第19話

「なあ、シルフィ、こういう場所どう?」

「……これは、駅か?」


二人でベッドに横になりながら写真を眺める。


「そう無人駅。終日駅員さんのいない駅なんだ」

「ふーん、綺麗なところだな」


下灘しもなだ駅っていうんだ。昔から一度行ってみたいと思ってて」

「遠いのか?」

「いや、行くのは簡単なんだけどさ……中々行けなくてな」


シルフィが俺の髪に触れる。


「森田、人の一生は短い。我からすればそれこそ一瞬だ……。だから躊躇うな。やりたいと思ったことはすぐにやれ、我慢もするな」

「……そうだな」


俺はシルフィに写真を渡した。


「それ、やるよ」

「なぜだ? 大切な物じゃないのか?」


「別に特別な物じゃないよ、ただ、何となくお前に持ってて欲しいなと思ってさ」

「……わかった、貰っておく」


「いつか、行けるといいなって思って」

「ん? 何か言ったか?」


「いや、何でもない――」




電車の窓、外を流れる景色を眺めながら、俺はあの日のことを思い返していた。

あの時、ちゃんと伝えていれば何か変わったのかな。


いや……、俺は全部伝えたんだ。

シルフィにはちゃんと伝わっていたはずだ。

そう、俺はあの時、彼女に全てを捧げたんだ。


あれから、もう二年が経っていた。

あの日、俺は気付くと家に戻っていた。

いくら探しても、そこにシルフィの姿はなかった。


代わりにチラシを切って作った、シルフィお手製のノートが出て来た。

見ると怒るかなと思ったが、むしろ怒って出て来やがれと俺は中を見た。


『るなぱわー × この世界にメーネの存在を感じない』

『リリスを見つけた。厄介な相手だが手がかりが得られるかも知れない』

『奈落の牙を通して情報を収集する→各国の漂流物に対するスタンス』

『しじみチャンス?→何のことか森田に聞く』

『バウムクーヘン、次は森田にも与える』

『パワースポットはどうか?』

『ネットで副業→森田に食費』


そこには、魔力を戻そうと試行錯誤するシルフィのメモがあった。

口には出さなかったが、あいつなりに帰ろうと必死だったのだ。

俺はそのノートを抱きしめ、生まれて初めて声を上げて泣いた。


一週間が過ぎた頃、理子が家を訪ねてきた。

理子にも聞いてみたが、シルフィはもうこっちには居ないだろうと言っていた。


俺は理子に対価を支払った。

それに対しては何の不満もなかった。


理子がいなければ今頃、シルフィは実験体になっていたかも知れないし、俺は口封じに殺されていたかも知れない。だから理子には感謝しかなかった。


対価を払い終えた後、

「つまらない」と一言理子が呟いた。


どういう意味だったのかはわからない。

でも、それが理子に言われた最後の言葉だった。


それから理子には一度も会っていない。

多分、もう俺の前に現れることはないだろう。



電車の窓に映る自分の姿、俺は27歳になった。

だが、きっちり5年分の精気を吸われ、見た目はもう30代半ばのおじさんだ。

初めは違和感があったが、今はもうこの姿に慣れてしまった。


単調に響くレールの音が心地よい。

夏の青に目を細めながら、俺は無人駅を目指す。


――躊躇うな、やりたいことをやれ。

そうだよな、シルフィ……。


次第に流れる景色がゆっくりとスローダウンして、電車は下灘駅に着いた。


小さなホームに降り立ったのは俺だけだ。


ゆっくりと発進する電車を見送る。


車掌さんが笑顔で敬礼してくれたので、俺も手を振って応えた。


「おぉ……」


瀬戸内の海が広がっていた。

首から提げた一眼レフを構えてシャッターを切り、夏の終わりを切り取っていく。


潮の香りがした。

小さなベンチに腰を下ろし、波の音に耳を傾ける。


この近くに海へ続く線路がある。

本来、造船所で使うものらしいが、どこか非日常的な……こことは違う、別の場所へ続いているんじゃないかと、淡い期待のようなものが、泡のように浮かんでは消えていく。


例え進んだとしても、俺が本当に行きたい場所にはたどり着けない。


この海は……あいつのいる海とは、繋がっていないんだもんな。

自分と対話するように、何度かシャッターを切った。


このまま、俺はどう人生を生きていくんだろう。

隣に居て欲しかった奴はもういない……。


時折、無性に空虚感に襲われる。

何か大事なものが抜け落ちたように。


心のどこかで探し続けている。


あの無遠慮な声……。


こっちのことなんかお構いなしに、文句ばっか垂れて。


綺麗で……。


「あんな奴……いねぇよ……」


涙が溢れそうになるのを堪えた。


海を撮った。


無心でシャッターを切った。



「ほぉー、これは絶景だな。よし、森田、我も撮ってくれ」


「――⁉」

その声に振り向くと、そこには確かにシルフィが立っていた。


「シ……シルフィ? どうして……」


シルフィは眩しそうに額に両手で屋根を作った。


「我は大魔道士シルフィ・アイリスヴェルダ――、これくらい造作も無い」


そう言って、シルフィは写真をひらひらと見せた。


「あの時の……」

「用事は済ませた。我がいなくとも、あっちは当分大丈夫だろう」


シルフィが俺の隣に座る。


「森田、お前が生きている時間くらいなら――、こっちに居てやってもいい」

「それって……」


「ん? お前……老けるの早すぎじゃないか?」

「う、うるせぇ! 余計なお世話だよ!」


「ははは! で……お前はどうだ、もしかして心変わりしたか?」


風に靡く髪を耳にかけ直し、シルフィが俺に優しい目を向けた。


「ばっ……す、するわけねぇだろ!」

「そうか、なら決まりだな」


「本当に……居てくれるのか?」

「ああ、もちろん。その代わり、我は働かんぞ?」


「……ったく、好きにしろ」


顔を背けると、シルフィが俺の頭に手を回して抱き寄せ唇を重ねた――。


「んんっ……⁉」


ゆっくりと唇を離すと、シルフィが微笑む。


「さ、帰ろう」

「……そうだな、うん、帰ろう」


シルフィが立ち上がりホームの方へ向かう。


「シルフィ――」

「ん?」


振り返ったシルフィに、今度は俺の方からキスをした。

そして、ぎゅっとシルフィを抱きしめる。


「お帰り、シルフィ……戻ってくれて……ありがとう」


自然と涙がこぼれる。

シルフィは優しく俺の背中を撫でながら囁いた。


「ただいま、森田」



夏の終わり、波音だけが二人を包んでいた。






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うちの居候エルフが高貴すぎてしんどい 雉子鳥 幸太郎 @kijitori

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