+グリーンローズ 2




 ローズは一人マクブライド探偵社にやって来た。一枚の紙片を携えて、だ。


「昨日の朝、自宅のポストで見つけたんです」


 そう言って彼女が差し出してきた紙切れは、いわゆる脅迫状と呼ぶべき性質の物だった。


 文面はこうだ。




  わが親愛なるディーバ、ローズマリーへ

  これからさき二度と金曜の夜の舞台には立たないように。

  この警告を無視すれば命の保証はない。




 文言は一般的なA4サイズのコピー用紙に、これまた一般的な標準フォントで記されていた。


 ローズによると封筒などは使われておらず、この紙片のみが三つ折りの状態で郵便受けに放り込まれていた、とのことだった。いたずらにしては手が込んでいる、とはよく聞く言葉であるが、この脅迫状はむしろいたずらにしても手を抜きすぎている。


 シンプルなのは基本的にいいことだ。しかし不謹慎を承知で言えば、これではあまりに面白味がない。警告文として致命的にインパクトが足りないのだ。


 仮にこれと同じ物が有名なミュージシャンの元に送られたならば、おそらく当人が目にすることすらないはずだ。十中八九、代理人が処分してしまうだろう。このお粗末な紙切れを本気で受け取る人間はそうはいない。


 ただ現実の話として、一人暮らしの若い女性のアパートに怪文書を残していった人物が存在するのは事実だ。それも郵送ではなく直に郵便受けに放り込むような格好で。


 察するにその事実がローズを恐れさせたのだろう。少なくとも、こうして実際に探偵事務所を訪れるていどには。


「なるほど……事情は分かりましたシェリーさん。それで具体的には、我々にどういった対策をお望みなのでしょうか?」


「じつは、ボディガードをしてくださらないかと思っているんです。今日一日――いえ、今日から二、三日くらいのあいだだけ、ですが」


 ローズが次に立つ「金曜の夜の舞台」は、まさにこの当日のことだった。


 彼女の望みはそのショーの最中に非常事態が起きないか、またショーが終わったあとに夜襲など受けはしないかと、警戒に当たる人間が欲しいということだった。それも念のために、この週末が明けるまでの余裕をもってだ。


 これはザックにとって願ってもない相談だった。事情はどうあれこれほどの美女と週末をともにするのはまさしく望外の幸運だ。


 が惜しいことに、この週末はすでに予定が埋まっていた。ターゲットの動向を探りつつ、デジタルカメラを片手にホテル街をうろつくという予定のために。ある意味ではこれほどみじめな週末の過ごし方もあるまい。


 幸いなのは、今度の浮気調査はザック一人でも十分にこなせるということだった。


 身辺警護を頼むならその手の荒事が得意な人物の体が空いている。戦闘用アンディのノーランであれば、よほどのことがない限りしくじることはないだろう。


「でしたらエージェントを一人お付けいたしましょう。ノーランという男です。まあ男というか男性型のアンドロイドですがね、少しばかり愛想のないところがありますが腕は確かです。かならずやご期待に添うでしょう」


 当人がいない席で仕事の契約を取り付けるのは気が引けたが、まあノーランが文句を言うことはあるまい。ああ見えていい女に弱い奴だ。警護対象がバー専属のプリマドンナだと聞けば一も二もなく了承するに違いない。


 そうなるとあとは顧客の反応次第。なにぶん一見の客だ。サービス内容と予算とのすり合わせなど、詰めるべき内容は多い。


 そうしたザックの懸念をよそに交渉はとんとん拍子で進んだ。やはり恐怖心があるのだろう。たとえひとまずのものだろうと「安心」のためなら出費は惜しまない――それくらいの気前のよさが、この時のローズ嬢にはあった。




 ほどなく彼女が事務所をあとにすると、ザックは早速ノーランに一報を入れた。彼はザックと組んでいない時は大抵、近所の飲み屋に入り浸っている。むろん酒を飲むためではない。その店のマスコット兼バウンサーとしてアルバイトをしているのだ。


