汚れた春を踏み越えて

MukuRo

蒼春

 何が青春だよ、あんなもんクソだ。


「ご両親も、弟さんも、この度はご愁傷様でございます」

 ――うるせえよ。


「事故起こした老人、死んだらしいな」

 ――だからなんだ。


「残されたあの子、本当に可哀想」

 ――もう知らねえ。

 ――何にも目を向けたくねえ。

 ――もう何もかもが嫌なんだよ。


【高齢ドライバー暴走、一家四人死傷】

【千葉市にて死傷事故 85歳の運転者逮捕】

【認知症ドライバー暴走 一家四人死傷】

【【胸糞】老×がまたしも死亡事故を起こしてしまう】【千葉市暴走事故の犯人の経歴がヤバすぎる…】【千葉市暴走事故の容疑者、判決前に死亡】【夕暮れの悲劇!ボ×老人が車で暴走、一家の未来を奪う!】【高齢者ドライバーの死亡事故、どうしてなくならないのか】【××が判決前に死】【司法の限界】【ボ××人】【未来ある】【運転免許の返納を!】【老×は×ね!】【……】【……】【………………】




 あの日から15年。

 もし事故が起きてなかったら、母さんは55、父さんは還暦、キョウタは22歳か。

 こうして墓の前で突っ立って、少しばかりの感傷に浸るのもいい加減やめた方がいいのだろうか。もう俺も三十路だ。

 田舎町の一角、住宅街の隅に位置する墓地。特別綺麗な墓を建てられたわけでもない。空は曇っていて、時間の感覚が狂ってしまいそうだ。

 俺は、西原さいばらシンジはそそくさとバッグを担ぎ、俺が務める中学校へと急いだ。


「田沼意次が国の政治を担っていた時、そこら中で災害やら飢饉が起きてた。いわゆる、天明の大飢饉ね」


 俺は社会の授業を担当していて、それ以外で生徒の連中と関わることは少ない。案外普通に話を聞いている奴、寝てる奴、他の授業の課題を進める奴、よくわからないお絵描きを始める奴。教師らしく指導でもすればいいのだろうが、正直面倒臭いのでやらない。


