第24話
───人に見られない薄暗い階段を行けば、言葉の代わりに捨て笑いが出た。思い当たる節の無いことを指摘され、少々納得がいかなかったからだ。
「・・・・全体を通して特に問題はなく、良く乗れてるんですが、安全確認をもう少しやった方が良いですかね」
(ま、合格には変わりないんだから、良とするか!)
拘りを持って望んだ検定も、所詮はこの程度であると自分に言い聞かせ、何はともあれ全員合格したことを喜ぶべきだと気持ちを切り替えれば、完璧と言う高い目標に向かって、一生懸命努力したことに価値があるように思えるのだった。
「それでは本日はこれで終了致します。え~と、何か質問はありますか?」
「あの~、仮免はいつ来るんでしょうか?」
ボソッと誰かが訊いた。
「仮免は次回の教習までには来ますから、下で路上の予約を取っても大丈夫です」
内心、何かと待たされ続けるここにあって、珍しいことだと思ってはみたものの、予約に逸らせるまで頭は回らなかった。
薄暗い階段を降り、辺りが明るく開けると、カウンターに並び早々と予約を取っている姿が目に入る。見慣れつつある二つの背中だった。
立ち止まった私のすぐ近くには、年配の人が退屈そうに立っていて、その背中のある方向を眺めている。どうやら二人が終わるのをそこで待っているようだ。
並ばず離れて待つあたりが、いかにも年配らしいところだと視線を送っていると、彼は気配を察したように私を見て、
「慌てたって、たいして変わるもんじゃないし・・・・」
と、呟きながら笑みを零す。初めて見た笑顔でもあった。
「それもそうですね」
彼の優しさを滲ませた顔に思わず顔を緩ませた私は、隣に立ったまま二人の後ろ姿を眺め、短い会話で生じたふれあいを噛み締めている。言葉を交わしたのが初めてであっても、戸惑いも驚きもしなかったのは、きっと彼も同じ目的に向かう仲間であると認識したからであろう。そして、ようやく大型の脩検を終えた四人が私の中で結ばれたような気がし、
「合格して良かったですね」
穏やかな表情でいる年配に一声掛けると、
「いや~。ようやくって感じだけどね」
照れ臭そうに頭に手を当て彼は目を細めた。
やり取りの声を聞き付けてか、私の方を振り返ったカウンターの二人は、私を見るなり何やら意味深げにニヤニヤし、まるでお先に失礼と言った顔を見せる。そのため私もすかさず油断も隙もないと言う驚きと笑いを表情に混ぜ合わせた。
それだけでも十分会話が出来ていた。
二人はまた予約のため背中を向け、それを私たちが少し離れた場所から見つめると言う一見、先ほどと何ら変わらない光景に戻れば、冷静とも退屈とも言える時間が流れ出し、私の視線はいつの間にか二人の背中を飛び越え、その先に居る彼女へと向いてしまったりする。
ただし、ちょうど階段を降りたこの位置からでは、涼しそうな瞳は愚か、表情すらもパソコンのディスプレイが邪魔で、唯一見えるのはお印程度に揺れ動く頭の先だけだ。
見えないと余計見たくなるのか、周りに悟られぬ程度に動いてみたりしたものの、たいした成果は得られず、いっそのこと別の場所に移動しようとも思った。
だが、隣に自分よりも年配の人が立っていると言うのに、一人腰掛けに行く訳には行かないと、すぐにその案は萎み、二人の背中を見る振りをしながら立ち尽くす。
わずかに覗く頭が揺れ、控えめな声が耳をくすぐれば、
(今の彼女は生き生きしているんだろうな~)
などと想像を巡らせ、なぜか安心を覚えた。
いつ来るのかわからない予約を待つ彼女は、それほどあれこれと私に考えさせてしまうのであろう。とは言え、やはり見えないことには違いなく、この空間での唯一の楽しみを奪われたように、偶然立った場所に恨めさを感じながらじっと眺め続けている。
淡い期待はやがて、ディスプレイを透かし彼女をぼんやり浮かばせたりするのだった。きっと記憶に留めた映像を見ていたのかもしれない。その証拠に仕事をしているにも拘わらず、彼女は無表情に澄ましていた。
運送屋の彼が予約を終え軽く会釈をして立ち去り、若い彼がその場所に立つ頃になると、忘れていたある考えが頭に過り、
