リビングのモニターを見て、ほっとした。

 マンションのエントランスに、彼が立っている。手伝いに来てくれたのだ。受話器へ短く応え、自動扉を解錠した。

 私は瞳を揺らしながら、履いたままだった母の靴を脱いだ。この靴はきっと母が死ぬ間際に脱いだものだ。ずっと思っていたことが今、確信に変わった。……これは魂が乗った船のようなもの。母と、もっと多くの。……だけど、この靴はいつか私を死へいざなうにちがいない。そう、きっと、母に会いたくなる。だけど、私はまだ死ねないし、死ぬつもりもない。

 父も母に会いたかったのだろう。しかし、あそこに父はいなかった。片足の父は、母に会えなかった……。入口と出口。靴は対でないと意味をなさないのだろうか……。

「ごめん、遅くなった」

 玄関を開けるなり、彼はそう言った。

「いいの。私も、ほとんどやってなくて」

「……それは?」

 手にしていた母の靴を、彼は指差した。

「あ、これ? 母の形見なの」

 私はそうすると決めていたかのように、靴の片方を彼に差し出した。

 不思議そうに、彼はそれを受け取った。

「あなたに持っていて欲しいの」

「片方だけ? ……どうして?」

「おまじない」

「おまじない?」

 怪訝そうな表情で、彼は靴をまじまじと見つめた。

「だから大切にあつかってほしい。絶対に捨てたりしないで。だけど、私が見つけられないところに隠しておいてほしい」

「よくわからないけど。……そう言うなら」

 私の真剣な口調に少し気圧されながら、彼は母の靴を鞄へ収めてくれた。

「……ありがとう」

 私は彼の腕を引き、こちら側へ迎え入れた。


 〈了〉

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父親のいない靴底 ピーター・モリソン @peter_morrison

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