第5話

バイトで本にカバーを掛けている時、新しく入ってきた書籍を分類している時、家で風呂に入っている時、布団の中で目を閉じた時……。

結局、この手でプールを片付けたことが、ここ数日の間、ずっと心に引っかかっていた。


だが、そんなモヤモヤを綺麗さっぱり忘れかけた頃。

俺はシルフィと、溝口さんの住むマンションに来ていた。


あれから何度も断っていたのだが、どうしてもシルフィに来て欲しいの一点張りで、断り切れなかったのだ。


「すげぇな……」

「森田もこういう家に住め」

「む、無茶言うなよ……」


十二階建てのマンション、外観はかなりモダンで高級感が凄い。

エントランスから発せられる圧が、家賃の高さを物語っているようだった。


中に入るとすぐにオートロックの扉が開き、溝口さんが迎えに来てくれた。

夏らしい白いワンピース姿、ネコ科を彷彿とさせるしなやかな体が美しい。

もう一度言っておくが、かなりタイプである。


「来て下さってありがとうございます、どうぞどうぞ」

「あ、はい、お邪魔します」


マンションの中に入り、エレベーターで8階に向かう。


「ここが私の部屋です、ちょっと散らかってますけど……」

「いえいえ、お構いなく、ウチに比べれば可愛いもんで――」


大きな扉が開いた瞬間、俺は言葉を失った。


「ほほぉ~、溝口、お前なかなかのもんだな」


シルフィが部屋中に積まれたゴミ袋を見て感心したように頷く。

溝口さんは恥ずかしそうに笑って、両手で顔を扇いでいる。


「えへへ……恥ずかしいですね。片付けようとは思ってるんですが」

「ちゃんと片付いてるじゃないか、ゴミ袋とやらに入っているし」


そういう問題じゃねぇだろ!

心の中で突っ込みながら、俺は恐る恐る部屋に入った。


「あー、もう、物がいっぱいで……」


溝口さんが慌てて脱ぎっぱなしの衣類や雑誌、無数のペットボトルを部屋の端に足で寄せる。

おいおい、何か見た感じのキャラとやってる事が違くね?

まあ、誰にでも変わったところの一つや二つあって当然か……可愛いし。


どうにか三人が座る場所を確保し、溝口さんが俺とシルフィの前に「どーぞ」とペットボトルのお茶を置いた。


「あ、どうも、ありがとうございます」


助かった、暑くて喉が渇いてたんだよなぁ~。

俺はお茶の蓋をあけようとして手が止まった。


え……既に開いてんですけど⁉

よく見るとお茶のラベルは緑茶なのに、中の液体が紫色とかどう見てもファ○タです、ありがとうございます。


そっとお茶?を戻して、

「かなり広いですよね? 家賃も高そうだし、ウチとは大違いだなぁ」と場を繋ぐ。


その隣でシルフィが、お茶をグビグビと飲み干した。

やっぱ無敵だな……こいつ。


「ぷはー、で? 幽霊はどこだ?」

「ちょっと今は物で隠れちゃってますけど、そこにクローゼットがあるんです。その中から毎晩のように、ノックする音が聞こえてきて……お願いします! シルフィさんのお力で除霊していただけませんか!」


除霊の前にゴミをどうにかしろよと思うが……。


「よし、森田、ここを掃除しろ」

「は?」


「お前の掃除スキルは評価している」

「していらん」


「森田さん、私からもお願いします」

「は?」


いやいや、自分の家だろ。

この子、可愛いけど難ありだぞ……。


「……森田、お前が掃除すれば丸く収まるんだぞ?」

「俺が悪いみたいに言うな!」

「あの、ちゃんと謝礼はしますので……」


「「謝礼?」」


俺とシルフィは同時に声を上げた。


「もし、幽霊が出なくなって部屋も綺麗になったら……職人さんを呼んで、寿司パにお二人をご招待しますよ!」

「「寿司……パ?」」


部屋も綺麗にっていうのが引っかかるが、寿司は食いたい。

しかもこの様子だと、かなり高級な寿司の予感――。


寿司かぁ、最近食ってないよなぁ……。

マグロ、ハマチ、ウニ、イカ、サーモン、イクラもいいな。んー、あとは何の意味もないと科学的に証明された『継ぎ足し』のタレで焼いた穴子とか食べてみたい!


