計算できないこともある

中田カナ

計算できないこともある

「おはようございます!資料をお持ちしました」

 すっかり顔なじみとなった文官の男性によって届けられたのは、資料という名の木箱に入った紙の山。

「ありがとうございます。昨日の午後の分は計算済みで、そちらの棚に置いてあります」

「いつもありがとうございます。本当に助かってますよ」

 男性はにこやかに紙の束を抱えて去っていく。


 ここは王宮の片隅にある小さな事務室。

 扉の入口には『計算室』と書かれている。

 持ち込まれた資料の数字を計算したり、各部署で作成された書類の検算を行うのが私の所属する計算室の仕事だ。



 この国では誰もが加護という名の特定の能力を持つ。

 7歳になると神殿で祝福を受けるのだが、その際に加護が判明する。普通は1人に1つの加護だが、複数の加護を持つ人もいるらしい。

 加護とは関係のない職に就く人もいるけれど、自分の加護に適した仕事を選ぶ人は多い。


 王都から馬車で3時間ほどの小さな村で果樹農家の末っ子として生まれた私は、なぜか計算の加護を持つことが判明した。

 父や兄達は農業の加護、母と姉は料理の加護だったから、きっと私も農業か料理なんだろうな~と思っていたので、とても驚いたことをよく覚えている。


 ただ、言われてみれば納得するところもあった。

 両親が帳簿をつけているのを見ると、その計算結果がパッと頭に浮かぶ。そして間違ったことはない。

 だけど、それは幼い頃の私にとってごく普通のことだったので、誰でもそうなんだとずっと思っていた。


 やがて成長した私に、父は王都の商業学校へ進学することを勧めてくれた。

「お前は計算の加護を生かした道に進む方がいいだろう」

 幼い頃は身体が弱くてよく熱を出したりした。成長してからは病気とはすっかり縁遠くなったけど、家族の中で私だけ小柄で非力なのだ。


「きっと亡くなった私の母に似たのねぇ」

 私が生まれる前に亡くなった母方の祖母は小柄な人だったらしい。少しめずらしい書の加護持ちで、書類の代書などで家計を助けていたと聞いている。

 母が言うには、たまに少し変わった加護持ちが出る家系らしい。

 最初は父の勧めではあったけれど、小柄で見た目もいまいちな私は、恋愛や結婚よりも計算の加護で生きていくことを自分の意思で決めた。



「お願い!実家から送られてきた焼き菓子と、貴女のおうちのジャムと交換してほしいの」

 寮のある王都の商業学校へ進学したら、うちのジャムは王都でとても人気があることを知った。家族経営だから生産数が限られるので、お店の棚に並べるとすぐになくなるらしい。

 仲良くなった寮生達と各地の産物やお菓子とうちのジャムを物々交換したりして、学業以外でも充実した学生生活を送っていたのだが、どこからか計算の加護のことを聞きつけた王宮の人事担当者から勧誘された。


