3. 共同浴場

 俊彦のアパートは東京の西の端、多摩川の近くにある。バイクに乗り始めた頃は川の土手で慣れる事から始めて、少し自信が持てたら手近な奥多摩や丹沢に日帰りで走りに出かけた。


 初めてキャンプを経験したのは信州で、それからしばらくは伊豆や西の地方にばかり出かけていた。


 けして東の地方に興味が無かったわけではない、ただ北関東や東北に行くには都心を横切らなければならない。バイクに慣れないうちは、複雑で渋滞が酷い東京の道を走る決心がつかずに、東の地方はしばらく地図で眺めるだけだった。


 ある晩、布団に寝転んで東北地方の道路地図を見ていたとき、二つの道が山の上で繋がる長い林道を見つけた。


 ダムの周囲を走る道が急に山を登り、峠でスーパー林道と繋がっている。スーパー林道は県境を越えるかなり長い林道で、大半が山の上を通っていて途中に集落も見当たらないから舗装されていない可能性が高いように思えた。


 もしこの二本が全部未舗装だったら合計数十キロにもわたる砂利道となり、相当走り応えがあるはずだ――。


 途中、林道同士が繋がる峠から枝道が伸びていて、その先に温泉マークがあり、道はそこから街へと下っている。枝道に入らずにスーパー林道を走り抜けた先にも温泉マークがあったが、どちらの温泉場も俊彦は名前を聞いた事がなかった。未知の魅力に強く惹きつけられた、地図は時折、旅人に夢の在りかを教えてくれる。


 土曜の朝にアパートを出たが、途中の山道に意外と時間がかかり、林道の入り口に到着したのは、日が山に隠れようとする頃だった。


 思った通り林道は出だしから舗装されていなかった。ダム湖の縁に沿うように拓かれた林道は平坦で走りやすく、途中には枝沢に向かって小道が二本降りていた。すぐに日が沈みバイクのヘッドライトが届く範囲でその日の泊まり場を探した。


 しばらく迷ったが二本目の小道の河原を選んでエンジンを切った。周りが急に真っ暗になって、星を一面に鏤めた夜空だけが薄明るく光っていた。脇を流れる穏やかな沢の音と、その先で樹々の葉が時々さざめく以外には、自分の服の衣擦れと小石を踏みしめる音しか聞こえない。

 その晩は広い河原にテントを張って、独り占めの夜空と静かな夜を楽しんだ。


 翌朝、飯を済ませて林道を北へと進んだ。ダム湖を離れたところで道は上り坂に変わった、エンジンを唸らせカーブを繰り返しながら長い坂を登り終えると峠の分岐に出た、小さな鳥居があり周りに「林道交通安全」と書かれたのぼりが何本か立っていた。


 右に伸びている道は一つ目の温泉マークに出る道だろう、今は無視して左のスーパー林道に入る。こちらはさっきまでと違って山の尾根に沿うように続いている。


 進むごとに空気が明らかにそれまでとは違うものへと変わっていく、ガードレールの他に人工物は何も無い、砂利道の端から、どこの街道にもある白と青の見慣れた県境の標識が突き出ていた。バイクを降りて遠くを眺めると、どこまでも山しか見えない事がたまらなく嬉しくて、天上の世界に迷い込んだような気がした。


 長い林道を走り抜け里に下りた。地図上で温泉マークがある辺りに差し掛かったが、道路から湯気がたち昇る事もなく強い硫黄の匂いもしない。小さな赤い橋を渡ったとき、正面に周囲の家や旅館とはどこか違う灰色の古めかしい小屋を見つけた。


 物珍しさに惹かれてバイクを停めると、戸の脇の柱に赤いコーラの空き缶が吊されていた。缶のすぐ上にマジックペンで小さく「百円」と書いてある、たぶん共同浴場だ。


 余所の土地で銭湯のような浴場や野湯になら入ったことがある、だがこうした簡素な小屋の浴場は初めてだ。空き缶に百円玉を一つ入れて緊張しながら戸を開けると、いきなりいくつもの裸の背中が目に入り、そのうち幾人かが振り返った。


 老人特有の何を考えているのかわからない目が怖かったが、入れた百円玉が惜しくて棚に服を入れると浴槽に近づいた。老人のうちの何人かは、胸にゴーヤーみたいにシワシワで長く伸びたものを対でぶら下げていた。事情は理解できたが脱いだ服を今更着るわけにも行かず、俊彦はかけ湯をして恐る恐る湯に浸かった。


 老人たちはとにかくよく話し、よく笑った。耳が遠いのか皆大声で、訛りが強く早口だから何を言っているのかさっぱり分からない。一人で仏頂面をしているのも悪いと思ったが、愛想笑いをしようにも話しがわからなくてはタイミングが掴めず、最初はどうにも居心地が悪かった。


