第8話 変化の果てに

 今川館 一色鶴丸


 1550年冬


 あの後どうやって館に戻ってきたのか覚えてはいない。

 だが俺は血まみれの衣服のまま部屋に籠もっていた。竹千代が心配した様子で部屋に来ていたようであるが、それすらも返事出来ぬほどに疲れ果てていたのだ。


「鶴丸殿、入りますよ」

「・・・」


 俺の返事を聞かずして、雪斎は俺の部屋へと入ってきた。

 誰も連れずにただ1人で、だ。

 そして汚れた俺の様を見て、特に驚くこと無く俺の目の前に腰を下ろす。その足は少し震えていて、無理を押して俺の元へとやって来たのが見て取れた。


「疲れましたかな?」

「・・・はい」

「聞きましたよ?弓兵の手から竜王丸様を守ったのですね?」

「・・・」


 何も答えられない。確かにあれだけ見れば俺は竜王丸様の窮地を救ったように見えるだろう。

 だがそれ以前の問題として、俺は誰も彼もの足を引っ張った。

 俺がさっさと覚悟を決めていれば、失わずに済んだ命もあったはずであるし、竜王丸様の腕に傷をつけることも無かったかも知れぬのだ。


「竹千代殿は人を既に何人も殺めております。初めて人を斬ったのは3年前。つまり6才の時。松平から人質として駿河に送られるはずであった時、身内の裏切りにあい織田へと連れて行かれました。その最中に継母の父であった戸田とだ康光やすみつの家来を斬ったと言っておりました」

「・・・」

「竜王丸様も此度のようなことに巻き込まれたことが過去にありました。その際に初めて人を斬り伏せたと」

「・・・刀で人を斬れば、相手は死ぬ。そう思った途端、怖くて手が震えました。いえ、手だけでは無く体中が震えて言うことを聞かなくなったのです」


 雪斎は黙って聞いていた。


「俺は竹千代がいなければ死んでいました。一瞬の出来事であるとはいえ、死を覚悟したのです。ですが救われました。そして俺は今もこうして傷1つ無く生きております」


 俺は身体を起こして雪斎に俺の肌を見せた。

 ここに来てようやく血で覆われた自身の状態が気持ち悪いと思い始める。


「ですが俺を気にした竜王丸様は腕に傷を負われた。俺は・・・」


 俺は今川に何も思い入れが無いはずだった。この時代の知識を得るだけ得た後は、一色家を継いでさっさと生き残るであろう家に寝返るつもりでいたのだ。

 なのになぜこうも・・・。何故こうも心が苦しいのだろうか。

 何故こうも泣きたい気持ちになるのだろうか。


「竜王丸様の腕の傷は軽微なものであると言われております。心配せずとも竜王丸様は今後も刀を振るえることが出来ましょう」


 雪斎は俺の聞きたいことを全て言ってくれた。何故竜王丸様の状態を聞いてこうも安堵しているのだろうか。

 何故、なぜ、ナゼ・・・。


「明日御屋形様がみなと会いたいと申されております。それまでにその酷い顔をどうにかしておくのですよ」

「・・・御屋形様が」

「はい。今日はゆっくり休みなさい」


 雪斎はそれだけ言うと、またフラフラとしながら立ち上がり部屋から出て行った。

 俺はその後どうにか身体を起こして、衣服を着替える。その際に血を洗い流そうと水場に向かう。そこに待っていたのはお湯を桶に入れた竹千代であった。


「ようやく出てこられたのですね。もうあのまま部屋に閉じこもってしまわれるのかと思いました。ささっ、こちらに」

「・・・どうしたのだ」

「先ほど台所にてお湯を分けてもらったのです。お師匠様が鶴丸様の元へ向かうと聞いたので」

「そうか・・・。済まない、心配をかけてしまった」


 竹千代は何も言わずに俺に手招きする。その通りに従い俺は竹千代の目の前に身体をかがめた。

 桶のお湯を頭からかぶせてくれたのだが、思ったよりも温かくない。心臓がギュッと握られるような痛みに襲われ、竹千代を睨んだのだが、竹千代にとっても思ったより冷たかったらしく唇を震わせている。


