認識の始まりは存在の証明

 注文は、意外と面倒なものではなかった。

 というのも、あちらが提示した機材のほとんどは既存の技術で賄えるものばかりで、こちらが要望を満たしたものを一から作る必要がないものがほとんどだった。

 逆に、重力波の観測のために用いる『疑似ブラックホール発生機』の開発はあちらの理論構築がなければまず発想に至らなかっただろう。磁力を用いて周囲の重力波を捻じ曲げて、核となる人工ダイヤモンドへ向ける。書面上の観測予想値は千二百Gまで加速するらしい。……ダイヤでは砕けるんじゃあないだろうか。

 そもそも、重力波を磁力で捻じ曲げられるなんて話は聞いたことがない。リニアモーターカーで磁力を用いるのはあくまで浮かせるためだけで、重力波を無効化しているわけではない。いや、効果は確かに重力波を無効化できてはいるが、現象としては別物だ。

 とはいえ、開発にどれだけ時間がかかっても問題ない(そもそも開発段階から授業として運用することができる)と言われているので、こちらとしてもありがたい話ではある。これが実用段階まで話が進めば、……話が進めば?

「これで、何が分かるんだろうか」

 ゼミを離れすぎたせいなのか、今のゼミ生が優秀だからなのか、この実験装置が何を求めているのかが少しわからなくなってきた。

「……仕事しよう」




「これは何をする部品なんでしょう?」

「光の粒子を加速させるプリズムです。交互に反射させることで同じ方向へ光線の導線を作ると、粒子同士がお互いを加速させるんです。それを調整するための部品ですね」

 説明はしているものの、自身でもあまり明確には理解していない。会社の技術担当の中でもごく一部の人間だけが理解している理論を用いて設計された装置を、私が現場で組み上げているだけに過ぎない。基礎理論と装置から導かれる結果くらいは分かるが、理論の説明まで求められるとさすがに詰まる。

「なるほど、光を私たちが後ろから押しても間に合わないから、光自身に光を加速させるお手伝いをさせるということですね。粒子観測中のふるまいを逆手にとった方法ならでは、ということかしら」

 私がここで働くようになってからこの学生…… 八尾さんという方がよく作業場に入ってきて組み立てを見学していく。

 最初は物分かりが悪い学生かと思ったが、聞いたところ装置の基礎理論を構築したのは彼女と聞いて、認識を改めた。恐らく私より相当頭がいいはずだ。もっと言えば、私がゼミにいた頃よりも学生のレベルがかなり高くなっているのだろう。そう思うと今の自分の仕事も決して手を抜けないな、と力が入る。

 そんなやり取りをしていると、午前の講義が終わるチャイムが鳴り響いた。

「あ、ごはんの時間ですね。和野さんはお昼どうされるんですか?」

「え、と。学食を頂いてます。今日もそこで」

「そういえば、もとここの学生さんでしたっけ」

 彼女も荷物をまとめて出る準備をする。

「なら、一緒に行きましょう、学食」

 何をどう間違ったのかは分からないが、これは恐らく「気に入られている」ということなのだろうか。実感がないまま、今日はこの後も長く二人で作業を続けた。




「どうですか?」

「ええ、なかなかのお手前で。ポテトサラダなんか好みの味付けです」

 数か月後。

 色々なことがありながらも私は彼女八尾さんと付き合うことになった。

 今、恋人同士でよくある「彼女の作ったお弁当を青空のもとで一緒に食べる」というイベントを堪能中である。

 年齢も離れているし、そもそも彼女はまだ学生だ。お互い節度を持って接する必要がある。と思っている。が、そんな私の思いと裏腹に彼女の押しは非常に抗いがたい。

 季節が巡って彼女は二回生になり、ゼミも普段の授業も多くなっているが、一緒にいる時間はむしろ増えているように感じる。基本的に授業がない時間は私が学校にいる間はほぼ一緒にいるようになった。

「やった。そのポテトサラダは自信があったんですよ。隠し味にマスタードが入っているんです」

 なんとなく、話をするうちに視線がお互いを捉えると、そのまま動けなくなる。

 くりくりとよく動く大きな瞳、つややかな朱に彩られた唇。

 流れる顔の輪郭にかかるまっすぐな前髪。

 彼女も、同じように私の顔を見つめる。

 思わず息を漏らすと、彼女の吐息が頬をかすめる。

 と、そこで昼休みが終わる予鈴が鳴ることで我に返った。

「あ、お昼もうすぐ終わっちゃいますね……」

 ふい、と彼女が空になった自分の弁当箱を急いでしまう。

「ごめんなさい、このあと講義があるので先に失礼しますね」

 頬を赤く染めた彼女は、そのままいそいそとこの場から去っていった。

「あ、弁当箱……」

 まだ残っている中身を急いで平らげ、私も残りの作業をこなすために作業場へと向かった。

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