 日本人の風呂の入り方は時代で違い、さらに同じ時代でも身分や地域などで様々だったらしい。幕末から明治の初めにかけて日本を訪れた外国人のうち、街を見た者は頻繁に風呂に入る日本人に驚いたが、山村を旅した者は風呂に入る習慣の無い貧しい人々の姿を書き残している。


 今の風呂は裸で入るのが辺り前だが、渡来の仏教の影響を受けた時期は湯衣を着たと言う話がある。しかしその後の徳川の時代では、農民や海女の例を見るまでもなく庶民層は人前で肌をさらす事を特に気にせず、女性が人目に触れる庭で裸で行水をし、浴場も男女の別を作らない入込いりごみ湯が多くあった。


 一方でやはり渡来の儒教から禁欲的な朱子学を学んだ高級武士たちは、日頃から男女の接触を厳しく避け、それに倣った一部の裕福な商人も男女の入込湯をなるだけ避けたという話しがある。そもそも風呂そのものが、蒸し風呂から浴槽に張った湯に浸かる浴場まで、これも時代や地域で違っていた。


 男女の入込湯に関しては徳川の時代にも禁令が出た事はある。しかし守られたのは役人の目が厳しい都市部が主で、それも浴槽を男女に分けて間に衝立のような壁を立てただけで実際はどちらにでも入れるとか、風呂場に仕切りはあるものの洗い場や脱衣場には無いなど抜け道が考えられ、禁令は有名無実化してしまった。


 だがそんな庶民の生活文化も明治時代に入ると一変する。近代化の手本を欧米に求めた新政府は、来訪する外国人の目を気にするあまり、裸を野蛮で淫猥いんわいなものと考えた当時の欧米キリスト教文化に倣って、入込湯や庭での行水に限らず暑い日に往来で諸肌を脱ぐような小さな事に至るまで、庶民に根付いた肌を晒す習慣を徹底して取り締まった。


 しかしそれまで辺り前だったものを「今日から罪だ」と言われたところで、庶民側も簡単には納得しない。


 田舎の温泉場などは、男女別に改装する金が無かったり湯治の介添えに不都合などともっともな事情もあり、政府は町場の風呂屋の入込こそ禁止することができたが、温泉場のそれは目こぼしするしかなかった。


 時代が大正、昭和と移り、敗戦後の経済成長が始まると、豊かになった都会の人々がこぞって温泉場に出かけるようになった。古い温泉宿は団体客を当て込んだ現代風のホテルに建て替えられ、残されていた入込湯も、明治時代の流れを汲んだ法によって次々と消し去られた。


 こうして日本の庶民に伝わった浴場文化は失われ、この頃では山野に湧き出る野湯や、特に由緒がある旅館や建物、そして温泉場の共同浴場にその片鱗が残るだけになっている。


 距離が長く二つの地方を繋ぐ林道は、それぞれの側で赴きが違っていて飽きることがなかった。老人たちの扱いには困ったものの、湯の素晴らしさもあって、俊彦はしばらくこのいにしえの風情を残す山里に通ってみる事にした。


 湯小屋に集まる老人たちの会話はいつもやたらと楽しそうだった。意味さえ分かれば相づちぐらいは打てるようになる、老人たちとももっと仲良く付き合えるだろう。初めはその程度の気持ちで分からない言葉を憶えて帰り、大学の図書館で調べていた。


 しかし二ヶ月が過ぎ会話の内容がおぼろげにわかるようになると、俊彦は強い衝撃を受けた。老人たちが大声で楽しそうに話していた内容は、ほとんどが驚くほどあけすけな猥談だったからだ。


 やれ誰の具合がどうだった、アンタよりこの人のほうが良かっただのと、老人たちは歯のない口を大きく開けて実に愉快そうに話している。分からなければ平気だったものが、分かってしまうと顔が熱くなりいたたまれない。


 見回すとたまに入ってくる老人たちの子の世代もやはりいたたまれないらしく、一様に俊彦と同じような渋い表情を見せて、早々に湯を出て行った。


 それからは他の土地に出かけた時も共同浴場に立ち寄ってみた。信州の山や伊豆の海の里でいくつもの湯小屋を訪ねると、そうした場所の老人たちも概ねあけすけに思えた。


 ただよく見ていると、それは彼らと同じ世代が集まった時に限るようだった。小さな孫の世代ならまだわからないだろうと平気なようだが、湯小屋に自分の子の世代が増えると、あれだけかしましかった老人たちが一転して黙り込んでしまう。


