第7話 露見した弱点

 今川館城下町 一色鶴丸


 1550年冬


 領内での竜王丸様の人気は正直に言えば凄まじい。

 特に戦に徴兵される可能性のある農民らだけでみてみると、義元様を凌ぐほどの勢いであった。

 それは竜王丸様の心優しき性格が要因であるのだが、逆に言えば大名としては心許ないと思われかねないと、一部の者らが不安がっている。

 俺は上洛を目指さないのであれば変わらずともこのままでも良いと思うのだが、そうはいかないのが名門の跡継ぎである者の辛いところであると改めて思わされた。


「竜王丸様ー」

「りょうおうまるさま~」


 どの身分の者らから名を呼ばれても笑顔で応えるその姿は、かつての世界のアイドルを思い浮かべる。

 護衛としてついて来ている者も気が気でないだろうな。

 そんな俺の腰にも木刀ではない、本物の刀をさしていた。俺もいざというときはこれを抜いて戦わねばならない。

 当然だが木刀と違う。故に斬れば血は出るし、肉は切れる。最悪死に至らしめるが、やらねば俺がそうなるのだ。

 何度も言い聞かせて俺はこの刀を携えていた。


「竜王丸様、残すは少し離れた地にある鍛冶屋の集落にございます」

「あの小川の向こう側であろう?しかし天気も怪しくなってきたな。竹林を抜けて向かうぞ」

「竹林を抜けるのですね。かしこまりました」


 護衛の者は竜王丸様の言葉に従い、馬を進ませる。

 ちなみに鍛冶屋の集落に向かう道は二通りある。1つは少々深い竹林を抜けてたどり着く道。もう1つは道が広く、交通量もある程度あるものの遠回りの道。

 いつもであれば遠回りの道を使う。

 しかし今日は天気がすぐれぬから近道を使うという判断なのだそうだ。

 俺は特に何も思わず、その言葉に従う。竹千代も何も感じた様子でなく俺達の次に馬を進めていた。


「竜王丸様、少しよろしいでしょうか?」

「如何したのだ、鶴丸」

「館に戻ったら、私の弓術の訓練の成果を見ていただきたいのです」

「ついに的に当たるようになったのか」


 竜王丸様の冗談に竹千代が思わず吹き出した。それにつられて護衛の者らまで吹き出す始末。

 竜王丸様は満足げに笑われたが、俺としてはその程度のレベルはすでに卒業済みである。しかし数ヶ月前までまともに当たらなかったのだから、あまり反論することも出来ずにいた。


「十発放ち、全て的を得ることが出来るようにはなりました。精密さには欠けますが、まともに前に飛ばせなかった頃に比べれば随分と腕を上げたと思います」

「クククッ・・・。弓術が上達せぬ鶴丸を見てお師匠様が頭を抱えていた日が懐かしい」

「私が今川様にお世話になった頃には、すでに的には当たるようになっておりましたが、そのような時もあったのですね」


 竹千代が余計なことを言って、また護衛らを笑わせた。

 そんなことを言っている間にも、天気はどんどんと悪くなり風も強くなってきた。・・・風が強く?


「みな、待て」

「不覚をとりました・・・」


 異変に気がついたのは俺だけでは無かった。竜王丸様や竹千代を始め、一部の護衛の者も気がついている。


「よく気がついたな」


 竹藪の中から姿を現したのは、農民の格好をした侍。腰には刀を携え、俺達を取り囲むように十数人の男が同じく姿を現した。


「今川竜王丸殿とお見受けする。主様からの命だ、お命頂戴する」

「・・・聞かせてはくれぬか。そなたら何者だ。誰に雇われた?」


 竜王丸様はひるんだ様子も無く、その侍に問いかけた。

 馬に乗っていた俺達は、すでに地面に足をつけ刀を抜いて待ち構えている。だが竜王丸様の毅然たる態度とは対照に、俺の持つ刀はガクガクと震えていた。

 決して武者震いではない。ただ単純に怯えているのだ。

 死に直面した今の状況に、身体がついてこれていない。


「雇い主は言えぬが、これだけは言える。北条家の繁栄のためには今川との同盟は不要。嫡子であるお前が死ねば、両家の同盟は立ち消え、そして戦が起こるであろう。織田と北条に挟まれた今川に先はない。大人しく北条躍進の糧となってもらおう」