 王都に出てくるまで知らなかったけど、計算の加護はわりとめずらしいのだそうだ。たくさんの人が働く王宮でも現在はたった1人だけとのこと。

 王宮からの支援で法律学校でも商法などについて学んだ後、私は王宮の計算室に就職した。現在の住まいは王宮の女性職員寮だ。



「おや、もうこんな時間でしたか。そろそろ一休みしましょうか」

「はい」

 王宮の計算室にいるのは私と計算室長の2人だけ。

 室長はうちの父よりずっと年上の男性だ。細身で背が高く、長い銀髪を後ろで束ねて銀縁の眼鏡をかけている。そして私と同じ計算の加護持ちでもある。


 部屋の片隅にあるミニキッチンを使ってお茶を淹れ、温めたスコーンとともにテーブルに並べる。スコーンは室長の奥様が焼いたものだ。

「貴女のご実家のジャムは本当に美味しいですねぇ」

「ありがとうございます。実家から届いたら、また持ってまいりますね」

「ああ、でも無理はなさらなくてもよろしいですからね」

 少し心配そうな表情になる室長。


「いえいえ、いつもたくさん送ってくるので、消費を手伝っていただけて大変助かっております」

 私が笑いながら答えると室長に笑顔が戻る。

「私の妻も貴女のご実家のジャムを持ち帰るとたいそう喜んでおりますよ」

「それはとても嬉しいです。実家の母や姉にも伝えておきますね」



 コンコンコン。

「失礼します…ああ、申し訳ありません。お茶の時間でしたか」

「おやおや、何をおっしゃいますやら。殿下はこの時間を狙って来られたのでしょう?」

 室長が苦笑いしながら迎え入れたのは第三王子殿下。

 殿下がまだ幼い頃、室長が教育係を務めていた時期があるそうで、時折こうして計算室を訪れるのだ。


「ようこそ、殿下。ただいまお茶をお出しいたしますね」

 私は立ち上がってミニキッチンの方へ向かう。

「ああ、いつも手間をかけさせてしまって本当に申し訳ありません」

 すまなそうな表情になる殿下。

「いえいえ、お気になさらず」


 最初の頃は、私なんかが殿下にお茶をお出しして本当にいいの?とか思ったけれど、殿下ご本人と室長から「気にしなくていいから」と言われ、たびたび訪れるのでもうすっかり慣れてしまった。

「どうぞお召し上がりください」

 お茶とスコーンとジャムをテーブルに並べる。


 お茶を一口飲んでからスコーンにたっぷりジャムをつけて召し上がる殿下。

「貴女が淹れるお茶、そして貴女のご実家のジャムは本当に美味しいですね。疲れも吹き飛びますよ」

 普段の凛々しい表情もこの時ばかりは少し緩む。

 いつも美味しそうに食べてくださるので、こちらとしても嬉しくなる。


「お褒めいただき光栄ではございますが、これも室長の奥様のスコーンあってのことですわ」

「ああ、そうだな。計算室長、奥方へ礼を伝えておいてくれるか?」

「かしこまりました」

 殿下に頭を下げる室長。


 そういえば、実家への手紙に第三王子殿下もうちのジャムを喜んで召し上がっていると綴ったら、家族全員ものすごく驚いたらしい。

「ああ、美味しかった。ありがとう。まだ仕事が山積みなんだが、なんとかがんばれそうだ」

 にこやかに殿下は去っていった。



 それからしばらくの間、第三王子殿下は計算室へ顔を出さなかった。

 公務で隣国を訪問され、数日前に帰国したと聞いている。おそらく帰国後も後処理や留守の間に溜まっていた業務でお忙しいのだろう。


 私は仕事の合間に王宮内の図書室へ向かった。

 計算の加護を生かすためにも常に必要な知識を学んでいるのだが、来年は税法の改正があるので今日はそれに関する資料をまとめて借りてきた。


 誰しも加護を持つけれど、その加護を最大限に生かすためには努力も必要だ。

 父や兄達は果樹園で肥料の配合をいろいろ変えて試してみたり、他の農園経営者と情報交換をしている。母や姉のジャム作りも常に試作と改善を繰り返している。

 計算の加護も、この王宮ではただ計算が速いだけでは全然足りない。さまざまな知識と結びついてこそ生きてくるものなのだ。


 その点、計算室長は長年この仕事をしているというのもあるのだろうが、本当に幅広い分野の知識を持っている。仕事に関することは何を尋ねても即答してくれる生き字引のような人だ。

 何年かかっても追いつけそうにないけれど、少しでも近付きたい。だから少しでも時間があれば学ぶのだ。


「ずいぶんと重そうだね」

 ふいに持っていた資料の山が私の腕から浮き上がる。

 声がした横の方を向くと、第三王子殿下がにっこり笑って資料を持っていた。

「計算室へ行くんだろう?ちょうど私も行くところだから持ってあげよう」

 いやいや、それはまずいでしょう?!

