【最終話】 調停者。

 アナスタシアの手のひらの上で揺れる聖慮せいりょの天秤。その天秤を見てくろうさぎさんは呟きます。


「……傾きが……進んでる」

「…………」


 一人と一匹の目の前にはっきりとしたかたちとして示されたその結果に、それ以上の言葉をこの場所で見つける事は出来ませんでした。一人と一匹は各々に思慮を巡らせながら帰路へと着くと街のギルドにクエスト終了の報告に出向きます。


「──店主、これで最後だ」

「……へい、確かに。それにしてもさすがは調停者様だ。たった一夜にしてこれだけの数のクエストをこなしてくるとは、やれる人にはやれるもんですなぁ……お見事の一言です」

「いや、私一人ではないさ──」


 そう言うとアナスタシアは横にいるくろうさぎさんの方に視線を向けます。すると、ギルドの店主はクエストカウンターから身を乗り出しそこにいる黒いうさぎを覗き込みます。


「なるほど。このお方もまた調停者という訳ですな? こんな小さくて可愛らしいお姿なのに、見た目では判断出来ないとはまさにこの事ですな。えぇと、それで御人のお名前は……」

「ああ。彼の名前はクロエだ。調停者を導く『案内人』さ」

「よろしく、店主」

「調停者様を導く案内人様、クロエ様ですね。承知致しました。それでは、私の方から改めまして今回の御礼を言わせてください。今回はお二人のお陰で本当に助かりました。今後はそのお手を煩わす事のないよう私も含め冒険者一同一つになって精進して参りますので、どうかご心配はなさらないでください。ええ。このギルドの威信にかけても、お恥ずかしい姿はもう見せられません」


 そして店主が店内を見渡すとそこにいた冒険者達の口からは前向きな言葉が飛んできます。


「調停者様、僕たちも諦めないで頑張ります」

「うん。ここまで来れたんだ。やって出来ない事はないと思う」

「情けない姿を見せてたらみんなが心配するもんな」


 それは『違和感』を倒した効果か、はたまた調停者アナスタシアの姿に感化された影響か、冒険者達の目には輝きが宿っていました。


「ああ。そうしてくれるとこちらも助かるよ」

「へい」


 逸脱した大きな流れを取り戻したこの場所で微笑みを浮かべるアナスタシア。ですが、そんな彼女の横で、だけどまだ浮かない顔をしているのはくろうさぎさんです。彼はクエストカウンターの下から店主へ向けて尋ねます。


「店主さん、一つ聞きたい事があるんだけど、いいかな?」

「へ、へい。クロエ様、なんでしょう?」


 再びその身を乗り出し自身を見つめる店主にくろうさぎさんは言います。


「うん。彼女に聞いたんだけど最近の冒険者達の『心の病い』について詳しく聞かせてくれないかい?」

「あ、ああ、心の病いですか? と言っても、それは単に私がそう思ったってだけの話で……」

「うん。それで構わないよ。聞かせて欲しいんだ」

「え、ええ……それなら僭越ながら語らせていただきます」

 

 そうして店主の口から語られた内容をくろうさぎさんは頭の中で整理します。


「──つまり要約すると、自分に自信がない。そういう事だね」

「え、ええ。まぁ、そうなんですがね。なんていうか今まではそんな奴はいなかったもんで、もっとこう自信とやる気に満ち溢れていたというか……それで来る奴来る奴がそんな感じだったのでつい『心の病い』かなんかじゃないかと思ったって訳ですよ」

「なるほどね」

「変に頭が良いというか、身にわきまえているというか、悟っている感じで面白味がなくてですね……という、まぁ、私の個人的な感想から出た言葉だと思ってください。でも、お二人のお陰でそれも私の杞憂に終わりそうです。今の奴らの顔、それは私の知ってる冒険者のそれです」


「……悟っている、か……そうかい。うん。でも、それならここはもう心配なさそうだね。話してくれてありがとう。じゃあ、アナスタシア僕達は宿に戻るとしようか……」

「……クロエ」


 この時、アナスタシアは感じていました。くろうさぎさんの言葉の内にある不安にも似た何か、店主の言った杞憂に終わらない何かが彼の中にはあるのだと。それから宿屋へと着いた一人と一匹は部屋へ入るとそれぞれの場所に着きます。くろうさぎさんは椅子にちょこんと座りアナスタシアはベッドに腰掛け聖慮せいりょの天秤を見つめます。


「……アナスタシア。聖慮の天秤の傾きの状態はどうだい? 僕の目には先程と同じに見えるけど、キミには何か変化は感じられるかい?」

「ああ。目には見えない感覚的な変化だが今しがた少し軽くなったような気がする」

「軽く?」

「ああ、そうなんだ。不思議な事だがこのタイミングでそれを私は実感している」

「…………」


 その言葉にくろうさぎさんは一匹頭を悩ませると静かに呟きます。


「……聖慮の天秤。僕達は何かその仕組みについて見落としているものがあるのかもしれないね……」

「……仕組み……?」

「うん。仕組み。つまりは『違和感』について……」

「……『違和感』、か……この聖慮の天秤の傾きが意味する『何か』、それが何なのか、もう一度一から考え直すべきなのかもしれないな……クロエ……キミの思う『違和感』とは一体何なのだろうか?」

「……そうだねぇ。でも、その前に……」


 彼女の質問に答える前にくろうさぎさんはその手に本を持つと最初の一ページ目を開きます。


「まずはここでもう一度この『世界』について最初からおさらいしよう。この世界の成り立ち、生い立ち、その世界が抱える秘密、『世界』という存在について、この本に記された過去の『言葉』からそれを紐解いていくんだ」

「……『世界』について、か……ああ、わかったよ。過去の私達が残したその『言葉』にかけてみよう」

 

 そうしてくろうさぎさんの口から語られる『世界』の真実。

 そこにあったのは過去の自分達から未来の自分達へ向けられたメッセージ。

 くろうさぎさんの文字で綴られたいくつもの『言葉達』だったのでした。

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