 そんなこんなで一日が終わるのだが、さらに面倒なイベントが待ち構えている。

 以前実施した定期テスト。あれほど適当に作った筈なのに、赤点が出てしまったのだ。そんな奴の補習に、俺は付き合うこととなった。


「えっと。君が東村ひがしむらさんだね」

「はーい」

「じゃ、始めてくからよろしく」

「はーい」

「まず始めにだけど、君の答案ね」


 東村ミク、普通の中学3年生。よく教師にタメ口を使ってるから、そういう奴なんだと認識している。

 そんな彼女の答案はよく覚えている。殆どの問題をドリルから引用し、適当に作成した筈のテスト。その解答欄のほぼ全てを空欄で提出した。


「わからなくて書けませんでしたとかなら分かるんだけど。全く書いた様子も無いなんて、おかしくない?」

「勉強なんてしても意味無いですから」


 彼女は悪びれる様子も、引け目を感じることもなく、ただ静かに微笑んでいる。


「先生、私からも質問していい?」

「どうぞ」


「嫌なことを無理やりさせられたらどう思う?」

「補習は嫌ですって言いたいの?」

「質問に答えてよ、先生」


 今の彼女が求めているのは、俺の回答。

 それが何を意味するかは不明だが、とりあえず答えることにしよう。


「嫌なことを無理やりさせられたら?」

「最悪な気分になるだろうね」


「でも自分にも落ち度があったら?」

「仕方ないけど受け入れるかもね」


「それを周囲にバラされて、拡散されたら?」

「嫌な気分だろうね」

「じゃあ、もっと踏み込んだ話するね」


 彼女の瞳の色が、急に死人のものに変わる。


「自分の意思以外で服を脱がされたことある?」


 俺は声を失った。


「君は――」

「今から一年前ね、ひっそりブルセラしてたんだ。堂々と顔まで乗せてさ。

 それがサッカー部の連中にバレてさ。黙っておく代わりに見せてってやつ。よくある話だよ」

「っ――」

「しばらく言いなりになってたら、部員の一人が学校にチクってさ。

 学校はあんまり事を大きくしたくないらしいから、お互いに口をつぐんだってわけ。ほんのちょっとだけど示談金もあるしね」

「そんな話、聞いたことない」

「そりゃ先生、今年来たばかりじゃん。みんな掘り返さないようにしてんだよ」


 俺が思うより、この中学は腐敗しているのかもしれない。たった一人の被害者より学園の評判か。実に公立中学らしい。

 当の彼女は唇を広げ笑っているものの、段々と生気が失われていく。


「ま、それも過去の話。みんな解決したって思ってる。私も今更掘り返そうなんて思ってない。でも変なんだよ。学校にいるときも、いないときも急に思い出しちゃうんんだよね。服を脱いで、写真に撮られて、学校中で噂されて」

「その写真は一生誰かのスマホに残り続けて」「どこの誰ともわからない人に送られて」「その人の記憶に私の×が一生残り続けるんだ」

「仲良かった子もみんな私に距離置いてさ」「暇さえあれば陰口叩く」

「何なの私が悪いの?」「ブルセラなんてやった私のせい?」

「みんな口だけの同情ばかり」

「それにあいつらだって許したわけじゃない」「一回頭下げたからって許してもらった気分になって」

「これからもう、一生被害者として生きていかなきゃいけないんだよ」


 まだまだ言葉を吐瀉するかと思えば、急に黙り込んでしまう。項垂れた顔を上げるのは6秒後だった。


「ほんと、絶望だよ。なんのために勉強するの」


 その顔は絶望そのものだった。今を生きる学生がしていい顔じゃない。

 俺はかける言葉を探す。励ましも慰めも、今の彼女に届くものか。

 今に絶望している彼女に、俺が真っ先に思いついた言葉。いつかの記憶で、自分に狂ったように言い聞かせてきた言葉を告げる。


「もう思い出すな」

「どうやって」


 返答は早かった。


「ずっと頭に残り続けてるんだよ? あの日の気持ちが、されてきたことが全部」

「やりたいことをすればいい。辛いだけの過去なんて思い出すな」

「そんなのない」

「なけりゃ今から探せばいい。時間ならあるだろ」

「でも学校は」

「行かなくてもいい。自分を大切にしてくれ」


 無意識に口走っていた。まるで自分に言い聞かせているようだった。

 俺は息を整えて、もう一度口を開いた。可能な限り、優しめな声で。


「やっぱり辛いんだろう、学校行くのが」

「そりゃあね。不登校になれるならとっくになってるよ」

「君がいいなら、親御さんと話を付ける」

「ああ大丈夫大丈夫。そこまで深刻な家庭じゃないし。話せばわかるよ、多分」

「なら良かった」


 俺は安堵した。家庭までは腐ってなかったようだ。


「てか先生。今日いつにもなく必死だよね。いつも死んだ目で授業やってんのんに」

「君と似たような経験がある」

「へえ、どんなの」

「聞きたいの?」

「聞きたーい」

「面白い話じゃないぞ」


 自分でも意外だった。たかが生徒一人に、自分の過去を話すなんて。本当のところは、俺も理解者が欲しかったのかも知れない。

 俺が一通り話すと、彼女は目と口を開いてフリーズしていた。普段雑談なんてしない俺だから、変に思われたか。


「あの後、仕方なく学校に行って、高校にも大学にも行った。普通に生きて、勉強して、過去に折り合いを付けようとした。それが最善策だったから。でも、君は俺じゃない。学校に行かないって選択肢もあるんだ」

「そんなやり方、教師が勧めちゃって良いの?」

「このまま肩身の狭い思いで過ごすくらいなら、学校と距離とるのも悪くないだろう」

「うーん」


 彼女にはまだ迷いがある。俺は口を開けるのを待った。


「でも、やっぱ怖い。私が急に学校に来なくなったら、皆からはどう思われるんだろう」

「大丈夫だよ。悪口言われたとして、そんな奴に合わせて生きてく必要なんてない。やりたいようにすればいいんだ」

「履歴書とかに書かれない?」

「問題ない」

「後から後悔しないかな」


 この返事だけは即答できなかった。俺はまだこの選択が、後悔のないものだったと自信を持って言えないからだ。だけど、答えない訳にはいかない。この言葉に確信はないけれど、俺の気持ちを吐露する。


