第25話

 廃ビルの最上階。


 豪華なパーティーが開けそうなほど広い部屋に、五十人ほどの人間が集まっていた。


 その中でも目立っているのは、白コートに身を包む、ペストマスクの男――盲愛のハゲワシと、椅子に固定されている絹衣の姿だ。


 肘掛け椅子にふんぞり返っているペストマスクは、スーツ姿の部下のひとりから階下での出来事、すなわち九重たちの動向を聞く。


「それほんとォ? 動画を送り付けたのに、駆けつけたのはたったのふたりだケ?」


 ペストマスクはおもむろに部下の首を絞め上げる。


「んー。ほんとっぽいなァ」


 何を根拠にそう思ったのかは彼以外に知る由もないが、彼自身はとても満足そうだった。


「ま、いっカ。来たら来たでふたり殺して、次からはおびき出す方法を変えヨ――」


 刹那。


 部屋の最も大きな扉がドカンッ、という破壊音と共に吹き飛んだ。


 そのあとに、ひとりの人影が浮かんだ。


「あーやっぱ最上階かぁ。ガキ大将は高いところが好きだもんなぁ」


 そいつはスーツ姿の男をひとり、引きずっていた。


「あぁ、もういいや。教えてくれてありがとねぇ」


 そいつは襟首をつかむ手を離し、悠々と歩み寄る。


 そんな悠然とした彼の態度を見て、ペストマスクは興奮した。


「おひょッ。お前だな、この女を助けに来たのハ」


 気が付けば、ペストマスクの部下たちはもれなく全員武装して、九重を囲んでいた。拳銃を構えている者もいれば、刀を構えている者もいる。


 そして肝心のペストマスクはスタンガンを椅子に縛られている絹衣の身体に近づけた。


「んあああああああ!?」


「二島!!」


 彼女の悲痛な叫びが、嫌というほど九重の耳朶を打つ。


「ほらほラ。変な抵抗をすると、この子が傷ついちゃうよォ」


「チッ」


 短く舌打ち。


 じりじりとスーツ姿の男たちがにじり寄ってくる。


 九重はフッと微笑。


「おいおい。盲愛のハゲワシなんて大層なお名前プレゼントされてるわりには、ずいぶんと腰が引けたマネすんじゃねえか。う○こでも我慢してんのか?」


 スーツの男たちが九重に銃口を向け、狙いを定める。


 それに対し、九重は余裕の態度を崩さない。


「おっと、気を付けた方がいいぜ。俺が死ぬと即時発動する童魔をかけておいた。一気に形勢逆転できる童魔をな」


 スーツ男たちは怯み、動揺。九重の発言を疑っている者もいるが、一様に銃を発砲する気配はなくなった。


 あまりにも敵が単純であったため、九重はせせら笑う。


 体内の童素を捻出。


「サンタを見たことはあるか?」


 白い童素の流れが九重から椅子に縛られている絹衣の方へつながっていく。


 ペストマスクが異変に気付くが、もう遅い。


「億悦愚楼ノ黒白おくえつぐろうのこくはく――【願いは蛇】《ねがいはへび》」


 詠唱が完了すると、絹衣を囲むように綿毛のような光を纏った柳の木が生い茂った。


 予想だにしていなかったのか、ペストマスクたちは対応が遅れて、絹衣が人質としての機能を果たさなくなった。


 右往左往している間に、天井の一部が破壊され、一本の剣が降ってくる。


 倒れている九重の顔の横の地面に、その剣はザクッ、と刺さった。


 九重は目を覚まし、何食わぬ顔で起き上がるが、前回とは違い剣は抜かなかった。絹衣を守る柳を枯れさせないためだ。


 九重は下卑た笑みを浮かべる。


「うっそぴょ~ん」


「ぅうううぅうぅぅううぁぁぁあぁあぁぁあぁぁあぁああぁぁ!?」


 壊れたモーター音のような渋い声で、頭を抱え、そして殴りつけるペストマスク。自傷行為が止まらない。


「だかラ! だから僕チン以外の生き物は嫌いなんダ。みんな僕チンを騙すことしか考えていないんダ。あああうううわううあ!?」


「え、ちょ、ヤダ、コワイ。あの~何かごめんね?」


 素でドン引きする九重。


 グーで己の頭部を殴りながら、ペストマスクは怒鳴った。


「全員! 全員殺せェェェェ!!」


 され慣れた合図なのだろうか。スーツの男たちは一気に突撃してきた。


 九重は頭を雑に掻いた。


「人質の安全さえ確保できれば、お前らぶっ飛ばすなんて造作もねえ。電車に乗ってる時に来る便意よりチョロいだろうよぉ」


 深呼吸をひとつ。


 肉弾戦が久しぶりな九重の気分は高揚している。


 まずは男が大きく振りかぶって斬りかかってきた刀を、九重は身体を反らすことで躱す。


 そのままバックステップで背後の銃を構える男に接近。


「う、動くな!」


 脅しのつもりだろうが一切聞く耳を持たず、九重は男が銃を持つ手に左手で掴みかかる。


 九重は男が発砲する前に銃口を自分から逸らし、後ろから襲い掛かっていた刀持ちの男に誤射させる。銃弾は膝に命中し、勢いよく転げる。