「殿下に持たせるなんてとんでもないですっ!お願いですから返してください!」


 小柄な私は、ぴょんぴょん飛び跳ねながら長身の殿下から資料を取り返そうとするけれど、軽くかわされてしまう。

「紳士たる者、淑女に重い物を持たせたまま歩くなんて出来ないよ。どうか私のためと思って気にしないでほしい。さぁ行こうか」

 そう言われ、もうあきらめることにした。


 いろんな意味で疲れたけれど、なんとか計算室にたどり着く。

「殿下、ありがとうございました」

「どういたしまして」

 資料の山が机の上に置かれた。


「おや、殿下。お久しぶりでございますね」

 室長が微笑みながら出迎える。

「ああ、しばらく王宮を離れていたのでね。久しぶりにこちらへ顔を出そうと思ったら、ちょうど彼女を見かけたので荷物持ちを買って出たんだ」

「そうでございましたか。ご公務もそれくらい積極的に取り組んでいただきたいものですねぇ」

「おいおい、今はちゃんと真面目にやっているぞ」


 えっと、以前は真面目じゃなかったということだろうか?

 私は何も言わなかったのに、殿下は表情で察したようで、

「子供の頃の話だ!今はきちんとやっているからな!」

 私に向かって必死に弁明するので、おかしくてつい笑ってしまった。


 久しぶりに殿下と室長と私の3人でお茶とお菓子を楽しんだ後、殿下は戻っていかれた。

 その後しばらくは計算業務に集中していたのだが、室長から声をかけられた。

「申し訳ありませんが、きりがいいところで図書室からこの本を借りてきていただけますか?」

 本の題名がいくつか書かれたメモを手渡される。

「かしこまりました。あと少しでこちらの検算が終わりますので、行ってまいりますね」



 図書室で指示された本を借り、計算室へ戻ろうとしたら3人の女性に半ば強引に図書室の裏手にある庭へ連れ出された。

 直接の面識はないけれど、行儀見習いとして王宮で働いている貴族のご令嬢達だ。


「貴女、ちょっと生意気なんじゃなくて?」

 ほぼ初対面の人に言われる筋合いはないと思うのだが。


「平民の文官のくせに第三王子殿下と親しくするんじゃないわよ!」

 親しくした覚えはないけれど、もしかして今日の資料の取り合いのことだろうか?あれはむしろ遊ばれていただけだと思うのだが。


「計算しか出来ないちんちくりんのくせに!」

 ちんちくりんなのは認める。自覚はある。傷つかないわけじゃないけど。

 でも計算の仕事は私の誇りだ。それを侮辱されるのは許しがたい。



 この場でどう反論するのが最も効果的だろうか?と頭の中で計算していたのだが、その答えが出る前に割り込んできた人物がいた。

「こんなところで何をしているのかな?」

 第三王子殿下だ。

 仕事に戻ったんじゃなかったの?


「で、殿下、ごきげんよう。何でもございませんわ。少々お話しして友好を深めておりましたのよ、おほほほほ」

 リーダー格と思われる女性が殿下に貴族らしい微笑で答える。

「彼女達はこう言っているが、本当かな?」

 殿下が私に話しかけるが、女性達が一斉に私をにらんでいる。

 余計なことを言うなと目で訴えているのだろうが、知ったことではない。


「生意気だとか、平民のくせに殿下と親しくするなとか、計算しか出来ないちんちくりんと一方的に言われておりました。これからどう反論しようかと考えていたところ、殿下がいらっしゃったのです」

 女性達の顔色がおもしろいほど変わった。


 殿下は3人の女性の方を向いた。

「なるほどね。ちょうどいい機会だから教えてあげよう。王族の血筋は複数の加護を持つのは当たり前なんだ。そして全員が記憶の加護を持っている。だから貴女達のことも頭に入っているんだ。確か行儀見習いで来ているのだったね。それから私と2番目の兄上の婚約者候補にも入っていたかな」

 第一王子殿下はすでに婚約者が決まっているが、第二・第三王子殿下はまだ決まっていない。


「貴族のご令嬢がよってたかって平民女性をいじめるというのは、問題ありと言わざるを得ないだろうね。貴族というより、まず人として関わりたくないな。少なくとも私の婚約者候補から外してもらうことにしよう」

