第010話 ダークエルフのふるさと
僕は異世界――ダクタの世界に来てしまった。
名前はたしか、〝スノリエッダ〟。
「…………」
僕は異世界に飛ばされたことよりも、そのことにそこまで驚いていない自分に驚いていた。まぁそもそも異世界と異世界人の存在はダクタが証明しているし、彼女は普通に世界の行き来をしている。ならその逆が起きても不思議ではないと、知らぬ間に耐性ができていたのかもしれない。
ダクタの世界。
今僕がいるのは、平原……というよりは丘のような場所だ。辺りは芝生のような緑に覆われているが、僕の立っているところには、いちおうそこそこ整備された道がある。もちろんアスファルト舗装などはされていないが、大小様々な石を使って街道っぽい感じにはなっている。
その道を下っていくと、遠くには森が見える。そして上、丘のてっぺんには、家があった。それもただの家ではなく、木の家だ。僕の世界で言う木造建築ではなく、文字通り、木と一体になった家。大樹の幹には窓や扉があり、巨大な枝にもバルコニーっぽい屋外へ張り出したスペースがいくつもある。
まさにファンタジー感溢れる光景に、僕は興奮した。
もしや、あれがダクタの家だったりするんだろうか。なら是非ともお邪魔してみたい。僕の胸は期待でいっぱいだった。
「ダクタ、あれってさ」
僕は振り返り、未だにぷるぷるしているダクタに尋ねようとしたのだが、
「――ポ、ポルンガ……!?」
……ん?
「ダクタ?」
「ポコペン、ポコペンタレーガ!」
……は?
「ツツイタポコペン? ポルンガ?」
ダクタは理解できぬ言葉で声を上げ続ける。僕をからかっているわけではない。なぜなら、ダクタの顔は見る見るうちに青ざめていったからだ。
「ダクタ、僕の言ってること、わかる?」
「タッカラプト!」
「ダクタさーん」
「プピリットパロ!」
これはあれだ。完全にダメなやつだ。間違いなく言語にズレが生じている。
ダクタが話しているのは異世界語、というかスノリエッダ語なんだろう。僕の世界でも国が違えば言語も違う。なら世界が違えば言語も違うのは、当然と言えば当然なのかもしれない。
問題は、なぜ今になってこうなってしまったかだ。
僕の部屋では問題なく会話できていたのに。
思えば『なんでダークエルフが日本語喋ってるんだろ』という疑問も少なからずあったが、まぁそういうもんか程度で深く考えなかった。
実際はダクタの方も、僕の部屋ではこのナメック語みたいな言語でずっと話していたのかもしれない。
押入れの中、そして1K押入れ状態の僕の部屋では会話できて、異世界では会話できない。ダクタは押入れを、世界が重なった状態と言っていた。
繋がる際、両方の世界にある物体が物理的に干渉することはなかった。
超常的な力が働き、ある意味で都合の良い快適な空間に仕上がっていた。なら、意思疎通ができたのもそれが理由なんだろうか。確認のしようがない仮説だが、僕はそこまで外れてもいない気がした。
「……ダクタ」
「……ロコッピ」
なんにせよ、この世界でダクタと会話できないのは事実なようで、それはかなりつらい。状況確認すら満足にできないだろう。僕はこの世界に来てしまったこと自体には驚かなかったが、だからと言って帰りたくないわけではない。
「えっと……ココ、ダクタ、セカイ? オーケー?」
なんとかジェスチャーで意思疎通ができないのか試みるが、ダクタはぽかんとしている。これはちょっと本格的にまずいかもしれない。
ダクタも表情に影を落として、なにやら考え込んでしまった。
「……クッリーガ」
ダクタは呟いた後、僕に近づいてきた。そして仕草で僕に膝をつくように指示し、ダクタも同じように膝をついた。
「……?」
ダクタは僕の頭に触れ、自分の額を僕の額にくっつける。ダクタが目を閉じたので、僕もそれに従った。なにが始まるんだろうか。
「…………」
…………。
「…………」
………?
