その後

 1949年、ハレルフォルデンは「胎児期の一酸化炭素中毒による脳の発達障害について」と題された論文を発表した。T4計画でガス室に送られたが死なずに生き延びた、知的障害の妊婦が生んだ子に関する病理学報告であった。


 戦後はじめてドイツで神経病理学会が開かれたとき、彼は「ナチス安楽死計画における精神疾患の精神病理」という発表を行おうとした。これは阻まれた。あまりにも研究手法が邪悪であるということから、学会側に拒否されたのである。


 しかし、それでもその後もハレルフォルデンが医学や研究の世界から逐われるということはなかった。ギーセンの教授職を務めた後、マックス・プランク研究所に地位を得、1965年まで生きた。


 現在のベルリン動物園通り四番地にはT4計画の犠牲者を偲ぶモニュメントが建てられている。その犠牲者総数は、累計で20万人に及ぶという。T4計画に関与して有罪になった者のうち、死刑を執行された者は結局わずかに2名であった。ドイツ精神医学会がT4計画への関与を認め、公的な謝罪を行ったのは2010年のことである。

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It's not brain surgery きょうじゅ @Fake_Proffesor

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