「そ、そんな!」

 女性達があわてだす。

「それから貴女達の勤務場所はここからずいぶん離れているはずだが、まったく関係のない図書室のあたりで何をしているのかな?女官長に確認を取るとしようか」


「申し訳ありませんでした!」

「どうかお許しください!」

「お願いですから女官長にだけは!」


 女性達が必死になって殿下に謝り始めた。

 王宮の女官長は、たいそう厳しい方だと聞いている。このおびえ方からすると本当にそうなのだろう。


「そもそも謝るべき相手は私ではないと思うのだが?」

 冷たく言い放つ殿下。

 ハッとした女性達は一斉に私に謝り始めた。


「大変申し訳ありませんでした!」

「前言撤回いたします!」

「どうかお許しください!」


 ずいぶんと必死なところをみると、よほど女官長が怖いんだろうなぁ。

「わかりました。謝罪を受け入れます」

 面倒なのでさっさと謝罪を受け入れると、女性達の表情がパッと明るくなった。

「「「 ありがとうございますっ! 」」」


 殿下が私の隣に立ってポンと肩に手を置く。

「最後に一言だけ言っておく。貴女達は彼女のことを『計算しか出来ない』などと罵ったそうだが、彼女はこの王宮にとってかけがえのない人材だ。万が一、貴女達のせいで彼女が辞めるなどと言い出したら、王宮の文官全員と私を含めた王族を敵に回すと思ってくれたまえ」

 女性達が震え上がる。

「さぁ、早く仕事に戻るといい」

 女性達は一礼して逃げるように走り去っていった。



「私と関わったばかりに迷惑をかけてしまって大変申し訳なかった」

「いえ、お気になさらず。慣れてますから」

 殿下のすまなそうな表情が一瞬にして厳しいものに変わったことに気づき、私は失言をしたことを悟る。


「このようなことが過去にもあった、ということかな?」

「えっと、今日みたいに呼び出しを食らったのは数回程度ですが、通りすがりに嫌味を言われたり、わざとぶつかってきたり、足を引っ掛けて転ばされそうになることは日常茶飯事でしょうか」


 頭を抱える殿下。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?!こちらでいくらでも対処したのに」

「えっと、王宮というのはこういうのが普通なんだろうな~と思っておりまして」

「そんなわけないだろう?!」

 あ、そうなんだ。


 学生時代に友人から借りた小説ではそんな場面がよくあったから、きっとこういうのが当たり前なんだろうと結構本気で思っていた。

「まぁいい。まずは計算室に行こう。計算室長に本を頼まれていたんだろう?」

「あ、はい」

 今日はたった3冊なのに「私が持つから」と殿下に取り上げられてしまった。



「歩きながらでよいので聞いて欲しいんだが、先程の無知な彼女達は貴女のことを『計算しか出来ない』と罵っていたけれど、王宮の計算室というのは本当になくてはならない存在なんだ」

 彼女達が言うように、計算ばかりしているのは事実ではあるのだが。


「昔の王宮は常に仕事が山積みで残業や泊まり込みも当たり前。業務の見直しも追いつかない。そんな時にたまたま雇い入れたのが計算の加護持ちでね。それが計算室誕生のきっかけでもあった」

 どうやらわりと偶然の産物だったようだ。


「その人物が複雑な計算を一手に引き受けたことで各部署に余裕が生まれた。業務を見直し、無理なく仕事を回せる体制を整えた。泊まり込みもなくなり、残業も大幅に削減できた。働きやすい職場になったことで優秀な人材も入ってくるようになった」

 現在は時期によっては残業もあるけれど、遅くまで残っている人はいない。

「貴女のように表に出ない仕事をしている人達がいるからこそ、王宮の仕事はうまく回っている。だからどうか自信を持ってほしい」


 ああ、そうか。

 殿下は私を気遣ってくださっているのだ。

「殿下、ありがとうございます。私は自分の仕事に誇りを持っております。ですから誰に何と言われようと決して負けたりいたしません!」

 殿下の手がポンと私の頭に置かれた。

「貴女は強いな。だが、困ったことがあれば計算室長や私に相談して欲しい。我々は対処できるくらいの力を持っているのだから」



 計算室に戻り、室長に本を渡してから3人分のお茶を淹れる。

 最初に殿下が室長に先程の経緯を簡単に説明した。

「まず、私はこの部屋に頻繁に出入りすることで要らぬ注目を浴びてしまい、貴女に多大なる迷惑をかけてしまったことを心からお詫びしたい。本当に申し訳なかった」

 頭を下げる殿下。

「どうかお気になさらないでください!たいして実害があったわけではありませんから」


 なぜか殿下は苦笑いしながら頭を上げる。

「ただ、彼女達の勘はあながち外れてはいないともいえるかな。私は貴女に興味を抱いて計算室へ足を運ぶようになったのだから」

 えっ、そうだったの?