「ではまた明日、お会いいたしましょう」


 衣服を着替えた後、竹千代も自身の部屋へと戻っていった。

 さて俺も寝るとしようか。



 翌日、目を覚ました俺は着替えて義元様との謁見に備えていた。

 そんなとき、廊下より誰かが慌ただしく走る音が聞こえる。どうやら俺の部屋へと向かっているようだ。そしてその足音には何やら懐かしさも感じた。


「鶴丸!ここにいたのか!」

「父上様・・・」

「お前、何をしたのか分かっているのか!」


 部屋へと飛び込んできたのは父である一色政文。随分と久しぶりに会った父の顔は真っ赤に染まっている。


「殿、お待ちくだされ!」

「下がっていろ、時宗!」

「ですが・・・」


 一色四臣の筆頭である氷上時宗の言葉も聞かず、父は俺の元へと歩み寄ると何も言わずに拳が飛んできた。

 それが見えていなかったわけでは無いが、俺は甘んじて受け入れる。


「グゥッ!?」

「殿!」


 殴り飛ばされた俺は、その後何発か殴られてようやく解放された。口の中が血に塗れて気持ちが悪い。

 俺がこうして傷を負ったのは意外にも初めてのことなのだ。


「何故竜王丸様がお怪我をされて、お前が無傷で戻って来ているのだ!主を危険に晒して何が家臣か!」


 また俺の元へ近寄ろうとした父を時宗が背後より止めに入った。時宗には感謝しかない。次にまた喰らっていたら、正直歯が折れていたのではないかと思えてしまう。


「竜王丸様のお側にいて不甲斐ない!一色の面汚しであるぞ」


 以前の俺が聞いていれば間違いなく腹を立てていたであろう言葉の数々。騒ぎを聞きつけた者たちが部屋へと集まってきているが、父の怒りが収まる様子はいっこうに見えない。

 だがこの状況において、俺は全ての言葉を納得して取り込むことが出来ていたのだ。何故外様である一色家がこうも今川家の当主に信任して貰える御家になったのか。その様を今見せつけられている気がしてならない。

 そしてそれは不思議な感覚だった。

 殴られた顔は痛いのに、父の言葉は俺の中に深く染みこむ。


「申し訳ございませぬ」


 俺は何も言い訳はせず、ただ父に向かって頭を下げた。その姿にどう思われたのか分からぬが、父は何も言わずに時宗を連れて部屋から出て行く。

 おそらくだが今日の謁見に同席するのではないだろうか?


「鶴丸様!」

「竹千代か。格好の悪いところを見せてしまったな」

「いえ・・・。それよりも大丈夫にございますか?」


 手ぬぐいのようなもので俺の口元を拭う。赤く染まっていることから分かるが、やはり口を切っていたようだ。


「竹千代、俺の顔はどうなっている?」

「随分と・・・、その良いお顔をされております」

「そうか。嘘がつけぬ男だな」


 竹千代に手を引かれて立ち上がる。野次馬と化した者たちの間を縫ってやって来たのは雪斎と虎王であった。虎王も何やら心配そうに見ていたが、雪斎は苦笑といった様子である。


「良いお顔をされておりますな。さてでは広間へと向かいますぞ。御屋形様がお待ちです」

「はい」


 ついに来た。

 俺にどのような沙汰が下されるのかは分からないが、もし今の俺が赦されるのであれば、今後はもう迷うことも無い。

 どこでどう間違えたのかは分からないが、どうやらよく分からぬ糸に引き寄せられているようだ。竜王丸様との長年にわたる関わりは、俺の気持ちを大きく変化させてしまったらしい。

 俺は一生、あなたを支え続けると誓おう。そう心に決めた。

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