第9話

 日も暮れて暗くなった頃。


 九重と絹衣は近所のスーパーへ向かっていた。お惣菜やお弁当などに値引きのシールが貼られ始める時間帯だからか、微妙に客が多くなっている。


 九重が日常的に利用するスーパーだが、彼はスーパー特有の仰々しさが苦手だった。所せましに並ぶ商品棚や忙しなく往来する人の波。頼むからせまい通路を塞ぐように立ち止まるのはやめてくれ、と何度思ったことか。


 買い物かごを片手に九重と絹衣は食材を探す。


「ねえ、盾鷲さんってさ。真面目そうなふりして、実は……あの……結構変わってる人?」


「今、だいぶ言葉選んだな」


「や、だって初対面の男女をいきなりふたりで……しかも外食じゃなくてあなたの家にわたしがご飯作りに行けって、おかしいわよね?」


 周りの目を気にしてか、絹衣は小声になっている。対する九重は臆することなく、通常運転で返答する。


「まあ俺らこれでも成人してるし初対面の男女が家デートじみたことをするのは普通なんじゃね? 俺ぁ童貞だから知らんけど」


「絶対そんなことないって。まずは数人の男女グループで遊びに行って、それで仲良くなってから……とかでしょ?」


「二島、動揺しすぎ。き、緊張してんの?」


「そ、そんなわけないでしょう! わたしだって立派な大人の女性なんだし、い、今さら異性の家に行くくらい、なんてこと、な、ないわよ!」


 自分のセリフに恥ずかしくなったのか、絹衣は赤らんだ顔をそむける。九重から見ても彼女が強がっているのは明らかだった。


 九重が、はあ、と肺の底から息を吐く。


「それか三じいの感覚がおかしい可能性もあるな。あの人も童貞らしいし」


「そうなんだ。まあ風格あるものね」


「俺らふたりで恋人らしいことをやれば、何かわかることがあるかもしれねえっていう三じいの言い分はわからんでもねえけどなぁ……」


 絹衣が形のいいジャガイモを手に取った。


「そういえばあなたって盾鷲さんのこと、三じいって呼んでるわよね。付き合い長いの?」


「んー、二年前だったな。俺が職を失って途方に暮れてた時、三じいが夜道で悪童に襲われているところを助けたんだよ」


「それでラメダリで面倒を見てもらえるようになった、と」


「そんなとこ」


「職を失ったって、その時まだ未成年なのに波瀾万丈すぎない?」


「まあ色々やらかしたんだよ……ハイ! この話はこれでおしまい。俺は過去を振り返らない主義なんでね」


「それってただの逃避行為じゃないの?」


 絹衣はため息をつく。


 鮮魚コーナーに向かう際、途中でお菓子コーナーの近くを通らなければいけないのだが、まさにふたりがそこを通っている最中に前から子どもが走ってきた。何かのアニメキャラが描かれたお菓子を片手に握りしめ、無邪気に走っていた。


 子どもにとって元気と不用意は切っても切れない関係にある。はしゃぐ子どもを大人が見た時、真っ先に身を案じるのはこのためだろう。


 そしてそれは九重も例外ではなく、前方の子どもを心配していると、案の定つま先を地面に引っかけて、つんのめる。


 九重は有無を言わずに即座に童素を具現化し、真っ白いそれを顔の方から転びかけている子どもと床の間にはさみこみ、バランスボールのような弾力をもって、子どもを受け止める。衝撃を完全に吸収しており、無傷で済んでいた。


「おいおい気ぃつけろよぉ」


「ありがとう、お兄ちゃん!」


 屈託のない笑顔のまま、タタタッと駆けていった。走るのが危ないとわかっていないのだろうかと思ったが、元気なだけマシかとも思った。


 九重が隣を一瞥すると、絹衣は不思議なモノでも見たかのように目を丸くしていた。


 そんな彼女の表情があまりに滑稽だったため、九重は動揺混じりに訊く。


「なんだよ、俺が人助けしたらまずいのか?」


「え? あ、いや、別に。意外だなって思っただけ」


「あ、そう」


 九重のそっけない返事に反発するでもなく、ただ前を向いて歩き続ける絹衣。だがどこか上の空だった。


「わたし、すぐに動けなかった」


「は?」


「危なそうだなって頭ではわかってたけど、とっさに動けなかったの。あなたと違って」


 どうやらさっきのことを気にしているらしい。九重はバツが悪そうに頭を掻く。


「別に大したことはしてねえよ」


「それでもあなたは動けてわたしは動けなかった。あなたは反射的に人助けできるの?」


 たかが子どもが転びそうになったのを助けただけ。九重はそう思うが、絹衣は奇妙にも真剣に食いついてきた。


 鮮魚コーナーの前までたどり着いたところで、九重は言った。


「俺ぁ弱えから助ける理由なんて考えてたら、いつの間にか助けない理由を考えちまう。俺の助けなんて必要ないんじゃねえかとか、誰かが代わりにやってくれるんじゃねえかとか。だから考える前に先に身体を動かすことにしているだけだ。理由がほしけりゃあとでいくらでもくれてやるってな」


 九重が「どれだっけ、二島が買いたいって言ってた魚」と訊くと「これだけど」とかごに投入。


 九重は放言する。


「さっきの子はなぁ。あの歳で深夜アニメのキャラのお菓子に目を付けてたんだ。ありゃあ将来大物のアニオタになれそうだから助けたんだ」


「また適当なこと言って……」


「適当でいいんだよ理由なんか。助かったのか助かってないのか、その結果だけありゃあそれでいい」


「鬼○隊じゃねえんだから常に全集中してたら疲れるぞ」とも付け加えていた。


 絹衣は「あなたに負けた気がして悔しい……」と吐露する。何か、心の奥底を覗き見るような、胡乱な眼差しを向けてきた。九重はぎこちなく先を歩いた。

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