+グリーンローズ 9




 事前に調べた限りでは、この通路はショー出演者たちの控え室やスタッフルーム、あるいは事務所などに続いているようだった。当然、従業員が外から店に出入りする通用口も設けられている。店内の混乱に乗じて誰かを誘拐するならその通用口から屋外へ移動し、そのまま車両で逃走するのが定石になる。


 目指すは通用口だ。ザックは全速力で狭路を走った。通路の左右には椅子やスタンドライトなどの雑多な機材が立ち並んでいる。それらの障害物をかわしつつ大急ぎで角を曲がった瞬間、近くの脚立がまばゆい火花を散らして飛び跳ねた。銃声と閃光がザックの前進を妨げた。


 彼は慌てて一歩下がり、曲がり角の壁に背をつけた。負傷はない。銃弾は脚立に命中したのち、どうやらあらぬ方向に跳ね返っていったらしい。


 発砲者はドレイク・モローではなかった。おそらくはモローの側近、例のランスなる運転手がその正体だ。


 ランスは直線の通路でザックを待ち構えていた。距離はおよそ一〇メートル。ここさえ抜ければ出口はすぐ目前だが、やはりそう素直に通してはもらえない。たかが一直線の道、されど一直線の道。うかつに進めば腹に風穴があく。 


 ザックはジャケットの内側に手を伸ばした。そこにおさめられた対抗手段を取り出すためだ。


 357マグナム口径の短銃身リボルバー。装弾数は五発。少し前に些細な勘違いで奪われた一丁と同じモデルだ。実際にランス氏を仕留めるかは別として、セーフティは解除しておいて損はない。


 口径を考えれば銃の威力は申し分ない。相手がマシンガンでも持ってない限り火力負けはしないはずだ。


――いっそ早撃ち勝負でも挑んでみるか?


 ふと馬鹿馬鹿しい思いつきが脳裏をよぎったが、ザックはすぐにそれを振り払った。何より無謀だ。根拠のないギャンブルにローズの命までは賭けられない。


(となると……ここはインスタントにやるしかないか)


 ザックは曲がり角から引き返すなり最寄りの楽屋に飛び込んだ。その際、扉は勢いよく蹴って開けたのだが、足の感触からすると鍵はかかっていないようだった。また余計な体力を使ってしまった。


 この楽屋は衣裳部屋も兼ねているようで、突き当りの壁際では色とりどりの衣服が並ぶ巨大な衣装かけが、これまた特大サイズの姿見を見下ろすように立っていた。


 部屋内に人影はない。この点は都合がよかった。というのも、彼はこれからこの楽屋を物色するつもりであったからだ。


 ざっと辺りを一瞥する。と同時に、脳裏で青写真を描く。


 その真新しい設計図に従ってザックは四つの物体をひったくった。つばの広い中折れ帽と、消火剤の詰まった消火器と、スタンド型のコートかけ――いわゆるポールハンガー。そうして最後に折り畳み式の台車を手に取ると、彼は大急ぎで細工に取りかかった。


 ポールハンガーの頂点に帽子を被せ、前傾した形で固定する。次いでザック自身が着ていたジャケットを羽織らせる。試しにボタンを留めてみると、意外なほど様になっていた。くわえてそのハンガーを車輪付きの台車に乗せれば下準備は完了。あとは計画を実行するのみだ。


 まずは第一段階。敵が潜む通路に消火剤を散布し、充満させる。これは煙幕の役割だ。


 続いて第二段階。ポールハンガーを立たせた台車の上に寝そべる。ハンガーが倒れないよう支えるのと台車の動力を確保するためだ。このまま身体を丸めた格好で、手漕ぎで台車を前進させる。要は「濃霧のような視界不良の中をおとりの足元に身を隠して進もう」という魂胆なのだ。