「あの、どうして私なんかに興味を…?」


「厳格で誰も笑顔を見たことがないと言われている人物の部下として、いきなり若い女性が入ってきたからね。心配になったのと興味本位の両方ではあったかな」

 その言葉を聞いて室長の方を見る。

「まぁ、私も昔は色々とあったのですよ」

 そう一言だけ告げて再びお茶をすする。


「様子を見ていると最初からうまくやっていたし、室長も時折笑っていたので本当に驚いた。そして貴女は王族である私にさして興味も示さず、ひたすら仕事に打ち込む姿が印象に残った」

 興味がないというよりも単純に別世界の人だと思っていた。もちろん今もだけど。

「そして、ここで出されるお茶やジャムも本当に美味しくて、つい入り浸ってしまったわけだ」

 なるほど、食べ物に釣られていたのか。


「先日まで公務で隣国へ行っていたので、残念ながらしばらく来られなかったのだが、隣国でもたびたび貴女のことを思い出していた。今頃いったい何をしているだろうか?今日のお茶菓子は何だろうか?とかね」

「はぁ」

 公務って実は結構暇なんだろうか?


「自分でもどうにも理解しがたい不思議な感情でね、側近でもある長年の友人にふとそのことを漏らしたら『それは恋なのでは?』と言われた。ああ、この感情がそうなのか、と納得したんだ」

「…は?」

 恋?誰が?誰に?


 殿下が姿勢を正す。

「どうやら私は君のことが好きになってしまったようだ」


「ちょ、ちょっと待ってください!私なんかのどこがいいんですか?他の人に比べて小柄だし、かわいくもないし…」

 さっき絡んできた行儀見習いの令嬢達は、言動は問題だらけだったけど、全員きれいではあったのだ。

「普段の貴女はとても可愛らしいと思うし、仕事に対して真摯に取り組む姿は本当に美しいと思う」

 可愛いとか美しいとか言われたことがないから困ってしまう。


「だからまずは確認したい。貴女は私のことが嫌いだろうか?」

「決してそんなことはございません!」

 つい力をこめて否定する。

「えっと、その、うちのジャムを美味しそうに食べている時は、普段見せない柔らかい表情でいいなとは思います。ですが、その、恋愛的に好きか嫌いかというと、今まで考えたこともなかったので、よくわからないです…」

 しどろもどろで最後の方は声が小さくなってしまう。


 とまどう私を見て殿下が微笑む。

「まずは嫌われていないことに安心した。私は貴女のことをもっと知りたいと思うし、貴女に私のことを知ってほしいと思う。だから、これからはそのつもりで接していくので、どうかよろしく頼む」


 どうしていいかわからなくなり、すがるように室長を見るとこちらも微笑んでいた。

「あの幼かった殿下が立派に成長し、女性に告白する場に立ち会えるとは光栄ですね。若いお2人のことですので私は見守りに徹しますが、もし彼女に無理を強いるようなことがあれば介入させていただくといたしましょうか」

