第23話
「どうでした?」
検定前と同じ位置に座る二人と顔が合い、近寄る私に若い彼が興味津々の顔で尋ねる。
「まぁ、バッチリだよ!」
やるだけのことはやったと、満ち溢れた表情で返し腰を下ろせば、隣に座る運送屋の彼と若い彼が一瞬顔を見合わせ、呆れたように笑みを浮かべる。たぶんこの二人でなかったとしたら、別の言葉を探していたかもしれない。
言葉が途切れストーブの音が部屋を染める中、私はタバコに火を点け手をストーブに翳す。しかし、何も感情が沸かなかった。
あれだけ寒い思いをしたのだから、喜びもひとしおのはずなのに、温かいと言う以外は何もなかったのである。
日差しがいっぱいに包み込まれた車内は、あの寒さを忘れるには充分だったからだ。きっと記憶の中に残っていた寒さが、手を無意識に出させたのだろう。 姿勢を伸ばし壁へと身体を預け息を吐き出すと、近くの入り口付近に年配の人が立っているのが見えた。
数十分前と何ら変わらない光景であっても、雰囲気はまるで違い緊張感など微塵も存在しない。どこかみな生気を吸い取られたような、それでいて穏やかな表情に、ついこれからある発表を忘れてしまうほどだ。
検定の疲れ、寒さからの解放、場内の終了という節目。その三つが重なり合った結果が齎す安堵ではなかっただろうか。心も体も無気力に近かった。
こんな時も時の流れは同じなのかと、吹かした煙の先の彼女を眺めたりするが、すぐにドアから入って来た今風の色合いに目が奪われ、それが壁の向こうへと消えるのをじっと追っている。
「普通車はあとどれくらいかかるんですかね?」
と、運送屋の彼の言葉を聞いた途端、夢うつつから目覚めるように、頭の中に現実が広がり出して行く。
「そうだな・・・・」
と、しばし考えた後、
「まだ、しばらくかかるんじゃねぇの」
と、続ける。
それこそ何となく思っただけで確信も何も無かった。
大型より先に始めたとは言え、人数も多い普通車が今どこまで進んでいるのかは、全くもって予想もつかないことで、おまけに壁の向こうにある長椅子は、ここからでは死角となって何人居るのかさえ掴めない。それでも見に行くほどのことではないと、席を立つまでの者はいなかった。
「何人くらい終わったんかな?」
把握出来ないことが気になりだし、試しにと訊けば、
「さぁ!?」
運送屋と若い彼は首を傾げる。更に、
「何人いたんだっけ?」
との質問には、もう一度首を傾げる運送屋に対し、若い彼は、
「十二、三人だったんじゃないですかね」
と、定かでない表情ながらも、きちんと答えられたことに、冷静に観察する余裕を持ち合わせているのだと思った。すると今度は、
「普通車なんか待ってないで、大型は大型で先にやっちゃえばいいですよね?」
と、やや苛立ち気味に運送屋の彼がこぼす。
「そりゃ~良い案だな~。大型なんて四人しかいねぇんだもんな」
賛同したように返すと、若い彼もうんうんと頷いている。
「そうですよ~。そうすりゃ~こんな馬鹿みたいに待ってなくて済むんだから」
運送屋の彼の言い分はもっともだと思った。
教習所の決まりとは言え、これから仕事を控えた者としては、この待ち時間は無駄以外の何物でも無い。それは吹きざらしの発着点とて同じことで、大型の教習とは待遇が悪いものである。
「まぁ、結局は終わるまでは、ここで待つしかねぇんだろうな」
二人を宥めるように出た台詞も、自分に言い聞かせていたのかもしれず、その前をまたドアが開くたびに検定を終えた人が通り過ぎて行く。雰囲気から察したにしろ、これこそ確信など無く、入って来る人すべてがそのようにしか見えなかったのである。
ストーブを三人が取り囲み、やや離れて立つ年配の人。温かい空間はすっかり大型の人で占領された形だったために立ち寄りがたく見えたのか、次々と人が入って来る割りには姿が見えず、何とも不思議だった。
「そういや話聞いた?」
芽生え始めた退屈を紛らそうと運送屋の彼に訊くと、
「あ~、脱輪でしょ?聞きましたよ」
と、私が若い彼に走らせた視線をすぐに感じ取って答え、
「越えてないんでしょ~?だったら問題ないでしょ。来る前にもそんな話してたんですけどね」
そう続け隣に目をやる。
少しホッとした表情を浮かべた彼に、
「な!みんなそう言うだろ?安心して結果を待てよ」
私も念を押すように伝えた。
「はい、そうですね・・・・」
控えめな答えと裏腹に、彼は晴れやかな顔を見せた。
「でも、そこまで言って駄目だったりしたらどうすっか?」
そこまででは終わらないとばかり、惚けた顔で運送屋の彼に振る私に、
「ま~、そうしたらまた乗るしかないですね~」
と、同じように彼も惚け、二人で若い彼をからかったりもした。
「いや~それは困りますよ」
すぐに冗談と感じた彼は笑いを零す。恐らく発表の前にこれだけ和やかだったのは、この場所だけだったに違いない。
「これから仕事?」
「ええ・・・・」
「今日はどっちに行くん?」
「いや、まだ会社行ってみないとわかんないですけど、この時間ですからね。どうせ近場じゃないですか」
しばらくこんな世間話が続いた。
見えない壁の向こうの長椅子が埋め尽くされたのか、ポツリポツリと行き場のないように立ち始めた人が増え出したことで、普通車の検定の終わりも近いと感じた。
数分後、
「それでは本日検定を受けた方は、二階の教室に上がってください」
ざわめき出した空間に教官の声が響き、人の群れが階段を上る騒音にも似た音を、じっと腰掛けたまま聞いていた。他の二人も席をすぐ立とうとはしなかった。
大型はやはり貫禄でも出してというよりも、実際はみんな疲れて腰が重かっただけだと思った。
検定前と同じ位置にそれぞれが腰を下ろした直後、足早に入って来た教官は特に焦らすこともせずに、早々と全員合格を告げ、どこからともなく、ホッとしたような声が聞こえる。瞬時に清々しいものに変わった室内の空気。実はそれを感じ取った私が何よりも告げられた合格に安心したのではないだろうか。もちろん一区切り付いたという安心である。
その後、指示により普通車の人達は隣の部屋へ移動し、広く静かになった教室に大型の四人と教官一人が残り、検定の批評が開始される。
発表以上にその時を楽しみにしていた私は、自分の順番を待つ間、心が躍って仕方がなかった。
まずは一番前に座る年配の人からだ。
彼の場合は指摘も費やした時間も多く、安全確認が足りないことや、せせこましいギアチェンジに至るまで事細かく言われていた。さすがに大型ともなればチェックが厳しいのか、単に教官が辛口なのかはわからずとも、全体を通して運転に余裕が無いと言う総評で、合格ラインギリギリであったと最後に締めくくった。
それでも教官の一言一言に聞き入って頷く格好から、痩せ気味の背中からでも表情は察しがつくほどである。
次に若い彼だ。
予想通り第一声は例の脱輪の話で、本人もしきりに頷きながら照れ臭そうな素振りをしている。そんな姿を微笑ましく見ながらも、自分事のように合格を喜び、年配の人の半分も満たないほどの時間で話は運送屋へと移る。
彼も何点か注意を受けていた。
「え~と、最後に島田さんですが・・・・」
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