人面瘡を利用した人工人格の作成

亜済公

人面瘡を利用した人工人格の作成

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 人面瘡、というものがある。江戸時代に生きた浄土真宗の僧侶浅井了意は、寛文の時代、その著作「伽婢子」で、次のように記録している。


 ――山城の国小椋といふ所の農人、久しく心地悩みけり。或時は悪寒発熱して瘧の如く、或時は遍身痛み疼きて痛風の如く、さまざま療治すれ共しるしなく、半年ばかりの後に、左の股の下に瘡出来て、其形人の貌の如く、目口ありて耳鼻はなし……。


 とある農民の左足に、人面のような腫れ物が出来た。酒を飲ませれば顔を赤くし、餅や飯をやれば食べる。食物を与えている内は痛まないが、やめてしまうと酷く痛んだ。次第に男は痩せ細り、死を待つばかりになってしまう。

 同様の事例は、延宝時代の書物であったり、文政時代の日記であったり、更には明治、京都滋賀新報の記事にまで言及された。それらによれば、人面瘡は食事をし、言葉を介し、そして何より、明らかな目的をもって行動する。例えば、先に挙げた「伽婢子」で描かれるのは、自己の生命を守ろうとし、宿主に寄生する生物の姿。あるいは、延宝の「諸国百物語」を開いてみれば、宿主に延々と話し掛け、無視すると苦痛をもたらすという、呪詛的な姿が浮かぶだろう。また、文政の日記では「食い物を与えると痛みが治まる」、明治の新聞でもやはり食物を求めたとの記述があった。ここには、極めて人間的な、欲望の発露が確認できる。

 人体から直接採取された人面瘡が、現在保管されているのは、日本国内では国立科学博物館のみとなっている。戦前、福島で作成されたホルマリン漬けだ。一方で、これを元に、東京大学を中心とした研究グループが2004年に開発したクローン株は、十五箇所の大学や研究施設へと提供された。本稿では、この内、財団法人日本生物学研究所に保管されていたものを使用して、人工人格開発への応用を試みる。


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 人面瘡の細胞は、独特の構造を形成する。培養を始めて最初の二ヶ月間は、二次元的な蜘蛛の巣状の広がりを見せ、次いで縦方向へと膨らんでいった。細かな繊維が、幾重にも積み重なったようで、内部には穴が無数にある。人間の骨と同様に、自重を押さえつつ強度を高めるためであろう。実験開始から四ヶ月が経過して、分裂がある程度進んでしまうと、自然にその速度は緩んでいく。この段階で表面は真っ平らな肌色であり、いくらかの産毛に飾られているだけであった。しかし、やがて、完全に分裂が止まると同時に、目や口に当たる箇所が急激に劣化を始めていく。そこから三日ほどで穴が開き、「人の顔だ」と認識可能なレベルまで成形が進んだ。眼球や、歯、唇といった、細かな器官は備わっていない。ただ、表面的な動作だけは人間的で、どこか赤ん坊らしさを感じさせる。

 人面瘡の内的な成長は、人間と比べて極めて速い。成形が完了してから二時間で、「あー」「うー」といった喃語を用いる。三時間半が経過した頃、一語、二語、三語文を経て、発音が明確になっていった。鼻孔や口元の動きが活発になり、笑顔に似た表情を頻繁に見せる。人間の幼児期の発達においては、その後大人の言葉を模倣したり、二つ以上の述語を組み合わせた、複文を話すことが可能になる。しかし、検体はここで突然、「あんべわりのでねるべ」と奇妙な台詞を用い始めた。培養容器の硝子を通して、はっきりと聞こえる程の音量。これこそが、自分のしゃべりたかったことなのだ、とでもいうように、人面瘡は「笑顔」の表情を固定させ、以降、他の言葉を口にすることは決してなかった。これは、福島の方言で、「具合が悪いので寝よう」、と言う意味だろうと思われる。

 人面瘡の発育段階で、外部とのコミュニケーションは一切ない。培養容器のある部屋では、あらゆる会話を禁止しており、他者から言語を学ぶことは原理的に不可能なのだ。だが、実際に検体は、ある時点まで幼児と同様の過程を見せている。「あんべわりのでねるべ」という、決して獲得するはずのない言葉までを用いもした。人間の脳には基本的な文法が、先天的に備わっているのだと仮定しても――日本語の、それも方言と、全く同等のものを自然に身につけたという説明は、やや説得力に欠けるだろう。猿がシェイクスピアをタイプするのを、誰も見たことがないように。

 注目すべきは、ここで用いたクローン株が、福島で作成されたホルマリン漬けを元にしたものだということである。福島の人面瘡が、福島弁を自発的に獲得する――ここには何らかの必然性が、あると考えるべきではないか。