「おい、森田」

「おう、任せろ」


俺とシルフィは顔を見合わせ、まるで悪に立ち向かうヒーローの如く立ち上がった。



 * * *



溝口さんにはゴミシールを買いに行ってもらい、その間に俺とシルフィはレンタカーで4tトラックを借りて来た。かなりの出費だが、高級寿司に比べれば安いもんだ。


「しかし暑いな……森田、アイスが食いたい」

「我慢しろ、これが終われば寿司が待ってる」

「お前の意見に初めて同意したぞ」


トラックをマンションの駐車場に停め、部屋のゴミを片っ端から運んでいく。

幸いなことに、ゴミはゴミ袋に入っているのが殆どだった。


途中、制服姿でタンスや冷蔵庫を運ぶお兄さん達と何度もすれ違う。

引っ越しか、この暑いのに大変だなぁ……。


「よし、いる物といらない物をここに分けて行こう」

「わかりました!」


溝口さんは部屋に散乱していた洋服や小物を、言われた通りに仕分けして行く。


「んー、これもいらないっと、あ、これもいいかなー」


最初は時間が掛かっていたが、だんだんと大胆になりスピードも上がっていった。


「かなりすっきりしたな」

シルフィは、カウンターキッチンの椅子に逆向きに座ってアイスコーヒーを飲んでいる。


「ああ、後は一度掃除機掛けて、拭き掃除すればOKだろ」

「森田さんって、頼りになりますね!」


女性に褒められるなんて、何年ぶりだろう。


「いやぁ~ははは、これくらいはね」

「おい、あれが例のクローゼットか?」


シルフィが指さす先に、ただならぬオーラを放つクローゼットがあった。

ゴミ袋で塞がれていた扉は、長年の湿気のせいか黒ずんでいる。


「そうです、あの中から毎晩のように……」


俺達はクローゼットを見つめる。

ゴクリと喉を鳴らすと、シルフィがスタスタと近づき、何の躊躇いもなく扉を開けた。


「よせ、シルフィ!」


そう言った時にはもう扉が開いていた。

クローゼットの中はもぬけの殻だ。


「あれー、中に何も入れてなかったっけ?」

溝口さんが小首を傾げた。


「何も入ってないぞー」


シルフィの声に少しエコーが掛かる。

俺もクローゼットの中を覗いてみた。


まったく普通のクローゼットだ。

洋服などは一切なく、物も置かれていない。


「……特に変なとこはありませんねぇ。溝口さん、いつもどういう音が聞こえるんですか?」

「何かコンコンってノックするような音です」

「ノックか……」


俺はクローゼットの中の壁を軽く叩いてみた。

壁の右端に行くと、音が甲高い金属音に変わった。


ん? ここ鉄骨の柱が通ってるな?

あれ、ここだけ壁紙だけでボードが入ってないのか……。


「あの、とりあえず片付いたことですし、休憩しませんか?」

「おぉ、溝口、その意見は採用だ」


シルフィが首をさすりながらソファに座った。


「お前は何もしてねぇだろ……」

「ほほぅ……そこまで言うなら仕方あるまい。この大魔道士シルフィ・アイリスヴェルダ直々に、この部屋に結界を張ってやってもよいぞ?」

「ホントですか⁉」と、溝口さんが食いつく。


「何せ久しぶりの結界だ。一週間は掛かると思うが……」

「全然問題ありません! お願いします!」


「いや、あんまり真に受けないほうが……」

「いえ! シルフィさんが言うなら間違いないです! ぜひお願いします!」


「ははは、森田よ、残念だったな。どうやら溝口は違いのわかる女らしい」

「え……マジ? 溝口さん大丈夫なの? シルフィめっちゃ食うよ?」

「大丈夫です! 何でも好きな物を言って下さい!」


おいおい、大丈夫か?

何かこの子、結界というより、シルフィに執着してるような気がするけど……。


「森田、というわけだ。寿司食ったら帰っていいぞ」

「……ま、まあ、俺はいいけどさ」


何となく不穏なものを感じながら、俺は寿司職人が来るのを待った。

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