「あ、先に予約して良いですからね」
と、隣の年配に告げその場からいそいそと離れた。
譲ったように見える行動も、もともと年配の人が先に居たのだから、当たり前のことなのだが、それでもいざ順番になれば、きっと私を先に行かせるに違いない。したがって明確に伝えることにより、気を遣わせまいとしたのである。それに出来るなら後ろを気にせず彼女との時間を楽しみたいし、今回はどうしても最後になりたい理由があったのだった。
足早に南側のトイレをノックし、粗末なカギを掛けた私は、セカンドバッグからメモを取り出し扉のすぐ脇に腰を下ろす。
教習とは違った緊張が身体を包んだ。
しかし、裏腹にペンの進みは至って滑らかで、恐らくこれを思いついたあの日から、当たり障りのない文句を頭の片隅で練り上げていたようである。
メモを小さく折り畳み一度しまい掛けたペンを手にしたまま、何かが足りないと真っ白な紙をしばし眺め、やがてこう書き記した。
[あとで読んでください]
意味もわからず目の前で彼女が開けて困らぬようにとの配慮で、宛らラブレターにも見える手紙に思わず苦笑いが浮かんだ。
それを右手の中に包み込み、何食わぬ顔で室内へと戻ると、ちょうど年配の人が予約を始めたところで、私はいつもと違う場所に腰を下ろし、じっとその方向を見つめる。
目の中には違う角度でちょっとばかり新鮮な彼女が映っていた。
潔いほど年配はその場を早く離れたため、ゆっくり彼女を眺める時間も無く私は席を立つことになったが、こちらを向き軽く手を上げた瞬間に待たせまいという配慮を感じ取った。結局のところ、先に譲った行為も裏目になってしまったようだ。
さりげない優しさに感謝するように、軽く頭を下げ年配を見送ってから彼女の前に立ち、
「ヨンゼロイチキュウですが・・・・・・」
と、教習番号を告げる。心なしか動揺しているのがわかった。
「はい。どうぞ」
いつもの口調の彼女と目が合うと、右手にはやや力が入り、
「え~と・・・・・・」
予約とは別のところに意識が向いていたのか、まるで台詞を忘れた役者のようになってしまっている。これからどんなことが起こり、彼女の穏やかな表情がどのように変わるのかが気になって仕方がない。
「あ・・明日の五時、六時なんですけど」
そう言いながらカウンターの上に両手を預けた。
「え~、明日、あさってですといっぱいですね」
彼女の返答はある程度予想した通りと驚きもしなかった。まして大型の三人が終わった直後だ、簡単に取れないくらいは承知のうえである。
ただ何となく明日の五時が話し出すきっかけとして定着し、つい同じように訊いてしまったのだと思った。
「じゃあ、来週の月曜日は?」
「月曜の何時ですか?」
「五時、六時で・・・・もしくは朝の九時、十時」
「お待ちください」
パソコンの画面に向く彼女を見ながら、メモをいつ差し出そうかと巡らせている。
「月曜はどちらもいっぱいですね」
「じゃ、火曜日は?」
カチャカチャカチャ・・・・。
「火曜日ですと五時、六時でしたら大丈夫です」
「う~ん、じゃあ、そこでいいかな~?・・・・」
迷った口調で周りを伺うように眺める。無意識にわずか離れただけのもう一人の女性が気になったようだ。
「そこにいれていいですか?」
「あ、お願いします」
カチャカチャカチャ・・・・。
「・・・・あとはどうしますか?」
「え~そうですね~・・・・」
チャンスは今だとばかり迷った口調で答えながら、スッとカウンターの上を滑らせるようにメモを差し出すと、見慣れぬ白い紙に彼女の視線が傾き、意味がわかったのかわからないのか、その後キョトンとした顔で私を見つめている。気まずい瞳が重なり合った。
ここで何か訊かれたらまずい。
咄嗟に表の文字を見え易く向けたため、渡したメモは制服の脇のポケットへと消えて行ったが、特にこれといって驚いた表情も見せず、ただ彼女はじっと私の瞳を見返した。
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