王宮でつまはじきにされる史上最強の魔術師は、銀白の狂犬に溺愛される

サク

――四年前――


「魔術師“    ”よ。エモニエ家に潜入し、証拠となる書類を手に入れよ』


 それが、久しぶりに私に下された、この国からの密命だった。

 どうもとある貴族が、他種族を違法に売買しているとの密告があったらしい。その詳細を極秘に捜査しろというものだった。

 正直面倒くさい。なぜそんなことをいちいち密告してくる。それがいけないことだと思うのなら、人の力などを借りずに自分の力で正せばいいのに。

 余計な仕事を増やしてくれた密告者を私は大層に恨んだ。だが、やれと言われたらやるしかない。私には拒否権などない。

 否定したい心情とは裏腹に、固く閉じた口は開かぬまま、従うように頭が垂れる。

 私の忠誠を誓う姿勢に王は深く頷きを返すと、下がれとでもいうように軽く手を払った。

いつもそれで終わりだった。私の都合など関係ない。








 翌日早速、私はいやいやながらその貴族の屋敷の門戸を叩いた。名目上は斡旋所からやってきた使用人だ。あまり評判のいい屋敷ではないらしく、頻繁に募集が入るそうでなんなく潜入に成功する。

 そしてそこで下働きとして存分にこき使われながら、夜な夜な主人の書斎を漁る日々が始まる。

 ――こんなの、全く割に合わない。こんなに身を粉にして働いたって、見つかるのは愛人へのプレゼントの請求書やら隠し子への養育費やら、そんなものばかりだ。

 そうこう無駄と思えるような毎日を過ごしていると、辞めない根性を認められてか、とうとうお嬢様のペットの世話係に任命されてしまった。


「アンジェちゃんはね、とっても繊細なの」


 部屋に置かれた異質な檻の前で、お嬢様は得意げに私に教えてくれる。


「私以外の誰からも世話を受けたがらないし、私の手からじゃないと食べ物も受け付けないのよ」


 本当にそうだろうか。思いっきりこっちを睨みつけてるけど。


「でもそれじゃあ私が夜会に行ってるときに困るから、特別にあなただけ近づくことを許してあげる。あなた、我慢強いみたいだし」


 余計な仕事が増えたことに内心舌打ちしたいくらいだったが、今の私はただの使用人だ。王の命令に逆らうことはできない。そのまま頭を下げた私に、お嬢様は到底人間の食べ物と思えないような残飯を押し付けて部屋を出ていく。


「それじゃあ今夜は忙しいから、早速お願いね? いい? アンジェちゃんを怒らせたら、あなたクビだからね」


 今度は頭を下げたまま、聞こえないように舌打ちをする。ということは、私はこのペットの世話に真面目に取り組まなければならないということだ。

 頭を上げた先には、暗い瞳でこっちを睨みつけるワーウルフの少年。

 長い銀髪はボサボサで、少し臭気を漂わせているところから、誰も世話ができなかっただろうことが伺える。

 こんな豚のエサみたいなもん渡されたらな。誰だってイヤになるよな。

 そう同情をするけども、ぶっちゃけこんなことにかまけているヒマはない。

 私は誰も見ていないことをいいことに、適当に鼻唄を歌いながら人差し指をくるくる回して、それをアンジェちゃんとやらに突きつけた。







 戻ってきたお嬢様とその侍女は、お世話の終わったアンジェちゃんを見て、皆一様に息を呑んで目を見開いた。


 「ちょっと、あなた!」


 寝ていたところをすごい剣幕で叩き起こされて、お嬢様のところまで引きずって連れていかれる。


 「あなた……あなた……これは……!」


 プルプル震えているお嬢様が指し示している先は、綺麗になったアンジェちゃん。

 さらさらの柔らかな銀髪は雪のように流れ落ちて、妖艶なその肢体にかかっている。その奥から覗くのは、輝くダイヤのような銀の瞳。その瞳に貫かれるだけで甘美な世界に連れていかれてしまうような、あまりにも美しすぎる少年だった。


 「私だってここまでさせてもらえなかったのに……あなたいったいどんな手を使ったのよ!?」


 お嬢様がヒステリックに怒鳴っている。

 なんなんだ、世話をしろというから全て完璧に整えてやったのに、なんで怒鳴られないといけないんだ。

 理不尽な仕打ちに反論したかったが、ここは下働きらしく大人しく頭を下げておくことにする。


 「なんでアンジェちゃんがあなたなんかに気を許してるのよっ!」


 同時にぐちゃり、と。

 頭の上からなにか――おそらく豚のエサだ――をぶつけられた。


 ――〜〜っ、こいつ……っ!