 第三王子殿下はうなずいた。

「ああ、かまわない。正々堂々といくつもりだからな」



 それから第三王子殿下はますます計算室に入り浸るようになった。

 でも、お茶の時間以外は決して口出しすることはなく、持参した本や書類に目を通している。

 最初の頃は計算室に来る人達が殿下の存在に驚いていたけれど、今ではすっかり慣れてしまい、

「おや、今日は殿下はいらっしゃらないのですね」

 と言われる始末だ。

 さらに私が図書室へ行く時はいつも殿下が同行するものだから、王宮内ではもはやセット扱いとなっている。


 殿下は時々お菓子や小さな花束をプレゼントしてくれる。たまにアクセサリーもくださるけれど、ちゃんと私の好みを把握していて、使いやすいものを選んでくださっている。

 本当は何もお返しできないから遠慮したいのだけれど、

「私の気持ちだから、どうか気にしないで」

 と言われてしまう。


 さらには休暇で実家へ帰る私に王宮の同僚と偽って変装してお忍びで同行し、私の家族の信頼もあっという間に勝ち取ってしまった。

「王宮で素敵な方を見つけたわねぇ」

 母と姉がそう絶賛し、父にいたっては、

「娘のこと、どうかよろしくお願いします」

 と頭を下げて言い出し、外堀は着実に埋められていった。



「しばらく一緒にいて貴女を見てきたけれど、やはり人生を共にしたい相手だと思った。どうか私と結婚してほしい」

 計算室でのいつものお茶の時間に第三王子殿下は突然求婚してきた。

 私のことをいつも気遣ってくれているし、お茶の時間にこの部屋だけで見せるなごやかな表情もひそかに好きだったりする。

 だけど。


「殿下のお気持ちは大変嬉しく思います。ですが私は平民で、王宮の文官の1人に過ぎません。王族の伴侶としての教養やマナーもないので、殿下にふさわしくないと思うのです」

 私は正直に思っていることを告げる。


「身分、それから教養やマナーに関しては私におまかせください」

 室長が口を挟んできた。

「以前から殿下より相談を受けておりましたので、私の生家である公爵家の養女とすることで話は通してあります。これで身分に関しては問題ないでしょう。教養やマナーも、かつて王女殿下の教育係をしておりました私の妻が指導いたしますので心配は無用です」


 聞けば室長は公爵家の三男で、祖父は王弟であったらしい…ということは、室長は王族の血を引いているわけで、記憶の加護持ちということになる。

 博識なのも納得だが、ちょっとずるい!と思ったのは内緒だ。


「上の兄が王位を継ぐことはすでに決まっている。そして下の兄が国内の産業を、私が外交を担うことになる。跡継ぎも気にしなくていい。それに少なくとも上の兄が結婚してからになるだろうから、まだ時間はたっぷりある。そして出来る限り貴女の希望は叶えよう。だから、どうか私を選んでくれないだろうか?」

 私の希望、か。


「私、もし許されるのなら計算室の仕事を続けたいです。それでもよろしいですか?」

「もちろんだとも。女性の社会進出は国がこれから最も力を入れていきたいことだからね。本当は貴女を誰の目にも触れないように閉じ込めておきたいくらいだけれど、私は生き生きと働く貴女も好きなのだから」

 殿下は予想していたのか、笑顔で即答する。なんだかさらっと怖いことを言われたような気もするけれど、仕事が続けられるのならば迷いはない。

 そう、答えは簡単だ。

「こんな私でもよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします」

「ありがとう!必ず貴女のことを大切にするよ。そして一緒に幸せになろう」



 その後は怖いくらいとんとん拍子で話は進み、私は王宮の職員寮を出て室長のご自宅でお世話になっている。

 戸籍上の家族となる室長のご実家の公爵家への挨拶も済ませた。

 そして私の実家で殿下が正体を明かして結婚の申し入れをした時は、さすがに家族全員ものすごく驚いていたけれど、みんな祝福してくれた。

「あらあら、とんでもない大物を釣り上げてきたわねぇ」

 母はそう言うが、釣ったつもりはないんだけどなぁ。むしろ釣り上げられてしまった気がするんだけど。


 昼間は計算室で仕事をこなし、夜間や休日は室長の奥様から各種マナーや必要な知識を学ぶ。

「うちは息子ばかりだったので、思いがけず娘ができてとても嬉しいわ」

 室長の奥様はとても優しい方で、趣味で作るお菓子にも人柄がにじみ出ていると思う。

 そして普段の所作もとても美しい。真似てはみるけれど、これがなかなか難しいのだ。


 第二王子殿下が今のところ結婚の目処が立っていないこともあり、第三王子殿下も派手な結婚式は行わず、王族にしては質素なものにすることになったけれど、その準備は少しずつ進んでいる。

