それは、たったひとつだけの奇跡だったーー。

 いつものように波打つ音が聞こえる

それでいて空は星で明るいし美しい、

けれど私は椅子には座っていなかった。


 なぜなら`いつも`とは違うから

似ても似つかない非日常なのだ。


 もう座ることが出来ない木の椅子

砂浜の上に散らばって放ったらかし、

壊れてしまったにもかかわらず……だ。


 今はそんなことよりも優先すべき

重大な出来事が巻き起こっている。


ーー私は言う


「それで、どうしてここに居るのかな」

「これ、ちゃんと直せるんだろうか?」


 それを愛用していた私の代わりに

散らばった椅子の残骸を集めている、

見覚えのありすぎる男に対してーー。


※※※※ ※※※※ ※※※※


 あの日、この人は永久に消えてしまい

もう会えないものだと思ってたのに

こうも突然現れるだなんて。


 実に奇妙だと言わざるを得ない

……どころか、いっそ不気味なくらいだ。

なぜ?どうして?と湧き上がる疑問に

救いの手のような答えを、私は再度求めた。


「もう1回聞くんだけど


……なんで居るのかな、ここに」


が、


「ほんと、なんでここに居るんだろうね」

「それを聞いているんだけどなぁ!?」


 彼の口からは、期待した答えは聞けず

情けない鼻声で叫ぶ羽目になってしまった。


 先程、大いに乱れた髪や服は

きっちり元通りにしたんだけれども

この`声`だけはどうしようも出来なかった。


 すると彼は、私のお気に入りの椅子

`だったもの`を修復する手を止めて

スっとこちらに向き直りこう言った。


「すっごい可愛い声出してる」

「触れないでほしいかな……」


 そういうのは出来ることなら

目を瞑ってくれるとありがたいのに、

あえて口に出すのはどうかと思う。


「目元、真っ赤っかだね」

「……わざとやってるのかな」


「いやいや、ごめんよごめん

ぜんぜん悪気はなかったんだよ」

「悪気しかなかったと思うけどな!」


 なんて白々しいことかこの人は

相変わらず昔も今も、変わらず軽い男だ

ちょっと生まれた場所が違うからって、

私のことをおちょくって楽しんでいる。


……とっても頭にくるかな。


 という、内心で燃え始めた青白い炎を

ふつふつと滾らせていると彼は言った。


「キミは本当に変わっていないね」


 その、彼の声は、なんて愛おしそうで

なんて悲しげな音色が込められていた。

心が痛くなる様な悲しい音、だった。


 思わず息を飲んでしまうほどに、

燃えたぎっていた炎が消えるくらい

……悲痛な叫びみたいに聞こえたのだ。


「もう会えないと思っていたよ」

「……うん」


 かつて共にすごした日々の思い出と

寸分違わない彼の口調や見た目や雰囲気

そして、それはきっとこの私も同じなはず。


……どれだけ奇跡的なことか

……どれだけ途方もない幸せなことか


 もう二度と訪れはしないと思っていた

夢のような現実が今ここにあるのだと、

そう改めて認識させられた。


「僕、どうしてここにいるんだろうね」

「こっちが……聞きたいかな」


 何度思っても口にしたとしても

この疑問は恐らく解決しないだろう。

全ては謎に満ち満ちているのだから

分かる方がおかしいというものだ。


「元気にしていたかい?」

「それなりに元気してたかな」


「そうか……それはそれは良かった

うん、本当に嬉しい限りだよ」

「大袈裟じゃないのかな……」


「ちいっとも大袈裟じゃないさ

なんにも、まったくもってね」


 そこまで言い切られてしまうと

流石に気恥ずかしくなるというもの、

頬が赤く染っていくのが自分で分かる。


 このままだと`顔赤いね`とか

彼のことだから言ってきかねない……

なんて心配は無駄に終わった。


 なぜなら彼は、特に何も言わず

ただ優しく微笑んでいるだけなのだから

私はこの微妙な間を耐えられなかった。


「……そっちの方はどうなのかな」

「僕の場合は`元気になった`が正しいね」


「どういうことかな」

「うん、実はね」


「病気で死んじゃったんだよ僕」


「……初めの時みたいに?」

「初めの時と同じ死因さ」


 彼が初めてこの場所にやってきた時

元の世界で`病死した`と言っていた。


 つまり今回も同じということなんだ、

死を、経験してきたということだ。


「……苦し、かった……のかな」

「そりゃあもう、凄く苦しいよ