 同時に九重は銃を持っていた男の股間を膝蹴りしていた。あまりの激痛に銃を握る手が緩む。九重はその銃を奪い、相手の顔面に肘鉄を食らわす。


 奪った拳銃で、遠くにいる男が腰に備え付けている手榴弾を撃ち抜き、誘爆。付近にいた敵数人が爆発に巻き込まれた。


 先ほど膝を撃ち抜かれた男に銃弾を撃ち込みとどめを刺す。拳銃を捨て、刀を奪った。


「こいつでいくか」


 五人の剣士に猛追。たった五秒で全員を切り捨てる。


「な、なんなんだこいつは!?」


「怯むな! 一斉に撃て! 集中砲火だ!」


 その指示を契機に、男たちは九重に向かって弾丸の雨を降らした。


 だが、九重は冷静に死体を盾にしてそれらをすべて防ぐ。死体から奪った手榴弾に童素の塊を纏わせてから、銃撃の発生元に投げ入れた。童素を纏わせたのは、襲い来る銃撃で誤爆し、九重がその爆発に巻き込まれないようにするためだ。


 手榴弾が敵付近に転がっていったところで童素が解除され、即爆発。弾丸の雨は止んだ。


 そのあとも九重は携帯していたナイフを駆使し、圧倒的な体術と剣術で、敵勢力を制圧。


 無傷で勝利をおさめ、残るは盲愛のハゲワシただひとりとなった。


「あいよ、あとはお前だけか」


 ペストマスクは後ずさりしながら返答する。


「へッ。僕チンにはまだ髑髏しゃれこうべさんが――ってあレ? 髑髏サン?」


 わかりやすくあわてて辺りを見回すペストマスク。


 どうやらもうひとり強力な仲間がいたようだが、すでにこの場にいないことを悟り、子どもみたいに地団太を踏む。


「ああぃうあううあうあうあう。信用できないヨ。僕チン何も信用できないヨ。結局僕チンの手で殺すしかないネ」


 半狂乱のペストマスク自体には九重は興味を示しておらず、あるワードが気がかりだったようだ。


髑髏しゃれこうべ? ここに髑髏がいたのか?」


「もういイ。みんな僕チンを騙そうとしているんダ。処刑してやル」


「ダメだこりゃ。イカれちまってる」


 九重は刀を握る力を強める。


 ペストマスクは息を荒くして、ダガーナイフを突き立てて突進してくる。


 あまりに不格好で、隙がありすぎるペストマスクの攻撃に九重は余裕の笑みで躱そうとするが――


「――んぐっ!?」


 ペストマスクの刃先は確実に九重の腹部に向かっていたのに、なぜか右の肩口から袈裟斬りされていた。さほど深い傷にはならなかったが、それでも血が彼の右腕を流れる姿は非常に痛ましい。


 疼痛のあまり眉根を寄せる九重。疑問が解消しない。


(どういうことだ?)


 九重は一旦距離を取る。


 だがペストマスクは九重に考える時間を与えないと言わんばかりに、猛攻を仕掛ける。


 九重の持つ刀よりリーチが短いにもかかわらずダガーナイフをうまく使いこなし、追撃。


 九重は先ほどの怪現象を考慮しているため、思い切って反撃に出ることができない。


 防戦一方。


 数度、ペストマスクの斬撃を受け止めた後、またも九重に危機が迫る。


 ペストマスクが大きく振りかぶって斬りつけようとしてきたので、九重は受け止めようと顔の前に刀を持っていった瞬間。


「――グハッ!?」


 腹部に鋭い激痛が走る。


 気が付くとそこにダガーナイフが刺さっていた。傷口が沸騰しているかのように熱い。


 容赦なくナイフが抜かれると、猛烈な吐き気を催し、吐血する。


 眼前に敵がいるのは明白。とりあえず九重は前方へ斬りかかり牽制。傷口に負担がかからないよう、ゆっくり後退する。


「んぐっ……痛ぇなっ……」


 白い童素を顕現させ、包帯のように傷口を塞いだ。


 それを見たペストマスクは心底不快げな声音で問いただす。


「どうしてお前がそういう童魔の使い方ができるんだヨ」


「さぁ……どうしてだろうなぁ」


 刀を地に刺し、杖のように己の身体を支える九重。息も絶え絶えに返事をした。


「気に食わないですネ」


 そう言ってペストマスクがパチン、と指を鳴らした途端、九重の身体が数センチだけ宙に浮いた。


 みぞおちを殴られたような痛覚が九重を襲う。


 息つく間もなく、今度は右の頬を何者かに殴られる。姿は見えないが、確実にそれは人の拳だと九重は勘づく。


 次は左。その次は右。


 交互に、踊るように殴られ続け、最後は回し蹴りを一発。


 頭部への重い衝撃に耐えられず、数メートル先の壁まで吹き飛ばされる。


 壁に激突した時、肺の底から空気が飛び出た感覚を覚えた。


 酸素が正常に脳に回らず、視野が定まらない。


 だからこそ九重はあることに気付くことができた。


 足音だ。


(ふたりぶんの足音がする。透明人間でもいるっつうことか?)