 どの地方でも湯小屋には自然と老人ばかりが集まる時間があった、しばらく通ううち俊彦はその理由に気がついた。


 老人たちは故郷に暮らしながら、それを失っていた。


 老人たちの若き日の思い出は、今では自分の子供にさえ不道徳とそしられるものになった。老人たちが青春の思い出話を誰はばかることなく大声で楽しめる場所は、かつての里の姿が僅かに残る、こうした古い湯小屋しかもう残されていないのだ。


 猥談でひとしきり大笑いした老人たちは、最後に居合わせた俊彦の顔を覗くように見た。何度一緒になっても同じように覗き込むものだから、俊彦はそのたびに何も知らないふりを続けながら、引きつった愛想笑いを返していた。


 ある日の事だ、腰痛予防にライダーの間で流行っていた太いウェストベルトを腰から外すと、先に湯に浸かっていた老人の一人が、突然後ろで叫んだ。


「おっめぇ、そんなもんつけてっとお、ちんこ腐っとぅ!」


 一斉に笑う老人たちの顔を見て俊彦は直感した。老人たちは気づいていたのだ、俊彦が自分たちの言葉を理解していることに。猥談の後に必ず俊彦の顔を覗き込むのは、狼狽を隠す俊彦の様子を面白がっていたのだ。


 老人たちのうちの何人かは、余所者相手には相手が理解できる程度の訛りで話せるようだ。これでは今後もし話しかけられたら、分からないふりをしてとぼける事も出来ない。


 俊彦はまだ女を知らなかった。だがこの老人たちにはそれを知られたくなかった。老人たちにとっては軽い笑いの種なのだろう、だが若い俊彦にとってそれを冷やかされる事はたまらない恥辱だった。


 人が少ない湯小屋は無いかと、いくつかある湯小屋をまわった。すると温泉場の中心から一番離れたこの小屋なら午後は夕方まで人が来ないと分かった。だからキノコ頭の子海坊主はこの小屋で会う初めての人間だった。


 俊彦は日本に高層ビルが無かった頃を知らない。物心が付いた時にはもう珍しいものではなくなっていて、新宿の高層ビル群でさえ、今では旅行者でもないかぎり見上げる者もいない。そんな時代の日本に、中学生に昔の軍隊みたいな丸刈りを強制する地域が残っているなんて、ここに来るまでは思ってもいなかった。


 どうりでキノコ頭が気になったはずだ、この辺りの男子中学生は坊主頭なのだ、キノコみたいな頭にできるのは女子しかいない。


 思った事をすぐ口にするたちの俊彦でも、若い女の子に、それもこんな美少女に「男と間違えた」とは言えない。動揺する俊彦を見かねたのか、彼女が口を開いた。


「部活の決まりで、テニス部の女子はみんなこの頭なんですよ。自分でも朝、鏡を見るたびに男の子みたいだって思ってたんで、お兄さんが間違えるのは無理ないんです。気にしないでください」


 言葉とは裏腹に、口は不満そうに尖っている。


「湯気で良く見えなくて……、でも見えたらすごく可愛くて、びっくりしました」


 他に何も思い浮かばなくて俊彦はそう返した。言ってすぐに、可愛いよりも綺麗にしたほうが良かっただろうかとぐちぐち考えた。彼女の焦げ茶色の顔が、うっすらと赤くなったように見えた。


 もしかして自分はいま、とんでもなくキザな台詞を言ってしまったのではないか――。


 いっそ気づかなければ良いのに、後で気づくから始末が悪い。


「地元、ですか?」


 こみ上げる恥ずかしさに耐えられなくて、思いついた事をまたそのまま言っていた。


「少し前まではこのすぐ近くに住んでたんですけど、今は引っ越しちゃったんです。でも学校はまだこっちなので、地元の子のうちでしょうか」


 狼狽する俊彦を馬鹿にもせず、彼女は大人びた標準語で言った。俊彦は訊いた。


「引っ越したのに同じ学校?」


「たまたま変わらなかったと言うか……」


 そう答えた彼女の表情が急に変わった。


「あ、いま『田舎だ』って思いましたね? 学校が少ないからだって!」


 図星だ。


「いいですよ、田舎ですもん。でも私、ここが大好きなんですよ」


 渋谷辺りにたむろする、このと同じ年頃の女の子たちは、ここの爺婆じじばばたちと同じで自分たちにしか通じない言葉を使う。それなのにこの女の子は少し丁寧過ぎるほど大人びた標準語を話す。


 ただ字面にすれば完璧なそれにも、ごくたまには地元の訛りが顔を出す。でもそれはここの爺婆の言葉や、やはり田舎から出てきた大学の同級生たちが話す言葉のどちらとも雰囲気が違っていて、時として事務的な情の薄さを感じさせる標準語に、心を和ませる柔らかな響きを与えていた。

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