引っ越し②

 気になって眠れず、目がしばしばする。眠気はあるものの、いてもたってもいられず、顔を洗って着の身着のまま早朝から家を出た。念のため、お母さんには朝ご飯は大丈夫だとメッセージを残しておく。

 たろまるのいた河川敷周辺を通って咲良の家へ向かう頃には、ちらほら車通りもあるようになってきた。

 取り敢えず、咲良のお父さんの車が残っていることを確認できれば良い。そうしたら、迷惑にならない時間帯まで待って咲良に聞きに行こう。

 咲良本人が何も言わなかったのだから、もしかしたら何もするべきではないのかもしれない。けど、このまま咲良に会えなくなるのは嫌だ。まだこの気持ちを伝えてすらいないのに。

 咲良の家に着くと、既に咲良のお父さんの車は駐まっていなかった。

 愕然としていたら、不意にスマホが鳴る。慌てて画面を確認すると美澄さんからで、すぐに通話ボタンを押した。


「東条さん、駅付近に向かってください。そこに西ノ宮さんがいるはずです」


 美澄さんはそれだけを言って通話を切ってしまう。

 できればもっと細かいことを聞きたいけど、すぐに切ってしまったということは急いだ方が良い状況なのかもしれない。

 決めたらすぐに駆け出した。いつかの雨の日とは違って、地面も濡れていなくて走りやすい。だけど暑くなってきた季節の朝日は思っていた以上に熱を送ってくる。

 駅が見えてくる頃には汗だくになっていた。

 呼吸を整えながら田舎の寂しい雰囲気の駅を見ると、近くの駐車場に車が二台止まっているのが見える。一方は咲良のお父さんの車だ。

 近くに咲良と咲良のお父さんの姿がある。その向かいには見たことのない女性がたろまるを抱えて、二人に向かって何度もお辞儀をしている。

 その様子を見て、ようやく私は自分が早とちりしていたことに気づいた。

 咲良が書いた『お引っ越し』とは、たろまるが元の飼い主さんの元へ戻っていくことだったのだ。

 唖然としながら飼い主さんを見送る咲良と咲良のお父さんを眺めていて、ふと我に返る。こんなところで汗だくになって突っ立っているのを咲良には見られたくない。一旦家へ帰ろう。そう思って踵を返そうとした瞬間――咲良と目が合った。

 意味もなくしゃがみこんで顔を見られないようにする。何も持たずに家を出てきてしまったから、何も汗を拭うものがない。

 そうしている間にも足音が近づいてきて、咲良が私の真正面に同じくしゃがむのが分かった。


「菜瑠美、どうしたの?」


 言いながら、持っていたハンカチで優しく汗を拭ってくれる。私はお礼を言ってから恥ずかしさに耐えつつ正直にここに来るまでの経緯を話した。


「咲良の家のカレンダーに『お引っ越し』って書いてあるのを見て、てっきり咲良が引っ越しちゃうんだと思って。今日咲良の家に行ったら車がなくて焦ってるところに、丁度美澄さんが咲良の居場所教えてくれて。それで……ここまで走ってきた」


「そういえば……ちょっと前に、美澄に今日のこと、聞かれたかも」


 美澄さんは、もしかしたら全部知った上でこうなることを予測して、丁度良いタイミングで咲良の居場所を教えてくれたのかもしれない。

 私が苦笑していると、咲良は可愛らしく首を傾げて言った。


「菜瑠美。そんなに走ってくるぐらい、私が引っ越すの、嫌?」


 じっと見つめてくる瞳を見返していたら、ここで言うしかないと思った。本当はもっとちゃんとした場所で格好つけて伝えたかったけど、この際仕方ない。


「嫌だよ……だって私、咲良のことが好きだから。友達とか親友じゃなくて、もっと大切って意味で。まだちゃんとこういう気持ち伝えられてないのに会えなくなるのは、嫌だった」


 言い終わった途端、息が詰まる。ほとんど見切り発車だったから、咲良からどんな返事が来たとしても心の準備が出来ていない。


「私も、好きだよ。菜瑠美のことが、すごく大好き」


 まっすぐ見つめ合う。少し頬が赤くなっているその様子から、咲良の好きが自分と同じ意味なのだと実感させられる。

 想いが溢れてもっと近づきたくなったけれど、汗のことが気になって思いとどまった。そんな私に、咲良はばっと両手を広げる。


「菜瑠美。ハグ、しよう」


「でも、私汗かいてるし……」


「そんなの、いい。私は菜瑠美と、今ハグしたい」


 そんなことを言われて、遠慮なんてしていられるはずはなかった。

 何も気にすることなく咲良と二人、道路脇で抱きしめ合う。犬の散歩をしている人がこっちを凝視しているのも気にならないぐらい、幸せだった。

 想定外だったけれど、こんな風に追い詰められでもしなかったら言えなかったかもしれない。そう考えたら、自分のバカみたいな早とちりも許せる気がした。

 想定していたような格好良い告白ができなかったことだけは心残りだけど。

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