 ぺっ、と血を吐き、九重は壁に手をつきながら、おもむろに腰を上げる。


「かかってこいよ人間不信野郎。お望み通りてめぇの期待を裏切ってやるよぉ」


「死にぞこないが、黙って逝ケ」


 ペストマスクが再度、指を鳴らす。


 すると、透明人間は九重に向かって一直線。


 しかし今回は透明人間の位置を見抜いている。


 着目すべきは床だ。


 足音は極限まで小さくしているようだが、ほこりや砂が床に溜まっているので、そこを通れば必ず残るものがある。


 足跡だ。


 九重は自身に迫りくる足跡でおおよその敵の場所を把握。


 刀をやり投げのように振りかぶり、投擲。


 見事に命中し、刀は空中で止まったかのように見える。それは透明人間に突き刺さったことの証明であった。


「うぐっ」という苦痛の声とともに生まれた隙で、九重は童素を指先に捻出。


「花火の音が聞こえなかったことはあるか?」


 指を天井に向ける。


「凪花火」


 飴玉ほどの大きさの童素の塊を人差し指に収束させ、宙に打ち上げる。


 白い童素の塊は花火のように弾け、九重の聴覚以外の感覚を失わせた。


 逆に聴覚は異常なまでに発達し、目が見えなくともすべてが見え、すべてを感じる。


 これにより九重は透明人間の位置だけでなく、体つきや表情の動き、今まさに九重に殴りかかろうとしていることまでを認識できた。


 透明なだけで、攻撃パターンは単調だったため、難なく回避し、あごへとカウンターを決める。脳が揺れ、透明人間は透明化を解除され、ガタイのいい男が伸びていた。


 おそらく透明になれる童魔の使い手だったのだろう。


 九重はふう、と短く息をつくと、絹衣を守る柳を維持している剣をためらいなく抜いた。


 当然、柳は枯れ、縛られた絹衣が無防備となった。


 早速、ペストマスクは絹衣を人質にした。


「ほ、ほらっ。少しでも妙なマネしてみロ。このナイフでグサリだからナ?」


「くだらない演技は止めろ。そこに絹衣がいないのはもうわかってんだ」


「なッ!?」


 凪花火を発動させてわかったことはもうひとつあった。


 この部屋に絹衣の音がしないということだった。


 九重が見ていた絹衣の姿が幻のようなものであったことを、すでに見透かしたのだ。


 となれば今からやることは単純。


 何に臆することもなく、ペストマスクをぶっ飛ばすだけだ。


「たぶんてめぇの童魔は幻術を生み出すものなんだろ? それも実態のある。だからかなりリアリティで大抵の人間はそれで騙し通せただろうが……」


 へっ、といたずらっ子のように笑う。


「残念だったな。俺を騙したいなら圧倒的な年下を用意しろ。ロリじゃなくて一、二歳下の後輩ぐらいのおなごな」


 蛇の頭と化した剣先を向けられても、ペストマスクは九重に追及された事実を認めようとしない。


「そうやって僕チンを揺さぶろうとしてるんだロ。その手には乗ってやらないからナ」


「せいぜい幻術だと勘違いして、痛い目見るんだナ」と強情な姿勢を保つ。


 ペストマスクは直立不動で拍手をし始めた。


人間柵夢幻猜裏じんかんのしがらみむげんさいり


 途端、ペストマスクと九重が存在する空間がぐにゃりと歪んだ。


 歪んだところから光が吸い込まれ、ものの数秒で宇宙空間のように真っ暗になる。


 暗闇からオペラ座の怪人に出てくるような白い仮面が無数現れ、そのどれもが九重を嘲笑している。


 かなり厄介で大掛かりな童魔をペストマスクは展開したが、九重は気にも留めずに歩みを再開する。


「だから言ったろ。もう俺に幻術は通用しねえって」


「ばかナ。この童魔で生き残れたヤツなんてひとりモ――」


「そっか。じゃあ俺が記念すべき一人目か。なんか商品券でもくれんの?」


 何の苦労もなく九重はペストマスクの目元に蛇の顔面を向ける。


「てめぇの幻術はまず相手の視覚に訴えかける必要がある。でも今の俺にぁ視覚がまったく機能してないんだわ。だからてめぇが大層な幻見せてるつもりでも、俺にとっちゃ、普通に歩いてる感覚なの」


「う、嘘だ。またそうやって僕チンを騙して……」


「それじゃあ今からダイナミックなお注射しますね~」


 ガブリッ。


 蛇はペストマスクの左肩に深く噛みついた。


「さぢじびぇぢさばふぁせふぉびふぃけそいざ」


 二十一人を残虐に殺した盲愛のハゲワシにとって、蛇の痛みは尋常ではなかったようだ。

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