なんたって死ぬほどの病だからね」


 これは前に聞いた話だけれど

彼の元住んでいる世界で、その病気は

`治すことの出来ない病`であるという。


 人類の力ではどうすることも出来ない

抗うことを許されない力、なのだと。


 しかし、前回と同じなのだとしたら

以前のように突然現れて、その原因は

元の世界で死んだとこだと言うのなら


要するに


「また居なくなるってこと、なのかな」

「……僕も同じことを考えていたよ」


 始まり方がまったく同じなのなら

たぶん今回も辿る軌跡は変わるまい。

幸せの終幕とはいかないだろう、

きっとまた突然の別れがやって来る。


「また、会えなくなるのかな」

「……会えなくなってしまうのかな」


 そう思うと、何故だろう今が

とても辛い時間のように思えてくる。

ようやっと巡った幸せだと言うのに

残酷な救いの無い物みたいに見える。


……いっそ失くしたままでいたら

また手放す事になるくらいなら。


 いっときの幸福感情のあとに

やがて来るだろう別れの瞬間を思い、

心が暗闇に支配されていく。


 こんなにも星に照らされてても

晴らされはしない、真っ暗な気持ち。


「あんな思い、もうしたくないかな……」


 目の前にいる彼を見れなくなる

砂浜を見下ろして、足元を見つめている。


しかし


「……繰り返すのなら」


「え?」


 しかし彼は凄く強い意思の声で

まるで夜空に輝く星々の様な力強さで、

……言った。


「もしまた、前のようになるのなら

今回とて結末は変わらないのなら


また会えるんじゃないかな」


「……そんなの分からないよ」

「でもさ」


「でもほら、見てごらんよ」

「え?」


 見てごらんと言った彼は

腕をのばし、空の高い所を指さした。

私の目線はたどって流れて昇っていき、

その先にある`モノ`を、遂に捉えた。


 差されたモノはあのお菓子だった

毎日毎日、空から降ってきていた

彼の生まれた世界にある物だ。


「きっと世界はつながっているよ

また会えるんじゃないかな


たとえ消えたとしても

たとえ病に倒れたとしても


……また、会えるんじゃないかな」


「根拠もないのに……どうしてそんな……

そんなこと、言えちゃうのかな」


「根拠ならあるじゃないか

だってここに、僕がいるからね」


 そんなのただ言い方の問題だ

確実な事なんてないのは変わらない。

ほんと、ただの気休めにすぎないし

解決なんて夢のまた夢じゃないか。


……まったく、もう。


「カッコつけないでほしいかな」

「ごめんね、許しておくれよ」


「……許してもらいたいのかな」

「どうすれば許してもらえるんだい?」


どうすればだって?


 そんなの決まってるじゃないか、

私がして欲しいことなんてそんなの


「居なくならないでくれたなら

もしかしたら許してあげるかも」


 この私か願うことがあるとするなら

`彼と一緒に`たったそれだけなのだ。


「約束する、居なくならないよ」


……本当に?


いいや違う、きっと嘘だ

いつか嘘になるに決まっている。


「どうせ破ることになるかな」


「絶対にそんな事にはならないよ」

「その自信はどこから来るのかな!!」


そんな怒号が


いつまでも響いていた。


※※※※ ※※※※ ※※※※




 小さい木の枝やら何やらで

雑にツギハギされた古い木の椅子は

今にも壊れそうなくらいなのに。


 私はこれに座ることを止めない

もし壊れても、全く問題なんて無い。


 私はこの椅子を直せはしないけれど

だからって、何も困る事なんてないのだ。


 誰もいないはずの空間に向けて

振り向きすらしないで、私は言った。


……誰にむかって?


……そんなの


私がわざわざ説明する必要


あるのかな?



「椅子、壊れてきちゃってるかな」


「ほんとうだ、ちょっと曲がってる


……長いこと使ったみたいだね」


「待たせすぎ、かな」


「ごめんね」


「目を、瞑って欲しいかな」


「分かった


……瞑ったよ」


「うん、うん……じゃあーー」



それは


「おかえりなさい、かな」


「うん、ただいま」


星の降る海の砂浜で起きた

たったひとつだけの奇跡だったーー。

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