「――どうせ、過去なんて後から振り返って一喜一憂するだけのモノだ。どんな気持ちだったかなんて後から勝手に決められる。

 でも今この瞬間は違うだろ。今感じてる気持ちに嘘はつけない。

 だから、今どう思うか。それを大事にするんだ」

「うん、そうだよね」


 事故現場。痛みと悲しみ。

 弟の誕生日。ささやかな幸福。

 高校受験。嬉しくも悲しくもない。


 そんなの全部後付けだろう。

 その時、その一瞬、そこで感じたもの。それをないがしろにして、ろくな人生など歩めるものか。


「過去の自分は振り返るな。踏み越えていこう」

「うん、私決めた」


 彼女の瞳は輝いていた。

 決意でもあり、希望とも言える、そんな瞳だ。


「私、追試終わったら学校来ない! 無理して我慢するのやめる!

 過去なんて全部すっからかんにできるくらい、夢中になれるもの探すよ!」

「ああ、それでいい。逃げていいんだよ」


 それでいいんだ。無理に普通に合わせて生きる必要なんてない。

 必死に逃げて逃げて、その先に見える景色は、きっと綺麗だから。


「って先生、補修!」

「ああ、じゃあこれ要点まとめたやつ。1週間後に追試するから、それ見て勉強しといてね」

「ありがと先生、助かるぅ!」


 俺は追試の内容を簡潔にまとめたプリントを差し出した。元々これを使って補習をするつもりだったから問題はない。


「でも何しよっかなぁ。これといって思いつくものないや」

「暫く時間もできるし、色々探してみるといいよ」

「ねえ先生、なんかないの?」

「俺、俺か」


 俺が教師になるのに大した理由なんてなかった。

 生徒を見てると、忘れたはずの記憶がたまに頭を出してくる。当然いい気分じゃない。そのくせ子どもが好きな訳でもない。

 でも、生徒が抱えるものは想像以上に重いものだった。

 辛い過去や現実に苛まれて、今という時間に足枷を付けながら廊下を歩く奴がいて。

 まるでかつての自分みたいだった。


「俺もまだ探し中だよ。焦らなくていいから、じっくり探してみて」

「うん」


 生徒が抱えた重荷をどうにか軽くすることは出来ないだろうか?

 そんな言葉が頭をよぎった。


「じゃ、今日の補習はこれで終わり。そのプリント目通しといてね」

「うん、ありがとう先生。これからのこと、少しだけ見えた気がする」

「なら良かった」

「うん……じゃあね、先生!」


 東村は小走りで教室を出ていった。一瞬だけ映ったその横顔は、清々しい蒼に満ちていた。

 それ以来、俺は彼女と授業以外で会うことはなかった。面と向かって話はしなかったが、表情は少しだけ明るいように見えた。


 追試は終わり、彼女は教室から姿を消した。

 それから、時は流れて。




「先生!」

「久しぶり。いや、卒業おめでとうと言うべきかな」


 三月、嫌ほど綺麗な花弁が地面を埋め尽くす季節。俺は東村の家へと来ていた。卒業証書をこの手で渡すために。一応、月一でプリントを渡しには行っていたのだが、取り合ってくれることは少なかった。


「あれからどうだ」

「私、あれからイラストの勉強しててさ。まだ未完成だけど」


 そういうと、彼女はスマホを取り出して一枚のイラストを出してくれた。学校の屋上で、机と椅子がぐちゃぐちゃに積み重なった絵。空にはまだ色が塗られていない。


「上手だな」

「まだまだだよ。もっと上手くなりたい」

「やりたいこと、見つけたんだな」

「だいぶ時間かかったけどね」


 東村は謙遜しつつ、火照った顔を隠した。それでも褒められて嬉しそうだ。


「そうだ。要らねえと思うが、これ」


 俺のもう一つの預かり物。同じクラスの奴らが知らない内に寄せ書きを書いていたらしい。安っぽい言葉の羅列と、クラス全員の名前。そんな色紙を手渡すと、彼女は不敵に笑った。