 反射的に人差し指を回そうとして、慌てて抑える。

 まだダメだ。王の命令を遂行してから。やるべきことを果たしてから、この女を屠るのはそれからだ。

 そのとき、檻のほうから低い唸り声のような音がした。


 「アンジェちゃん?」


 顔を上げると、アンジェちゃんが地を這うように四つん這いになって、唸り声を上げている。


 「あら、アンジェちゃんもこの女に好き放題にされて頭にきちゃったのね。よしよし、恐かったわね。私が慰めてあげますからねー。……あなた、クビよ。さっさと消えて」


 それは困る。

 慌てて顔を上げてお嬢様を見上げるも、すでにこちらに背を向けて、檻の中に手を差し伸べていたあとだった。


 「アンジェちゃん、さぁこっちに……っ!」


 お嬢様の変に甘ったるい声は、すぐにつんざくような悲鳴にかき消された。

 そのたおやかな白い腕からボタリ、ボタリと真っ赤な鮮血が滴り落ちている。

 お嬢様はこの世の地獄にでもいるような、とんでもない悲鳴を上げ続けている。

 その手に噛みついているのは、ワーウルフのアンジェちゃん。

 ワーウルフなど、ただの人間が素手で敵うはずもない。おおかた豚のエサの中に違法な薬でも混ぜ込んで無力化させていたのだろう。……残念ながら、先程私が浄化してしまったけど。

 お嬢様の腕がだらりと垂れ下がる。おろおろするばかりで誰も助けようとはしない。私ももちろん、動かない。

 アンジェちゃんは尖った牙をお嬢様に喰い込ませながら、その視線を私にひたりと向けてきた。

 その瞳の色にぞくりとする。

 恍惚とした色を隠しもしない、捕食者の目だった。








 結局アンジェちゃんは、その後やってきた警備兵に取り押さえられて、どこかへと連行されてしまった。

 お嬢様は今は別室で休んでいる。半ば取れかかった腕は、もう二度と動かないそうだ。ことが事なので公にすることもできない。お嬢様の行く先は真っ暗だな。

 豚のエサまみれの私なんか、誰も気にするどころじゃない。屋敷の中は上から下までみんなバタバタと混乱していて、蜂の巣を突いたような騒ぎだ。

 ……だとしたら、動くのは今かな。

 その混乱をいいことに、私はさっさと主人の書斎へと乗り込むことにした。

 どうせこのままじゃ何かしらの処分を下されてお役御免だ。その前に目的を果たして、こんなところとっととずらかろう。

 今までと違い、上から下まで全てをひっくり返すように手当たり次第に物色してゆく。書類をぶちまけ、陶器を割り、絵画を床に捨て置きながら探すこと数分。やっと求めていたものが見つかった。

 秘密裡の顧客リストと、売買契約書だ。妖精族に人魚族……実に様々な種族の名がリストへと上がっている。

 それを手に屋敷を立ち去ろうとして、私はふと、思い立った。





 


 

 地下の牢屋の奥には、血だらけの物体が打ち捨てられていた。


 「あーあ……せっかく浄化したのに、また汚れちゃったよ……」


 アンジェちゃんはもう反応する気力もないのか、ピクリとも動かない。

 困ったなぁ。人体の修復はさすがに専門外なんだよなぁ。

 とりあえず浄化の魔術だけかけると、途中でかっぱらってきた布を適当に巻きつける。

 アンジェちゃんはでももう、虫の息だった。


 「うーん……」


 少し考える。

 でもすぐに考えることを放棄して、人に丸投げすることにした。

 人差し指で円を描くと、耳に当てる。


 「あ、ニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿?」

 『その声はっ! あなたはまさか……!』

 「そのまさかでーす。今、エモニエ家にいるんだけど」

 『そのくらい存じてます! っていうか、これはっ……なぜあなたの声が聞こえるんですかっ』

 「そんなの魔術に決まってるでしょ。そんなことよりさ、」

 『そんなこと、って、あなた、こんな魔術前代未聞ですよ!』

 「今、目の前に死にかけのワーウルフがいるんだよね」

 『は……?』

 「もう必要なものは手に入れたしさ、現行犯逮捕でいいんじゃないかな」

 『現行犯逮捕、って』

 「今からそっちと繋ぐからさ、すぐに来てくれない?」

 『はあ? 何を……』


 言い募るニコラ・ルロワ近衛騎士団長を無視して、反対の人差し指をくるりと回す。すぐに地下室の入り口の扉が輝きだして、パカリと開けると、自邸の食堂で優雅に食事を取っていたニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿と目が合った。


 「ヤッホー」

 「……〜〜っ!」


 ニコリと笑ってヒラヒラと手を振ると、ニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿は青筋を立てながらも、丁寧に口をナプキンで拭き取って立ち上がる。