「…………」
なにか、感じる。
なにかが、僕の中に入ってきて、僕を見ている。
見られている。
なにかが僕を見ている。
これは……ダクタ?
「…………」
どれくらい経ったのか。10分なのか1時間なのか、あるいは1分にも10秒にも感じられる不思議な体験だった。
ダクタが僕からすっと離れ、立ち上がる。僕も立とうとするのだが、まるで寝覚め直後のように頭がぼーっとする。
「……あ、あー……りゅう、りゅうのすけ? 余の言葉がわかるか?」
その声が、僕を一気に現実に引き戻した。
「……ダクタ?」
「うむ、ちゃんと伝わるようじゃな!」
「伝わってる、けど……どうして?」
今のダクタは僕の部屋にいた時と同じように、日本語を話している。
「魔法でな、おぬしの世界の言葉を読み取らせてもらったんじゃ」
「僕の言語能力をコピーしたってこと?」
「……そうじゃな」
驚いた。これはすごい。今のダクタの日本語は完璧だ。完全に自分のものにしている。他言語をこれだけ早くマスターするなんて、まさに魔法だ。
「すごいな! 本当に魔法なんだ!」
疑っていたわけではない。でも、こうして実際に目の当たりにすると、なんとも感動してくる。
「ダクタ、他にもなにか――」
言いかけて、気づいた。
ダクタが、明らかに落ち込んでいることに。
「……どうしたんじゃ?」
「……ダクタこそ、どうかしたの?」
「…………」
「ダクタ……?」
するとダクタは小さく息を吐き、意を決したように話し始めた。
「この魔法はな、ダークエルフが得意とする魔法なんじゃ」
「他人の言葉をコピーする魔法?」
「いや、取り込めるのは言葉だけではない。これの本質は……記憶を覗くことじゃ」
記憶……つまり相手の過去にあった経験や出来事を、そのまま自身のものにすることができるということだろうか。
「すごい……けど、ちょっと怖いな」
他人に頭の中を盗み見られるも同義――そうか、さっきのあの感覚は、ダクタが僕の記憶を覗いてたのか。
「そう、じゃな……」
ダクタは自嘲するように笑った。
「怖いじゃろう? 薄気味悪いじゃろう? じゃからダークエルフは他種族から疎まれておった。あたり前じゃな。頭ん中を覗いてくる連中など、関わり合いたくないと思うのが普通じゃ……」
正直、その気持ちは理解できる。少なくとも、まったくの他人のダークエルフがいたら、警戒してしまうかもしれない。
「じゃけど! じゃけどな! 余はおぬしの記憶から、言葉以外のものは取っておらん! 本当じゃ! なにも見ておらん! 余は、おぬしには……」
「大丈夫だよ。信じるし、仮に見えちゃってても僕は気にしない」
まったくの他人のダークエルフなら、嫌だったろう。でもダクタは別だ。
ダクタに見られるなら、嫌悪感などない。そりゃ個人的に人様には見せたくない黒い歴史はあるが、ダクタになら見られても笑い話にできる気がする。
「すごい魔法だ。その魔法のおかげで、こうしてまたダクタと話せた。なら、僕はこう思うよ。ダクタがダークエルフでよかった、って」
そう伝えると、ダクタが僕に飛び込んできた。小さく鼻をすすり、僕を強く抱きしめてくる。それに応えるように、僕もダクタを抱きしめた。僕の胸に顔をうずめながら、ぐりぐりと額を押しつけてくる。それがくすぐったくて、愛おしくて。
言語という問題は解決したが、まだ確認しなければならないことは山積みだ。
不安もある。恐れもある。
でも、それでも、今だけは、別の感情が勝っている。
あと少し、もう少しだけでいいから、僕はダクタを抱きしめていたかった。
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