ミミヒモ海月記(カイゲツキ)

メメ宮 景斗

第一話

 深夜に現れるUFOの噂を知っていますか? 半年前から広がっている話で、口々に伝わり尾ひれがつき、ちょっとした都市伝説化しました。


 真偽は不明でしたが、円盤型をしており、不気味な雰囲気を纏ったUFOは、遠く離れた別世界の物みたいにぎらぎらとした銀色をしているそうです。


 UFOに捕まると一体何をされてしまうのか。巷では、「UFOに捕まるだなんて恥ずかしい」という話も蔓延していて、自分の家族がUFOと接触してしまったと分かった人は、それを誰にも話さず、その家族を家の中に閉じ込めておくようになる傾向が強いということも報告されていました。





 深夜一時。自転車を引いて夜道を歩いていた僕はそんな話を思い出していました。いつものように散歩に出かけていたのです。夜風を浴びていると、収まらない気も多少は落ち着きます。そういえば最近はUFOを含んだ噂話全般をほとんど聞きません。この頃はあまり人と会話していないので当たり前といえば当たり前ですが。


 実際UFOに遭遇したとして、僕に何か変化は訪れるのでしょうか。UFOは何を奪い、与えていくのでしょうか。僕にはもう夢を信じるような余裕もなければ、絶望に足るほどの大切なものもありません。


 加えて僕は人を愛することも出来なければ、人に関心を持つことも出来ませんでした。思えば人に対する絶対的な信頼が欠如していたのです。自分を傷つけようとしてくる相手に殺されないように、攻撃手段と防衛手段を整備する毎日は味気なく、一般常識的には良くない事をしているんだという自覚はありつつも、かといって僕にはどうすることも出来ず、ただ恥の意識だけが募っていきました。




 ずいぶん遠くまで来たようで、家はまばら、知らない建物が黒い影を作り、知らない店の看板が僕を取り囲んでいました。


 そんな僕でも意外と上手くやっていけていたのですが、とある日、些細なことから元々希薄な人間関係が崩壊してしまいました。こうなることは予測できていました。いいのです。頑張っても意味はないのです。怒鳴られはしませんでした。ただただ見放されたのです。

 けれども、同僚の亀有くんは僕を気にかけていました。


「岐路根くん、大丈夫かい」


 そう言って慈愛の目で見てくる彼の顔を思い出します。亀有くんはよく出来た人間でした。こんな僕にも手を差し伸べる程ですから。しかし、だからといって簡単に警戒を解くべきではありません。大体、こういう人間に限って自分の暴力性に鈍感で、分かった振りを簡単にするのです! この裏切り者め!


 急な坂道をしばらく登っていくと、見晴らしの良い場所に出ました。遠くから見る街は竜宮城のような光を放っていました。黒い海も見えます。

 ……ふと、後ろに見慣れぬ標識があることに気が付きました。標識には【横断注意】の文字。といっても特に川が流れている訳でも、道路がある訳でもありません。あるのはただの一本道。淀んだ空気が漂っています。


僕は訝しげながらもその道に進んでいきました。


 しばらく歩くと、開けた場所に出ました。僕はその辺りの濡れた草むらに横になって、空を見上げました。風がそよいで、揺れる黒い影が空を丸く縁取っています。


 亀有くんのような人間に絶対的な肯定前向き理論を押し付けられたことは幾度ともあります。その中でも特に仲間というものは素晴らしいのです。散々言い聞かされてきたので飽き飽きしているかと思いきや、僕はそれに少し興味がありました。


 しかし求めているのは、楽しみを分かち合ったり、会話をしてお互いを探り合ったりするようなものではなく、このまま一緒に堕ちていけるような関係が欲しかったのです。


 そう思ったのは事実ですが、それは道徳にまずいでしょう。ああ、もし、もし人間をやめてしまえたらならば。そう願ったこともあります。何かきっかけがあれば。中途半端にヤケになってしまうのは避けたいのです。いつだって理性に忠実なので、様々な方法は知っているものの、もしそれが上手くいかず元の生活より酷いものがずっと続くとしたら、と考えると、末恐ろしくてやる気にはならないのです。


 慰めるように目を閉じて、眠りに就こうとすると、断続的に電子音のような音が聞こえてきました。モールス信号のようですが、にしてはリズムも音程もめちゃくちゃです。周囲を見回しても正体は分かりません。その音は止まず、僕の背に張り付いているような近さで聞こえてくるので、背筋にひんやりとした汗が滲みました。僕は目を凝らして五感を研ぎ澄まします。


 その時、姿を現したそれは、UFOでした。僕は目を奪われてしまいました。視界の端がどんどん暗くなって、思考が回らなくなってきます。心なしかUFOにも見つめられているようです。しばらくUFOはそのまま空中に静止していましたが、こちらに、ゆっくりゆっくり近づいてくるではありませんか。ぼうっと光る赤と緑のランプが点滅していましたが、僕はその言語を解しませんでした。


 一瞬でした。UFOから伸びてきた触手は無防備な僕の体を拘束しました。もがいた勢いで停めていた自転車に腕がぶつかり、ガシャンという音を立てて倒れ、山の急斜面を転がっていってしまいました。さらにUFOから伸びてきた触手は僕の両耳へ侵入し、鼓膜を突き破られ、頭の中を覗かれているよう。奇妙な流動体を注入され、ごぽごぽとした音が脳内で反響します。僕は緩やかに酩酊状態に陥りました。UFOは注入を完了し触手を引き抜くと何処かへ去っていきました。僕はその場に崩れ落ちました。目の焦点が合いません。口角は緩んでしまい、唾液がつうっと首筋をつたいました。


 とにかくここから逃げないと。焦燥感に駆られ立ち上がろうとすると、三半規管が刺激されて強烈な吐き気に襲われました。足取りがふわふわします。一歩進むと坂道で、また一歩進むと下り坂になっている様です。頭にモヤがかかっていて瞬きに脳がついていきません。戸惑いながらも、這うように坂の下へ歩みを進めて行きました。生暖かい追い風が吹いていました。まるで誘われているような、そんな風でした。


 来た道を引き返していたはずなのに、下っても下っても一向に街に辿り着きません。なんだか耳がむずむずします。


 意識をそらしてしまったせいで、足を踏み外してしまいました。崖だったのです。はっと息を飲んで前を見ると一面に広がる大きな海。僕は結構な高さから落ちて、大きな水しぶきを立て海に飛び込みました。


 藻掻けば藻掻くほど沈んでいき、肺の中が空っぽになって頭が真っ白になったその時、僕の耳から触手が出ていることに気が付きました。目を見開き、それを凝視しました。両耳から二本ずつ出た長い触手は、青白い光を発しています。時が止まったようでした。触手が出てから、心なしか呼吸が楽になったようです。そして眠りに落ちるように僕は意識を失いました。

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