 「あのですねぇ!」


 そのままつかつかとやってくると、私に人差し指を突きつけてきた。


 「私は今、勤務時間外ですし、何より管轄が違いますし! 何でもかんでも私に頼るのはいい加減にやめてください!」

 「だって、ニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿しか真面目に取り合ってくれないんだもん」


 頼りにしてるんだよとウインクをかますと、人のいい彼は渋々ながらもその口を閉じる。


 「で、これがそのワーウルフですか」


 見事な金髪を靡かせながら、南の海のような真っ青な目をアンジェちゃんに向けた。


 「本当に死にかけですね。さて、どうしたものか」


 目を閉じたアンジェちゃんは真っ青な顔のまま、動かない。

 そんな彼を目の当たりにしてさすがに可哀想になったのか、そこからのニコラ・ルロワ近衛騎士団長の判断は早かった。

 彼は私を容赦なくこき使って、騎士団の他の隊長へと連絡を取り、医師を手配して、そして素早く私の主人だった貴族の逮捕へと踏み切った。

 そのあとのことは知らない。全部ニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿に丸投げした。

 私はただ、証拠となる書類を手に入れるよう言われただけだ。

 その書類を無事に王へと献上して、私は久方ぶりとなる自宅へとやっと帰ることができた。あとはもうすっかりその事件のことなど忘れ去って、思い出しもしなかった。








 「ねえ君、また騎士団長が会いに来てるよ」


 同僚のディディに声をかけられて顔を上げると、怒りをこらえるような顔のニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿が来ていた。


 「何の用ですかー? 仕事の協力ならお断りでーす。私は王の命令しか聞きませんから」

 「あなたって人は……」


 ピキピキとこめかみを引きつらせた彼は、しかし取り直すように首を振ると、静かに告げてくる。


 「やっと彼が目を覚ましましたよ」

 「彼?」

 「……あなたが助けたんでしょう。ワーウルフの少年ですよ」

 「あー……アンジェちゃんね。元気になったんだ。よかったね!」

 「それで、あなたに会いたいそうです」


 その言葉にニコラ・ルロワ近衛騎士団長をポカンと見上げる。


 「なんで?」

 「な、なんでって……」


ニコラ・ルロワ近衛騎士団長は絶句したようにしばらく唖然と開口していたが、我に返るとまくし立ててきた。 


 「あなたが彼を助けたんでしょう?」

 「助けたのはニコラ・ルロワ近衛騎士団長殿じゃない」 

 「でもあなたが彼を見つけて、助けるとそう判断した」


 不意にその南の海のような瞳が真剣味を帯びる。


 「とにかく、あなたも関わったことなんですから、一度お会いしてください。ほら、行きますよ」


 ニコラ・ルロワ近衛騎士団長は私の腕を引っ張ると、有無を言わさぬ様子で歩き始めた。








 騎士団預りになっていたアンジェちゃんは、今まで騎士団の医務室に寝泊まりして治療してもらっていたんだそうだ。

 私が入ると雪のような銀髪を揺らめかして、その美貌がこっちを向く。


 「アンジェちゃん、元気になったんだね。よかったね!」


 ひらりと手を振った私を、アンジェちゃんはしげしげと見てきた。

 相変わらずとんでもない美少年だ。長い睫毛と左目の泣きぼくろが、少年のくせに仄かな色気を醸し出している。


 「アンジェちゃん、もう自由だよ? 早く良くなっておうちに帰りなね」


バイバイと手を振って立ち去ろうと背を向けた私の手を、強い力が引き止めた。


 「名前をつけて」


 その美貌に似つかわしくない、鋭く切り裂くような、掠れた冷たい声のアンジェちゃんだった。


 「オレの、名前。あなたにつけてほしい」

 「……ええと」


 突然そんなこと、言われても。

 困って目を泳がせた私に、ニコラ・ルロワ近衛騎士団長が重々しい顔で頷いてくる。


 「うーん……えー? ……じゃあ、」


考えながら、柔らかに落ちる銀の髪に目が留まる。こっちを一心に見上げる、ダイヤのような瞳にも。 


 「じゃあ……アーシェント」


 ニッコリと笑って言ってみると、アンジェちゃん改めアーシェントは気に入ってくれたのか、微かに笑い返してくれる。

今度こそ立ち去ろうと出口に向かおうとした私の手を、アーシェントがまた引っ張ってきた。


 「名前をつけましたね」


 ニコラ・ルロワ近衛騎士団長は、どこか複雑そうな顔をしている。


「彼が名を希い、あなたはそれに応えた。だったらあなたは最後まで責任を持たなければ」

「は?」


 アーシェントはくすりと笑いながら、尖った牙を覗かせる。


 「あなたはもう、逃げられませんよ」 


 繊細な色気の中に垣間見えた、獰猛な野生。


 「よろしくね? オレのご主人サマ」 


 これが私とアーシェントの出会いだった。







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