 タネを知っていればいくぶん滑稽に見えるが、しかし効果は必要十分。なにも十分も二十分も相手をだまし続けるわけではない。


 稼ぐ時間はほんの数秒でかまわない。一対一の状況では、そのわずかな差異が彼我の生死を分かつのだ。


 ほどなくして銃撃は繰り返された。


 先に引き金を引いたのはまたしても相手側だった。今度の発砲は三発立て続けにおこなわれた。うち二発は空を切ったのち、ザックの背後の壁に着弾した。ただし、残る一発は見事に彼のジャケットを貫いた。ザックは今さらに私物の上着を使ったことを後悔した。


 激しい攻撃が束の間に過ぎ去ると、やがて沈黙が訪れた。むせかえるような熱気が冷ややかな困惑へと変わる。その気配を感じ取るや、ザックは一息に敵の眼前に躍り出た。


 照準を素早く定める。彼はためらわずにトリガーを引いた。


 瞬間、高らかに響く轟音。


 ランス氏はうめき声をあげてよろめいた。そのまま近くの壁に背中につけ、ずり落ちるようにしゃがみ込む。驚くべきことに、ザックの奇策は見事に功を奏したのだ。


 彼はランスに近寄ると、相手の落とした拳銃を壁際に蹴ってどかしつつ、訊いた。


「おいあんた、大丈夫か?」


「き、貴様! これが大丈夫なように見えるのか!」


「そう怒鳴りなさんな。心配せずとも肩を撃っただけだ。弾は……よし、貫通してる。あんたもなかなか運がいい」


「この野郎……!」


「動くな。悪化するぞ。携帯電話は持っているな? 簡単な治療で済むうちに救急車を呼ぶんだ。傷口をしっかり押さえて、助けが来るまでじっとしてること。いいな?」


「貴様……貴様はいったい、何者だ?」


「…………ああ……ここは多分、何か気の利いた一言でビシッと締めるところなんだろうが、あいにくそういうのは用意してこなかった。また今度だな。それじゃあ、動くなよ。医者に連絡しろ」


 最後にそれだけ言い残すと、ザックは通用口に向かって駆け出した。




 ずいぶんと時間を取られてしまった。モローのほうも少しは手間取ってくれているといいのだが。


 どうあれこれ以上足を止める暇はない。ザックは体当たりさながらに通用口の扉に突っ込んだ。


 とたん、街の夜景が目の中に飛び込んできた。暗い空と冷えた空気。口々に騒ぐ人々の喧騒。街灯とネオンとヘッドライトの光線。


 無数の視覚情報が洪水のように溢れるなか、ザックはたった二つの要素を探して目を走らせた。流れるような金髪とダークグリーンのロングドレス、すなわち、囚われの歌姫の姿を。


 建物の陰、駐車場、路地――――そこだ!


 人通りのない裏路地の片隅に、見るからに場違いな高級車が停められている。ザックにも見覚えがあるそのイギリス製のクーペの傍ら、開かれた助手席ドアのすぐそばに彼女の姿はあった。


 この時、ローズの細い身体は力づくで車内に押し込まれつつあった。当然、彼女をせっついているのはモローだ。


 ザックはすぐさま止めに入った。


「おい止まれ! 止まれ、ドレイク・モロー!」


 威嚇のためにわざと相手の名前を叫びつつ、彼はクーペに駆け寄った。


 この時点で彼は二つのミスを犯していた。一つは直線的な動きで相手に近づいたこと。そしてもう一つは、先ほど威力を発揮したばかりの拳銃をさっさとホルスターに戻してしまったことだ。


 その点モローは利口だった。この男には、事態が収束するまで得物を手放さないだけの分別があったのだ。


「彼の手に拳銃がある」とザックが気づいた時にはもう遅かった。攻撃は即座におこなわれ、哀れな探偵には身構える時間すら残されていなかった。


 暗い路地で閃光が瞬く。発射された銃弾は計四発。それらは短時間に立て続けに射出された。

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