 よくしゃべる口である。余裕があればそう言ってやりたいほどであった。だが残念なことに今の俺にそこまでの余裕はやはりない。

 竜王丸様の時間稼ぎがあっても、俺の中で覚悟を決めることは出来なかったのだ。


「話はこれまでだ。さっさと死んで貰おう。お前ら、かかれ!」


 護衛よりも襲撃者の方が人数が多い。俺は未だ決めきれぬ覚悟のまま、襲いかかってきた侍の刀を受け止めた。

 やらねばやられる。その一心で反撃こそ出来てはいないが、懸命に振り下ろされる刀を捌く。

 剣の腕は竹千代の方が上に思えるのだが、怯える俺にとってはそんなこと意味の無い差であった。


「ぐぁ!?」


 悲鳴の先を見てみると、竜王丸様の前に立っていた護衛の者が血を腕から吹き出しながら地面に倒れ伏す。

 その者に対して刀を突き刺す侍。

 息の根を止められたその者はピクリとも動かなくなった。その様は余計に俺を混乱させる。


「竜王丸様!」


 突如として竹千代の声が響く。手の空いた侍は竜王丸様に襲いかかり、刀を一閃した。

 血が飛び散るのが分かったが、竜王丸様は後方に飛び退いた分僅かな切り傷で済んでいる。


「鶴丸様!下がってください!」

「え・・・?あ!?」


 竹千代の声に遅れながら反応した俺の目の前には、すでにこちらに向かって刀を振り下ろそうとする侍がいた。

 終わった。今刀を出しても間に合わない。

 防御を諦めた俺は、襲いかかるであろう痛みに備えた。僅かな悲鳴と共に顔に生暖かい液体が降り注ぎ、上から重い何かがのしかかってくる。


「鶴丸様!」

「竹千代?」


 竹千代の声に俺はかろうじて返事をすることが出来た。斬り合いの中で攻撃に出ることが出来ないことは、すなわち負けを意味する。

 俺が畏れていた事態は、やはり起きたのだ。そしてまんまと克服出来ずにみなを危険に晒している。

 竜王丸様の方は、どうにか駆けつけた護衛の者らが満身創痍で守っている。竹千代に助け出された俺は、手を引かれて立ち上がった。

 しかし俺の腕には竹千代の手に付いていたであろう血がこびりついているのだ。


「すまぬ・・・。迷惑をかけた」

「・・・未だ油断は出来ません。まだ残っております」

「あぁ、もう大丈夫だ」

「ではあちらの加勢に向かいます」


 竹千代は未だ孤立している護衛の1人の元へと駆け出した。俺はどうすれば・・・。

 この状況で、周りを見れたことは奇跡に等しいと思う。周りをグルッと見渡した時、俺達から離れた場所でこちらを見ている者に気がついた。

 その手には、最近俺が必死に会得している弓が握られている。

 そしてその者が狙う先には・・・。


「危ない!!」


 俺は咄嗟に道ばたに落ちていた石を掴み、そしてそれを思いっきりぶん投げた。気を逸らすだけで良い。意識が石に向けば、狙う手がくるやもしれん。

 そんな気持ちで投げた石はまっすぐに射手の元へと飛んでいき、鈍い音と「ぐぇ!?」という声とともに弓は全く違う方向へと放たれる。。

 呆気にとられた侍を護衛の者が拘束し、竜王丸様の危機も脱した。

 だが俺の足はまっすぐ射手の方へと向かっていたのだ。そして地面に蹲る男を見つける。

 俺の手には刀が握られていたのだが、やはりそれを使うことは出来なかった。刀を手放した俺は腰に差してあった鞘を抜き取り、気がついたらただ無心でその男の顔を殴っていた。


「くそっ!くそっ!くそっ・・・、なんで・・・、なんでだっ!!」


 なんで俺はここまで竜王丸様のことを・・・。元から離れるつもりだったじゃないか!なのに、何故っ・・・。

 何度も殴っていたのであろう。手は真っ赤に染まり、その者も虫の息であった。顔の形も血でわかりにくいが変形しているように思える。

 だがそれに気がついたのは誰かに腕を掴まれたからであった。


「り、竜王丸様・・・」

「もうやめよ。その者は最早戦えぬ」


 俺はようやく手に握っていた鞘を手放した。その鞘は血で濡れており、もはや元の色形は見る影もなくなっていたほどだ。


「鶴丸のおかげで麻呂は助かったのだ。もうよい」

「り、りゅうおう、まる、さ、ま。もう、しわけ、ございま、せ」


 慣れ親しんだ柔らかな声に俺の緊張の糸は完全に切れたようだ。

 俺の意識はそこで無くなる。誰かが優しく受け止めてくれた記憶だけは微かに残っていた。

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