融解

 翌日。登校してすぐ、丁度教室前で遥香ちゃんを見かけ声をかける。話したいことがあると伝えると、遥香ちゃんも真剣な表情で頷いた。


「……うん。私も、ちゃんと話さなきゃなって思ってたんだ」


 昼食後に会う約束をして、いつも通りの一日が始まる。それでも結局ずっとそわそわしていたようで、沙綾にも何かあるの?と聞かれるぐらい挙動不審だったみたいだ。

 あっという間に時は過ぎ、約束の場所へ行くと丁度遥香ちゃんも反対側から歩いてくる。いつになく硬い表情をしている遥香ちゃんを見て、私はとにかく謝ろうと小走りで近づいた。


「遥香ちゃん、色々とごめんね」


「菜瑠美ちゃん、この間は本当にごめんね」


 二人の声が重なって、驚いて遥香ちゃんの方を見る。遥香ちゃんもきょとんとした顔で私を見ていた。


「えっと……どうして菜瑠美ちゃんが謝るの?変なこと言っちゃったのは私の方なのに……」


 不思議そうにする遥香ちゃんに、私は緊張しながらも伝えたかった言葉を告げる。ここでちゃんと思っていることを伝えないと、ずっと引きずったままになってしまうかもしれないから。私はこれからも遥香ちゃんと友達でいたい。


「遥香ちゃんが何であんなこと言ったのかは分からなかったんだけど、あの後遥香ちゃんの……中学の時のこと聞いて、あの日カフェで言ったことが、もしかしたら遥香ちゃんにとって不快に思うことがあったんじゃないかと思って」


 私の言葉を最後まで聞いたあと、遥香ちゃんはゆっくり首を振った。


「そっか……でも、それは違う。それと、実はもう一つ菜瑠美ちゃんに謝ることがあるの……私本当は、菜瑠美ちゃんのこと覚えてたんだ」


「えっ……でも、それじゃ何で――」


「怖かったから。……菜瑠美ちゃんの憧れで、思う通りの自分でいられなくなったことと向き合うことが」


 吐き出すように言うと、遥香ちゃんはそのまま俯いてしまう。

 驚きと同時に、一つの疑問が浮かんだ。小学生の頃、確か私は一度も遥香ちゃん本人に憧れているなんて直接言ったことはなかったはずだ……そんな勇気もなかった。なのに何で遥香ちゃんはそのことを知っているんだろう。

 私の疑問を悟ったのか、遥香ちゃんは微かに微笑むと教えてくれた。


「小学生の頃私が転校する時、クラスのみんなでメッセージ書いてくれたでしょう?そこにね、菜瑠美ちゃんは『遥香ちゃんは私の憧れ』って書いてくれてたんだ。私、それが本当に嬉しくて……自分が頑張ってきたことは間違ってなかったんだって。だから、今でも大事にとってあるんだよ」


 遥香ちゃんから聞いてやっと思い出す。遥香ちゃんにひかれるだろうかと迷った末、最後だからと勇気をふりしぼって書いたのだった。

 何故こんな大事なことを忘れていたんだろうと思ったけれど、小学生の頃の自分を思い返してすぐ理由に気づく。あの時は友達と呼べるような子もいなくて、ほとんど一人で過ごしていた。

 だからこそ、そんな私にも話しかけて輪に入れてくれる遥香ちゃんのことを本当にすごいと思っていた。遥香ちゃんがすることは全部正しい、遥香ちゃんは完璧な人だ。

 それは、憧れなんて言葉じゃ収まらないくらい盲目的なものだったのかもしれない。

 でも、あの頃の遥香ちゃんが喜んでいてくれたのなら勇気を出して良かった。それが例え後に、遥香ちゃんへ負担を与えてしまうものであったとしても。


「それじゃ、昨日のあれは……」


「今の自分が嫌で、昔の自分に憧れてくれていた菜瑠美ちゃんの瞳に縋ってしまっていたのかも。だから、そんな菜瑠美ちゃんの瞳が西ノ宮さんばかり映していることに寂しくなっちゃったの、かな」


 遥香ちゃんはそう言いながら、自分でも分からないというように少し首を傾げた。


「だから、本当に西ノ宮さんのことが嫌とか全く思ってないから安心して。その……なんとなく、菜瑠美ちゃんが西ノ宮さんに向けるそれは、私が思ってるものとは違うんだなって分かっていたし」


 そう言った遥香ちゃんは少し顔を赤くしていて、何の事を言われているのか分かった私も恥ずかしくなってしまう。沙綾や雪穂が気づいていたのだから、遥香ちゃんも私が咲良に好意があることを勘付いてもおかしくない。察しがいい人だから。


「そういうわけで……もう、私は菜瑠美ちゃんが憧れてくれていた私じゃいられない、弱い人間なんだよ。頑張ろうとしてたけど、背伸びし過ぎたみたい」


 そう苦笑する遥香ちゃんの表情は、言葉にはしなかったもののどこか疲れを含んでいた。


「遥香ちゃんは、小学生の頃も無理してた……?」


「自分でも分からないけど……そう、心がけてはいたかな。実際困っている子は見過ごせなかったし、お母さんもお父さんも、そんな私を褒めてくれていたし」


「だとしたら、やっぱり遥香ちゃんはすごいよ……誰もがそう思えて、実際に行動できるわけじゃないから。少なくとも、私はそんな遥香ちゃんの優しさに沢山救われてたよ」


「菜瑠美ちゃん……」


 呟いた遥香ちゃんは、少し瞳を潤ませていた。


「今も遥香ちゃんに憧れる気持ちは変わらないけど、それが遥香ちゃんの負担になってしまうならやめようと思う。それに、遥香ちゃんが変わっていても変わっていなくても、今の私と遥香ちゃんが友達なのは変わらないよ。だから……これからも仲良くしてくれたら嬉しい」


 憧れだとか理想だとか、もうそんなフィルターを通して遥香ちゃんを見るのはやめよう。これからは遥香ちゃん自身の事をちゃんと見るんだ。


「うん、もちろん。私だって最初からそう言うつもりだったよ。だって……菜瑠美ちゃんは私にとって大事な言葉をくれた大切な友達だから」


 遥香ちゃんが両手を胸にあて柔らかく微笑むと、最初の張り詰めていた空気が嘘のように和らいだ。

 私が安心してほっと息をつくと、遥香ちゃんは用事があるから先に教室へ戻っていてと私を促す。用事があるというのは一人になる為の嘘なのかもしれない……鈍い私でも薄っすらとそう思ったから、大人しく先に一人で戻ることにした。

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