+スクリュードライバー 6




 ごくありきたりな浮気調査。依頼者はロサンゼルス市在住の専業主婦。メリッサ・ダンカン。


 調査対象はその夫。ウィリアム・ダンカン。大手チェーンスーパーマーケット勤務の中年男性。担当は青果コーナー。目立つ前科はなし。過去の違反行為は駐車違反と、ちょっとした速度超過が何度か。


 その他に親類を含めた人間関係、および金銭トラブルの有無なども調べてみたが、いずれも特筆すべき内容は見当たらなかった。さほど危険な人物だとは思えない。




「断定はできないが、今夜俺を襲った連中はただのチンピラじゃない。職業的な殺し屋かフィクサーか、おそらくそういう類の人種だ。がしかし……俺が追っていた標的がその手の人脈を持っていたとは思えない」


 むろん火遊びをするからには警戒くらいはするだろうが、だからといってごく普通の一般市民があのレベルの「保険」を用意するとは考えにくい。裏社会の人間と関わり合いになるのはそれだけでも危うい行為だ。


「だったらさあ、その不倫相手のほうに何か秘密があるんじゃない?」


「お、鋭いな。いい着眼点だ」


「えっへっへ」


「だがあいにくとその線も薄い。相手の女のほうも一通り調べてみたが、おそらく普通の売春婦だ。ざっと見た感じボディガードを付けるような事情は抱えていない。そもそも政治家や芸能人なんかのセレブでもないかぎり、この手のスキャンダルにそう神経質になることはないんだ。こういう普遍的な不貞行為なんてものにはな」


 ザックは自身の考えをそのまま言葉にした。


「たぶん関係ないんだ、この二人は」


「だけど、あなたとノーランは実際に痛い目に合わされたわけじゃない? それなら本当に何にもないってことはないでしょ」


「まあそれはそうなんだが……あいや、もしかすると…………ああ、これはあくまでも『もしかしたら』という話ではあるんだが、ひょっとするとあの男は信じられんポカをやらかしたのかもしれない」


「ポカって何さ?」


「あの男は俺の素性を知らなかった。それに俺の記憶が正しければ、あいつは『誰に命じられて来たのか』とは訊ねてきたが、『ここで何をしているのか』とは質問してこなかった。後者については触れる必要がないと判断したんだ。となると……奴は俺の目的を事前に知っていたことになる。それこそ殺されても文句の言えないような俺の目的を」


 ザックの言葉をどう受け取ったかSDはけげんな表情を浮かべた。こいつは急に何を言い出すんだという感じである。


「そんな顔をするな。さっきからしつこいくらい繰り返しているが、今夜俺が携わっていたのは単なる浮気調査。その点はまごうことなき事実だ」


「ええ?……でもその男はさ、現実にザックがヤバいことに手出ししていると踏んだからこそ、本気で殺そうとしたわけでしょ? じゃなかったら発砲なんて――」


「そこだSD。そこが奴のやらかしたミスだ。要するに勘違いなんだ。正気を疑うような馬鹿げた思い込み。で、さらに言うと、その勘違いが引き起こされた元凶っていうのが、おそらく俺なんだ」


「はあ……それってちょっと、っていうか、かなり分かりにくいかも。そんなもったいぶってないでさあ、もっとはっきりと説明してよ」


「オーケイ、いいかSD――」




 と切り出されたザックの話をまとめると以下のようになる。


 もっとも重要なのは、例の襲撃者がいかなる動機からああした凶行におよんだのかという点だ。当然、この時のザックにはその内容を確かめる術はない。


 それゆえこの考えは想像の域を出ないものだが、察するにあの男の周囲には、一方的な急襲を仕掛けてでも排除せなばならない脅威が潜んでいたのではなかろうか。


 あの男の命を狙う刺客。行動を阻害せんとする邪魔者。密かに彼を監視する何者か。


 それがどういう種類のものであれ、あの男が「脅威」に対処する心構えをしていたのは間違いない。


 それほどの危機感を持った人物の前に、あまりにも不用意に姿を現した一人の人間。玄人目にはバレバレの変装をしたあからさまに怪しい運転手。それが今夜のザックだった。


 つまるところザックはこの日、誤った時間、誤った場所に、誤った格好で現れてしまったということだ。




 以上の説明を聞き届けたのち、SDの第一声は「何それ、バカバカしい」というものだった。


「だってそうでしょ? 人違いっていうか、単なる誤解が原因で殺されかけただなんてそんなバカみたいな話ある? 恨みを買ったとか因縁があるとか、そういうあれこれが有って、てことなら分からなくもないけどさあ……そんな居合わせたタイミングが悪かったからって。それじゃあホントに無茶苦茶じゃん」