「いいこと思いついた。先生、あがって」


 俺は言われるがままリビングへと上がる。すると彼女はハサミを手に、寄せ書きを切り刻んだ。


「一緒にやろ」

「他の奴にはチクるなよ」

「しないしない」


 名前、応援の言葉、追憶、哀愁、どれもこれも重みのない言語。

 それらを、丁寧に、適当に、切り刻む。


「私、過去を振り返るのはこれで最後にする。これで作ったお守りを戒めにするよ。『もう思い出すな』ってね」

「そうだな」


 二人で進めると、案外簡単に終わるものだ。第一関節くらいの大きさに裂いた色紙を、お守りに入れる。


「あ、ちょっと待って先生。私たちの分も入れようよ」

「――そうだな」


 いつの間にか置かれていたメモ帳の一ページに、俺は率直な想いを書き連ねる。


『過去を踏み越えろ』

『進みたい道を行け』


「これ、私の誓いの言葉。ずっと大切にしていくから!」

「ああ」


 もう二枚の願いを込めて、お守りの封を閉めた。

 それから更に、時は流れて。




 俺は四十路を迎え、腰痛が常に付きまとう歳となった。

 あれから何度も転勤を繰り返した。あいつが卒業した年、別の県の中学校へと自ら飛んでいき、二年後には都市部の中学へ飛ばされて。

 紆余曲折あり、今度は都内の中学校でまた教師をやっている。通勤方法は車から電車に変わり、今朝も人混みに紛れて吊り革を掴む。


 変わったことと言えば――。


「先生、実は皆から悪口を言われてて」

「先生、あたし将来が心配なんです」

「俺、あの子に告りたいんですけど勇気が全然ないんス!」

「僕、体は男なんですけど本当は……」


 いつの間にか生徒の話し相手にされていた。しょうもない雑談から深刻な悩みまで聞かされ、俺は一人の時間が減っていた。

 それでも少しくらいは、生徒が抱える重荷を軽くできているだろうか。

 けど、これで満足はしない。自己満足は思考停止と同義だ。まだまだ向き合っていこう。今を生きる生徒たちと。


 東村ミク。

 あいつも今頃、やりたいことに向かって生きているのだろうか。

 再開したいとは言わないが、せめて何か、彼女が今を生きている姿が見たい。


 そんなことを思って電車を降りた。エスカレーターに揺られ、ぼうっと構内を歩く。

 そんな時、ふと目に入った広告。とある都内大学の宣伝で「きみを作る場所」と書かれている。

 それだけならよく見る光景だろう。

 だが、そのイラストは妙に見覚えのあるものだった。かつて、卒業証書を届けに行った時に見せてくれた絵だ。


 積み重なった椅子や机は隅にどかされて。

 学校の屋上、二人の男女が上を見上げる。塗られていなかった空は、澄み渡る蒼に染まっていた。

 間違いなく、あの日の絵だった。


 俺は立ち止まり、イラストの下にひっそりと刻まれた名前を視認する。


(illustration by higashi miku)


 俺はすぐさまその名前を検索した。一番上に出てきたアカウントをタップし、プロフィールが現れる。それは随分と短い文だった。


『過去を超えて、進みたい道へ。

 その先はきっと蒼い景色が広がっている。

 私が書くイラスト達が、貴方の道標となりますように』


 俺は、下を向いていた顔を上げる。

 過去に囚われている時間はない。

 今この瞬間が、人生において何より大切なのだから。


 俺は駆け足で駅を出る。

 下を向いている時間が、あまりにももったいなく感じている。

 駅を出て、その先に見えた蒼天を仰ぐ。

 人だらけ、建物だらけ、それでも空は美しい。あの日と同じ綺麗な景色。

 この空の下で、俺も、あいつも生きている。




 東村ミク――いや、higashi miku!

 今の君はきっと前を見つめているんだろう。

 君のイラストは、君自身は、輝いている。

 君の作る明日が、心底楽しみだよ。


 俺はネクタイを結び直して、人だらけの道を歩む。

 立ち止まってなんかいられない。

 行こう。今日へ、その先へ。

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汚れた春を踏み越えて MukuRo @kenzaki_shimon

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