鯨よりも深く

卯月

王女アンドロメダ

「おお、アンドロメダ、助かってよかった」

 王妃カシオペアが、娘である王女アンドロメダに取り縋って泣く。アンドロメダの隣に立つのは、英雄ペルセウス。岩場に鎖で縛られていた王女の元に、翼の生えた馬に乗って空から現れ、恐ろしい化け鯨を倒してくれたのだ。

 カシオペアが不遜にも、「私の娘は、海の五十人の姉妹たち、ネーレイデスよりも美しい」と言ったために。怒った海神が遣わした化け鯨は、沖に出た漁師の船を沈め、沿岸の集落を津波で破壊し、どれほどの民が命を落としたことか。

 怒りを鎮める方法について、王ケフェウスが神に伺いを立てると、神は答えた。


『王女アンドロメダを生贄に捧げよ』


 私の命で、国を、民を救うことができるなら。アンドロメダは、一度は死を覚悟した。その運命を変えてくれた、ペルセウスには感謝している。

 だが今、助かった喜びよりも、どんどん気持ちが冷えていくのは何故だろう?


「たった一人の娘であるお前が死んでしまったら、私はいったいどうしたらよいか……」


 ――気付いてしまったのだ。母が、誰にも、詫びていないことに。

 自らが侮辱した海の姉妹たちにも。化け鯨に襲われて死んだ民にも。生贄となったアンドロメダにも。

 アンドロメダは思い出す。ペルセウスが突き付けたメドゥサの首を見たため、全身、石と化した鯨。大きな水飛沫を立てて海へ、深い海の底へと、沈んでいった――。

 あの鯨でさえ、実は被害者ではないのか? 母の言葉がなければ、海神の意に従い我が国を襲うことも、ペルセウスに倒されることもなかったのだから。


「アンドロメダ、アンドロメダ……」

 傲慢の罪を犯し、全てを引き起こした責任には目もくれず。〝娘を失った自分〟になることを恐れ、まるで自身が最大の被害者であるかのように泣き続ける母の温もりを、煩わしいと感じ――。


 ああ、私は、私の命を奪おうとした鯨よりも、鯨を遣わした海神よりも、深く。


 目の前の、この存在を、憎んでいる。



〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鯨よりも深く 卯月 @auduki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