 急な相談ということもあってか、映像通話を繋いだ当初は「ブーブー」と恨めしげに電子音を響かせていたノーランも、話が先方の情報に及ぶと途端に態度を一変させた。


 警護任務は当日の一八時より開始される予定だった。ローズの出勤時間に合わせた格好だ。


 ザックがノーランに連絡を寄こしたのは一五時過ぎ。準備なり移動なりを踏まえてもまだ二時間以上は余裕があるところだが、ノーランはその時間さえもどかしいとばかりに通話から十分後には探偵事務所に姿を現していた。


 そこでザックはあらためてノーランに事情を説明しながら、今夜から自身がおこなう浮気調査の身支度に取りかかりはじめた。


    三


 本音を言えばザックはローズの件についてさほど心配していなかった。ノーランなら安心して任せられると確信していたからだ。それに、ああした幼稚な怪文書を寄こしてくるような人物に、さらなる行動を起こす度胸があるとは思えなかった。


 言い換えれば、ザックはこの一件を「どうということのないただの嫌がらせ」だと踏んでいたのだ。


 ゆえに警護開始から一夜明けた土曜日の昼前、当のローズから緊急の連絡が入ったことにザックは心底おどろかされた。くだんの怪文書事件は知らぬうちに新展開を迎えていたのだ。


 展開といっても何かしら致命的な危機が訪れたわけではない。前日にローズが出演したショーは滞りなく終了したし、帰宅中にもトラブルはなかった。目に付くような怪しい人影も確認されていない。警護役のノーランとしてはむしろ肩透かしを食らった気分だろう。


 同様に今朝の夜明けも平穏そのものだった。ローズは職業柄、昼前まで寝ていることが多い。ゆえに、この日も起床は午前一一時を少し回ったあとになった。


 暖かいベッドから起き出し、泊りがけで番をしていたノーランに目覚めの挨拶をし、バスルームで顔を洗い、「さあブランチでも」とキッチンに向かったところで彼女は異変に気が付いた。一見いつもどおりの小型2ドア冷蔵庫の内側に、見慣れぬ物体が収まっていたのだ。


 異物の形状は直方体、いわゆる箱型でサイズはそれぞれ高さが約三〇センチ、幅二〇センチ、奥行き二〇センチといったところだった。ちょうど人間の首から上がすっぽりと収まるような大きさだ。


 その箱は無地の黄色いラッピングペーパーに包まれており、くわえて天面部分には結んだリボン型のデコレーションがのり付けされていた。


 ローズが映像通話をかけてきたのは、その異物を発見した直後のことだった。封を開けるどころか指一本触れていない状態だ。さすがというべきか、やはり彼女は聡明な人である。


 こうした状況では誰しも平常心を失うものだ。非常事態からくる恐怖に思考の自由を奪われるか、もしくは好奇心から異物に「対処」しようとしてしまうか。


 それら両者のうちどちらがより危険かといえば、当然ながら迂闊な行動を起こすほうが断然に危うい。最悪の場合、不審物の正体が爆発物でないともかぎらないのだ。


 ノーランに開けさせてみるのも一つの手だが、ザックとしてはここは大事を取っておきたかった。今度の仕事の性質上、もっとも重要なのはローズマリー・シェリー氏が受ける被害を最小限に留めることだ。多少は大げさに物事を捉えておくのが無難である。


 さらに言うと、幸運なことにザックの今週末の予定は大幅に変更される見通しとなっていた。手ごわい相手だと睨んでいた浮気調査の標的が思いのほかにマヌケだったのだ。


 いくら普段の生活圏を離れた〝出張先〟だからといって逢瀬の相手を周囲に見せびらかすべきではない。悪事を働くに際しては、他者の目をかわす工夫を怠ってはならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る