番外編2 魔法のかかる城(2)

 全ての準備を終えると、私はエイミーさんを伴い集合場所のロビーへと向かいました。いつもは侍女の仕事ですが、この二人のことは、もう少しだけ自分で見守っていたかったのです。


 ロビーに到着すると、そこにはふるい貴族の衣装に身を包んだ、かつての王族の姿がありました。


 ……なんということでしょう。これが、というものなのでしょうか。思わずかつての臣下の礼をとりかけた私は、ハッとしてスカートから手を離しました。


「お待たせ致しました」


「ウソ……ジョー……? ほんとに、王子さまみたい……」


 私の傍らで放心したように呟くエイミーさんを見て、彼は頭を掻きながら……皮肉げに顔を歪めて笑いました。


「ああ、馬子にも衣装ってヤツだな。中身は『王子さま』なんてのは、程遠い人間なのに」


 彼はまだ固まったままのエイミーさんの手を取ると、困ったように微笑みました。


「ほら、行くぞ。……最初は写真を撮るんだろ?」



 *****



 写真を撮り終えたお二人は、お城のテラスでアフタヌーンティーを楽しまれたあと。展示物の鑑賞やお庭の散策で、ゆっくりと過ごされたようでした。係の者を通してそれとなく様子をうかがいますと、どうやらとてもご満足頂けたようです。


 当ホテルの特別な晩餐会は、少し早めのお時間に開きます。お客様全員と城主である私共夫妻とで、広間の大テーブルを囲むのです。これまでは二人の時間を気楽に過ごしていた様子のエイミーさんでしたが……ここで多くの他のお客様たちを前にして、ひどく緊張しているようでした。


 練習した通りにすれば問題ない。困ったら俺の真似をすればいい──そう、ジョーさんが小声で言い聞かせているのが聞こえます。


 かつての殿にとっては、周りが彼に尽くすのが当然で……このように誰かの世話を焼く姿を見るのは、私も初めてのことでした。人とはこうも変われるものなのでしょうか?


 ……いいえ。本当は、こちらが彼の本質に合っていただけなのかもしれません。


 やがて食事は進み、食後のデザートがテーブルに並べられました。飾り切りされたフルーツのお皿の横には、小さなフィンガーボウルが並んでいます。これは皮を取り外したあとの指先を、お水で洗うために用意されているものです。


 しかしここで、予想外のことが起きました。ここまで緊張しつつもなんとか食事をとっていらしたエイミーさんが、ボウルを手に取り水に口をつけたのです。


「エイミー!」


「え、な、なに?」


 小さく焦りの声を上げるジョーさんを、エイミーさんは不安そうに見上げます。それを見た私はすかさず自分の前のボウルを両手で取ると、くいっと一気に飲み干しました。


「ふう。今日は暑いですわね!」


 一瞬で察したアイザックが、そしてジョーさんが、ボウルを手に取り次々と水を飲み干します。


「全くだ。レモン水が美味しい季節だな」


「本当に」


「ど、どうしたの?」


「いや、何でもない」


 面食らったかのように左右を見やる彼女へと、ジョーさんはそう穏やかに微笑んでから。私にそっと目礼を送りました。


 彼は、変わりました。きっと本当に守りたいものを、見付けたのでしょう。



 *****



 少し早めの晩餐を終えた後は、夜会服へと姿を変えて……舞踏室ボールルームでの、ダンスタイムです。


「どうしよう、あたしやっぱり、自信ないよ……」


「あんなに楽しみにして、毎晩練習していただろう? 大丈夫だ。お前は、俺に身を任せておくだけでいい」


 楽士の演奏が始まると──かつてダンスの名手だったを想起させる所作で、二人はゆっくりと踊り始めました。しかしそのリードは、かつてのような強引に相手を意のままにしようとするものではなく……パートナーを優しく導こうとするものへと変わっています。


 ですが──


「だめ……」


「エイミー?」


「怖い!」


「……っ、エイミー!」


 突然身をひるがえして広間から飛び出して行ったエイミーさんを……なぜか反応が一拍遅れたジョーさんは、慌てて追いかけてゆきました。私は他のお客様へ軽くお詫びの言葉を述べてから、急いで二人の後を追いました。


 ボールルームの外は開放型の廊下になっていて、すぐ横には夜の静かな庭園が広がっています。私は軽くあたりを見回すと、すぐに話し声が聞こえてくる方を見つけて、植え込みの陰からそっと二人に近寄りました。


「やだ……あたしいま、とっても幸せで、だけど、ジョーがすっごく遠くに見えて……怖いよ」


 そこには夜会服から覗く肩を震わせうずくまる女性と、その傍らに膝をつく彼女の夫の姿がありました。


「朝になったら魔法がとけて、ジョーが、ジョーじゃなくなっちゃう。イヤだ……あたしをおいていかないで……」


 ポロポロと涙をこぼすエイミーさんを抱きしめて、彼は言いました。


「エイミー……。大丈夫だ、俺はどこにも行かない。帰ろう、俺達の家に」


 小さくうなずいた彼女の手を取り、そっと立ち上がらせると。彼はいつの間に気付いていたのか、私の方をまっすぐに振り返りました。


「……シェリンガム夫人、すまない。時間外で恐縮だが、元の服に着替えてチェックアウトさせてもらえるか?」


「ええ、もちろんです」


「せっかく優しくしてもらったのに、ミラベルさまにはたくさん迷惑かけてごめんなさい。あたしなんかでもお姫さまになれたみたいで……本当に、とっても、楽しかったです」


 すまなさそうに小さくなる彼女に、私は微笑みかけました。


「それは何よりだわ。迷惑だなんて思っていないから、また、遊びにいらしてね」


「……いいんですか?」


「もちろん! だって、エイミーさんと私はお友だちでしょう? ……約束」


 私が小指を差し出すと、彼女は少しだけ迷ってから、そっと自分の小指を絡めてくれました。


「うん……約束」



 エイミーさんの着替えを侍女に託して振り返ると。アイザックがジョーさんの肩に手を置いて、低く囁いているのが聞こえました。


「復権派が『王子』を探している。気を付けろ、大事なものは必ず守れ」


「ああ……必ず」




 その日の夜遅く、二人は帰ってゆきました。最寄りの駅まで夜行馬車で行き、始発で首都へと向かう汽車に乗るのだそうです。そんな彼らのわずかな手持ちの荷物には、行きにはなかった銀の写真が一枚、増えておりました。


 そこに刻まれた二人の姿が、どうか、良い思い出となりますように。

 私は、願わずにはいられないのです。







 完

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