 例えば、プラナリアという強い再生能力を持つ生物には、脳を切断し、新たに再生させた後で、以前の学習の影響を観察できたとの報告がある。脳の消失に伴い、確かに記憶は失われる。だが、同じ事柄を再び学習する際に、その速度が以前よりも遙かに速かったのである。これは、記憶が単純に、脳にのみ留まるものではないということを示す、確かな証拠だ。何らかの形で、人面瘡がその細胞内に記憶を保持している可能性は否定できない。


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 人面瘡を解剖した例は多くあるが、そのどれもが全く同様の報告を行っている。そこには一切の器官がなく、ただ縦横に走る筋繊維と、表面を覆う皮膚があるだけ。脳でさえ、見当たらなかった。摂取した食物は、細かくかみ砕かれた後、口内表面の細胞によって吸収される。発声においては、鼻からの吸気を直接口へと送っており、徹底した単純化と、あくまで表面的な人間の模倣、この二点を読み取ることができるだろう。

 では、脳を持たない人面瘡が、何故意思を持った行動をする――あるいは、しているように見えるのか? その疑問に対する回答として、クローン株作成に当たったグループは、次のように発表している。

「人面瘡は、粘菌に似た生物ではないかと考えられます。例えば細胞性粘菌は、栄養が十分な環境では単細胞アメーバとして存在する。しかし、彼らは飢餓状態に陥ると、他の粘菌に集合を促すシグナルを送り、集団となって自らのクローンを残そうと試みるのです。人面瘡は、多くの文献で『食事をした』と記されています。飢餓状態が一つの発生条件だとするならば、十分に説明がつくのです。粘菌が、集団の目的を達成するため、自己をも犠牲にするのはよく知られた事実でしょう。人面瘡は、何らかの意思決定機構に他の全てが従属しているものではなく、個々の細胞それぞれが、自らの役割を認識し、集団として行動しているに過ぎないのです」

 本稿ではこの仮説に従って、周波数を変えた二百十五種の電気信号を、それぞれ三分間検体に流した。滅菌したプラスチックの箱に入れ、額と顎に電極をつける。「あんべわりのでねるべ」と検体は語り、固定されていた笑顔を僅かに崩した。外部とのコミュニケーションを禁じていたせいだろうか、接触に対し、やや過敏な傾向がある。実験の結果、二百種の信号に有意な結果は得られなかったが、十五種では明らかな反応を確認できた。これらは、人間の痛覚など、感覚刺激に対し脳へと送られるシグナルに、極めて似た性質のものだ。

 例えば、人間の皮膚感覚を感知する受容体のうち、痛みに対応するのは自由神経終末という神経繊維の末端である。科学刺激、温度刺激、機械刺激を受け取ると、電気信号へ変換する。この信号を受容した時、人面瘡は「顔をしかめた」。複数の変換器を通じてこれを受け取り、適切に対処する脳と同等の機能を、検体は持っているということになる。


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 人間の意識が何であるか、という問題は幾度となく語られてきた。人工知能の開発そのものが、哲学的なこの問いに、端を発しているといっても過言ではない。

 過去に作られた人工知能は、その基本的な姿勢として「意識をシミュレートする」ことを目標としていた。例えば、人間の脳内で、行き交っている電気信号。これを全て数値として再現すれば、意識が存在できるのでは? と。だが、これは間違いだ。

 被験者の脳、その状態を「A」という文字に置き換えてみる。次の瞬間の状態を、今度は「B」に置き換えてみよう。すると、コンピュータ上で数値「A」が「B」に変化した瞬間、そこには意識が芽生えてしまうことになる。これはやや大げさな例えだが、従来の人工知能開発において、研究者の「意識」への解像度はこの程度のものでしかなかった。コンピュータは、物理的に存在する「意識」を解釈し、別のモノに置き換えている。その点でいえば、どれだけ複雑に脳の状態をコピーしても、「A」と何も変わらないのだ。意識を再現するためには、あくまで物理的な存在でなければ叶わない。

 人工人格に必要なのは、外部を感知するセンサと、自己を表明する端末と、意識をあらしめる機関の三つだ。このうち、端末については人面瘡を応用できる。一方、センサについてであるが、本項においては皮膚感覚と聴覚とを再現するに留まった。これは、視覚のような情報量の多いものを、特定の信号に一般化するのが困難だったからである。そして、この二つが持つ物理的な構造自体が、意識をあらしめる機関となるのだ。