「かもしれんな。まったく無茶苦茶な話だ。ただでさえ大した稼ぎにもならんのに、借りたタクシーの修理代だって支払わなきゃならん。拳銃も盗られたままだしな」


「そういう事じゃないと思うんだけど」


「分かってるさSD。お前の言うことは正しい。命は一つきりしかないからな……でもある意味じゃあ『それでこそ探偵だ』って言えるのかもしれんぜ。だってそうだろう? 他人の過去の秘密だったり、隠しておきたい一面だったり、誰にとやかく言われる筋合いのない生活上のあれこれにずかずかと土足で踏み込んでいくのが、俺たち私立探偵ってやつなんだ」


 面倒ごとに巻き込まれるのではなく、自ら進んで火中に飛び込んでいく。


 そうして能動的にリスクを背負いつつ、かついかなる難事をも切り抜ける技量も持ち合わせる。それでこそ探偵は探偵などという胡散臭い商売を成り立たせることができるのだ。


「割に合わないのは当たり前。危険じゃないはずはないのさ。でなけりゃあ誰も俺たちなんかを頼りにはせんだろうよ。こんな、いまいち信用できるか分からん輩をさ」


「へーそう……だけど、今夜割に合わない思いをしたのは、何もザックに限ったことじゃないと思うけど」


「というと?」


「例えばその浮気をした張本人っていうのはさ、自分の悪事の動かぬ証拠を押さえられたわけだから、まさにこれからが地獄ってところでしょ。離婚調停なり多額の慰謝料なりってね。それにザックを襲ったあの四人組だって、事情によっては完全な勘違いから騒ぎを起こした挙句、もっと最悪なことに標的を取り逃がしたってことになるわけじゃん。それってなんて言うか『終わってる』でしょ」


 言いながら、SDは今宵の被害者を指折り数えはじめた。


「ザックにタクシーを貸した人は愛車を壊されたし、現場がコンビニの駐車場ならそこの店員だって事情聴取とかで手間を取らされた。もちろんノーランだって危ない目に合ってる。ほら、こうしてちょっと数えただけでも、けっこうな数の人間がろくでもない思いをしてるじゃない」


「なるほどな。たしかにそうだ」


「ホント、浮気なんて絶対にするもんじゃないって。それで得する人間なんて一人もいないんだから」


「それは正しい。が、しかし――」


 と言いかけて、ザックは腕時計に目を落とした。現在時刻は午前二時七分。そろそろ家路につくべき時間だ。


「そう、それで本当にやましいことをする人間がいなくなっちまったら、俺は飯の食い上げだよ」


「あっそう。まったくもう……人の不幸を飯の種にするなんて、つくづくヤな商売」


「本当にな。だけどやめられないのさ。その点は浮気と同じかもな。いずれろくでもないことになるのは目に見えてる。悪くすれば身の破滅だ。だけど、どういうわけかやめられない。悲しいかな……抜け出せないのさ。あんまり居心地がいいばっかりにな」


 手のひらを凍えさせる氷のうの感触。


 じんじんと痺れる鼻筋。


 呼吸のたびに痛む肋骨。


 憐れみの滲んだSDの目。


 こっちの心配も知らずひっくり返っている相棒。


 足元に転がった熊の頭。


 ついさっき仕入れたばかりの新鮮で最低な笑い話。


――ああそうだ。こんなに眩しい夜がどこにある?


 そこでザックは熊の被り物を手に取ると、それを自身の膝上へと移動させ、そのまま両手で抱きかかえた。次いで彼は、やや座面の硬いソファの上に改めて深く座りなおした。

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