 そして現在はまだ学生だけれど、計算の加護持ちの男性が卒業後に王宮の計算室に加入することが決まった。

 すでに顔合わせも済んでいて、商業学校の後輩ということもあって打ち解けるのは早かった。

「彼が加われば貴女も安心して産休を取れますね」

 室長が少し気の早いことを言っていて、つい顔が赤くなってしまった。



 それから2年ほど経過し、計算室の3人体制もすっかり馴染んできて、私の結婚準備もほぼ完了した。

 そして明日行われる第一王子殿下の結婚披露パーティで、第三王子殿下と私の婚約も正式に発表されることになる。


「以前、貴女に『王族は複数の加護を持つ』と話したことを覚えているかな?」

 明日の最終確認を済ませた後、王族のプライベートエリアにあるテラスで第三王子殿下とお茶を飲んでいたらそんな話を切り出された。

「はい。確か皆様が記憶の加護を持っておられるのでしたよね」


 彼がうなずく。

「そう。実は王位継承者になると5つくらい加護を持っていたりする」

「そんなに?」

 加護を複数持つ人がいることは知っているけれど、そこまで多い人がいるとは驚きだ。


「私が外交の一端を任されているのは、記憶の加護の他に『言語』と『交渉』という2つの加護を持っているからなんだ」

「交渉の加護、ですか?」

 言語の加護を持つ人は王宮で働く人達の中にもそれなりにいると聞いている。

 だけど、交渉の加護というのは聞いたことがない。

「そう。かなりめずらしい加護だけど、王族では時々いるんだよ。そして交渉の加護に限らず、人心を惑わす恐れのある加護は神殿により封印されることがある」


 殿下はそう言って私に右手の甲を向ける。

「私も子供の頃は暗示で使えないようにされていた。やがて分別がつくようになり、暗示が解除されてからも私事に使うことはなかった。ほら、この小指の指輪が封印の役割をしているんだ」

 殿下の右手小指には細い金色の指輪が光っていた。


 …あれ?

 でも、計算室でお茶する時に殿下の手元を見たりしていたけれど、確か指輪がない時もあったような…?


 殿下がお茶のカップをテーブルに戻す。

「今だから明かすけれど、父である国王陛下と神殿の許可を得て、私事では使わないことにしていた交渉の加護を貴女を得るために使ってしまった」

「え、私のため…ですか?」

 全然気付かなかったんですけど?


「貴女に結婚を申し込んでから、ここまで順調に事が運んだだろう?」

 確かに上手くいき過ぎているな、とは思っていた。


 公爵家の養女になるとはいえ、そもそも私は平民だから身分差があるというのに、どこからも反対意見が出なかった。

 第三王子殿下は貴族のご令嬢達からとても人気があったと聞いている。そして婚約者候補のご令嬢達も王宮へ行儀見習いという形で登城しているはずなのに、以前のような意地悪は一度もなかった。


 少々気難しいところのある私の父も、お忍びで身分を偽っていた殿下に会った際、あっという間に私の未来の相手として認めてしまった。

 戸籍上の家族となる公爵家も、マナーや教養を教えてくださった室長ご夫妻も最初から歓迎ムードだった。

 そして、私が派手なことを好まないことをよく知っている殿下は、結婚式も可能な限り簡素なものにしてくれた。王族なら祝い事も盛大に行うはずなのに…。


「隠し事はしたくないからこうして明かしたけれど、貴女は何も気にしなくていいからね。交渉の加護というのは、双方が最も納得のいく形を示してくれるものだ。貴女の計算の加護と一緒だよ」

 そう…なのかなぁ?

 まぁ、そういうことにしておこう。



 それにしても、どうしてこんなことになっちゃったんだろう?

 小柄で非力な私は、計算の加護を生かして仕事に生きていくと決めたはずなのに、明日は目の前で優雅にお茶を口にする第三王子殿下との婚約を発表する。

 数字以外もわりと計算できる方だと思っていたけれど、さすがにこれは計算外だ。


「ああ、そうだ。今のうちに言っておくけれど、貴女に対して交渉の加護は絶対に使わないとここに誓おう」

 お茶のカップをテーブルに戻した殿下が、真っ直ぐに私を見つめてそう宣言した。


「あの、それはどういうことでしょうか?」

 さすがに理解できなくて尋ねてみると、第三王子殿下はにっこり笑って答えた。

「貴女は頭の回転が速いから、やりとりを楽しみたいんだ。そして今のところする気はないんだけど、いつか貴女と夫婦喧嘩というものもやってみたいからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

計算できないこともある 中田カナ @camo36152

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説