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 信号の入力は手動で行う。皮膚感覚への反応はまさに人間そのもので、信号の強弱により表情の度合いも変化した。一方で、聴覚には不可思議な応答が多く見られる。「こんにちは」に対しては「どうもない」、「お疲れ様です」には「こわいこわい」。ところが「おなかが空きました」と語りかけると、突然「でれすけ! でれすけ!」と叫び始めてなかなかやまない。しわがれた声でそんな風に騒ぐ様子は、どことなく不気味な感じを与える。

「あんべわりのでねるべ」と、実験の最中にも思い出したように検体はいった。繰り返し、繰り返し。何故かこの言葉だけは、如何なる信号に対しての反応でもなく、ただ自らのみ発するらしい。福島で採取されたオリジナルの人面瘡に、何らかの原因があるのだろうか。

「でれすけ!」と叫んだその日から、人面瘡の形状に、大きな変化が現れ始めた。表面に、茸のような形状をした、棒状のものが幾つも生え始めたのである。色は皮膚と変わらずに、やや湿った感触だ。表面を覆う粘液が、ゴム手袋を浸透し、左手の指先をべったり濡らした。三日間で合計十五の棒が立ち、全長は最大で十五センチ。柄の部分はどれも直径五ミリほどで、傘は大小様々だった。五日目には、部位を問わずそれら発生した棒の全てが、更なる棒を枝分かれさせ、さながら木のようである。そして全く同時期に、筆者の指先からも同様のモノが生え始めた。

 一週間ほどで、人面瘡から伸びた木々は、自らを規定していたプラスチックケースを破壊した。滅菌されていた研究室内には、大きく枝が広がって、あちこちに小さな粒をつける。顕微鏡で観察すると、それらは小さな人面瘡で、口をぱくぱくと開きながら、何かを口にしているようだ。おそらくは、「あんべわりのでねるべ」だろう。

 この頃には、筆者の指先から生えたモノは、もう左腕を肩まで覆うほどに成長していた。枝分かれした中には、天井に据えられた電灯だとか、長いこと手を触れていないドアノブだとかに、びっしりと絡みついているものもある。やはり、小さな粒があって、ぱくぱく何かをしゃべっていた。

 室内は、すっかり連中に、占領されているのだった。


   6


 福島で作成されたホルマリン漬けの持ち主について、はっきりしたことは分かっていない。唯一残っているのは、作業に当たった軍医の記録で、それも個人的な日記に記されていたものである。

 石筵の辺りに位置していた、小さな村での発見だった。一人の少女が、左腕に妙な腫瘍を抱えていたのだ。彼がその少女を見かけたのは、単なる偶然に過ぎなかった。別件で駐屯地を訪れた折、散歩がてらに馬を走らせていたのだと、日記には淡々と書かれている。

「道は荒れていて、馬は思っていたよりも随分早く疲れてしまった。私は速度を落としながら、周囲の田園風景を、ぼんやりと眺めていたのである。そうして、暫く進む内に、ふと道ばたで一人の子供が、地蔵を拝んでいるのを見つけた。左腕が妙に大きく、汚れた包帯を念入りに巻いているのが分かった。それが、ややきつすぎると見て取れたので、私は直してやろうと考えたのだ」

 その奇病を目の当たりにし、彼はすぐさま彼女の両親を尋ねている。

「村には、どんよりとした空気が漂い、何もかもがすすで汚れているようだった。土が悪いせいだろう、畑の作物は痩せ気味で、元気なのは雑草ばかり。子供は、酷く頼りない様子で、私を家へと案内した。頬はこけ、顔色は悪く、単なる栄養の失調ではない、疾患の気配を感じさせる」

 家には両親と、五人の子供がいるのだった。誰もが酷く痩せているが、少女と比べればまだ健康に見えたという。そうして、おそらくは一番下の小さな男児が、「おなかが空いた」といったとき。

「母親は、『ばか! ばか!』と、そんな風な言葉を吐いて、その子の頭を手の平で叩いた。幼子は、ぐすんぐすんと細く泣き出したのだった」

 このような背景を鑑みると、人面瘡の一連の動作も、意味があるように思われる。ただ、今回の研究は、その全てを解き明かすまでには至らなかった。

 最後に、一つだけ、その少女の羸痩が、人面瘡の寄生によるものであろうことを、ここに明記しようと思う。棒の発生から一ヶ月が経過すると、その成長に伴って、肉体はどんどん痩せ細る。皮膚はあちこち穴が開き、右足などはもう、腐り始めているようだ。

 ぐしゃぐしゃという、無数の粒から発せられる声が、耳鳴りのように満ちている。



【注釈】


どうもない      ……「こんにちは」

こわいこわい     ……「疲れた」

でれすけ       ……罵る際に用いる言葉

あんべわりのでねるべ ……「今日は具合が悪いので寝よう」

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