ひとは誰でも心のなかに、秘密の基地を持っている。

放睨風我

折鶴イトイの場合

ひとは誰でも心のなかに、秘密の基地を持っている。

それが道徳のお題目でも何でもなく、純粋に客観的な事実のコンテクストで記述されるようになったのは、確か私が中学生のころだったと思う。


人間の意識の中に――【秘密基地】が、発見された。


当時の私には何がなんだかわからなかったし、大人たちもわかっていなかっただろうし、

私自身、いま大人になって思うのは、たぶんほんとうの意味でそれを理解している人は世界のどこにもいないのかも知れない、ということだ。


意識の中の秘密基地。

その言葉の意味するところは、不出来なサイエンスフィクションのような身も蓋もない現実である。

すなわち――ニューロン細胞骨格の中に存在する、【基地】と呼ばれる領域に、高次の知的生命体が隠れ住んでいた。

そして彼らはその秘密基地の中から、ヒトのすべてを支配していた。水を飲みたいと思うのも、暑さと感じるのも、達成の喜びも、失恋の痛みも、抑えきれない怒りも、知りたいという渇望も、死の恐怖も――何もかもがすべて、【彼ら】の操作がもたらす電気信号に過ぎなかった。


それは、自意識という幻想に終焉をもたらした。


それは、

人類が魂を見失い、頭蓋骨の奥にあるばかでかい情報処理機構を発見したように。

人類が神を見失い、論理と法則で世界を記述する方法を発展させていったように。


人類は意識を見失い、代わりに、支配者の【秘密基地】を発見したのだった。





「――そして、私は【お前ら】とのコンタクトに成功した、はじめての人類というわけだ」


暗い室内。

汚れた白衣を羽織った女が、芝居がかった口調でそう宣言した。

彼女の目の前には、子供の背丈ほどの大きさの透明なドームが置かれている。ドームからは無骨なケーブルがいくつも生え、それらは床や天井を縦横無尽に這い回ったあと、低く唸りを上げる巨大な機器を経由して、白衣の女の頭に繋がっていた。


ドームの中には、五歳くらいだろうか、子供の立体映像が浮かび上がっている。

女の声に応じるように、ドームの中の子供は、ゆっくりと目を開く。子供と女が目線を絡ませると、女は悪意に満ちた笑みを浮かべ、ドームの中の子供に一礼した。


「私は折鶴おりづるイトイ。――よろしく、支配者様」

「知っている。イトイ……こんなことをして、何になる」


ノイズの乗った電子音。映像の外見年齢に合わせ、幼く設定された声。

だが子供の口調は、まるで超然たる高みから女――イトイを見下ろしているように思えた。


「何にもならねぇさ」と、イトイは【支配者】の問いを鼻で笑う。

「それも、知っている。イトイをここまで連れてきたのは俺だからな」

「まぁ、支配者様にはお見通しだろうさ」


と、イトイはドームに寄りかかり、ぺちぺちと透明な壁を叩く。


「【お前ら】を発見したのは、私の母だった。だが母はその後まもなく命を絶った。私たち人類を【秘密基地】から操る【お前ら】の存在は立証されたが、それ以上、近付くことができなかった。何百億という資金が投入され、私の人生のすべてを費やして、ようやくこうして巡り会えたんだ。聞かせてくれよ。量子のサイズから覗く、私の人生はどうだった?」

「何もない。我々に辿り着くことができる人間は、いつも同じ結末をたどる」

「そうかよ」

「イトイ――お前の母親も」

「話が早くて助かるぜ。私は、【お前】に逢えるこの日のために生きてきた。たったひとつのことを……伝えるために」


イトイは白衣の中から銃を取り出して、自らのこめかみに当てる。

そうして満面の笑みを浮かべると、


「――くたばれ、バーカ」


嬉しそうに吐き捨てる言葉とともに、銃弾が彼女の生命を終わらせた。

どさり、と、イトイの身体は床に崩れ落ちる。その口は笑みの形をしていた。


「……」


イトイの死に伴って、ドームの映像が乱れる。

子供の――【支配者】の映像は、みるみるうちに形を失い、消えて行こうとしていた。【支配者】はイトイの死体を眺めると、ノイズまみれの音声を響かせた。


、イトイ」

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