俺は一人も殺していない、と思う。実験した後は市街地の外にいる奴らに引き渡したから、はっきりとは言えんが。


 まあ、過ぎたことはどうでもいいか。


 すでに昏睡状態に陥ったアグランドをその場に放置して、俺は小屋の中へと入る。

 そこには、自力で脱出する考えさえ浮かばなかったと見えるファマウスが、小さなランプの明かりに照らされた小屋の隅で、ガタガタと震えていた。


「う、ううう嘘だ!『銀閃』の全滅は私自らの手で調べ上げた確定事項だ!生きているはずがない!」


「いや生きてるだろ。こうして目の前にいるんだから」


「そんなわけがあるか!あの魔族の領域に入って生還した者は一人もいない!あの二大派閥でさえ無理だったのだぞ!!」


「おい、人の話を――」


「ひいぃ!?」


 俺が一歩近づこうとすると、なりふり構わず床を転げ回って反対側の隅に逃げ込むファマウス。

 そのせいで、大貴族の家臣の威厳を示す上等な衣装は塵と埃に塗れ、今は見る影もない。


「はあ、まあいいや、とっとと済ませちまうとするか」


「ふ、ふん!貴様、何を考えているかは知らんが、さっさとオルドレイク侯爵家に連絡を入れろ!そうすればこの無礼は忘れてやっても――」


「は?何言ってんだお前。俺の仕事は、お前をこの世から消すことだ。当然、オルドレイク侯爵も了承している」


 普段は姿を現すことすらない『銀閃』が目の前に現れるということがどういうことか。

 俺達は、オッサン子飼いの冒険者パーティとして名が通っているので、貴族の間でどういう噂が流れているか、ファマウスも知らないわけじゃあるまい。


 案の定、現実を悟って絶望した顔をしたファマウス。

 だが、奴の口から次に飛び出した言葉は、俺の予想を軽く飛び越えた。


「な、ならば、ナルニード伯爵家に私のことを伝えるのだ!お爺様なら、必ず私を救ってくれる!!」


 ……バカが、その名前を表に出さないために、オッサンやオルドレイク侯爵がどれだけ苦労しているか、コイツは知ろうともしていないらしい。


「何をしている!縛り首になりたくなければ早――モグゥ!?」


「もういい、喋るな。空気が腐る」


 俺はそう言いながら、ランプが映し出す自分の口を塞がせた。


「モガ!?モゴオオオオオオウ!!」


 それから、右手、左足、右足、左手の順に、次々と自分の影にファマウス自身を拘束させていく。


「ああそうそう、もう一つ、お前を生かしておけない、個人的な理由があるんだよ」


「モガガ!!モググフフフフッ!!」


 まるで駄々っ子の様に首を振り続けるファマウス。

 その瞳が反射する俺の両の眼からは、ランプの光などでは決してない銀の閃きが爛々と輝いているのが映し出されている。


「お前はハイリアを殺そうとしたよな?許せないんだよ。種族は違えど、同類を何の理由も無く手にかけようなんて外道は」


 内に秘めていた怒りをぶちまけながら近づいた俺は、ファマウスの頭を右手で掴んで、下へ下へと押し込んでいく。


「ムグウウウウウウウウウウウウッ!?」


 すると、俺の押し込む力に比例して、ファマウスの体が影の中へと沈み始める。


「それともう一つ言い忘れていたが、俺はお前を殺さない。殺すのは、お前自身だ。見ることも、聞くことも、触れることもかなわない永遠の闇の中で、その弱すぎる心がお前を殺すことになる。それが十日後か、一日後か、あるいは一瞬の後かは知らんが、精々それまで恐怖と後悔に震えてろ」


「ムウウ!!ムウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――」


 トプン


 飛沫一つ立たない暗黒の海に沈んだファマウス。


 やがてその影も、そして形も無くなったことを確認した俺は、夜明け前の闇に溶けるように小屋を後にした。


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