10.聖ドラグス暦1859年から1860年、トゥーラン




 年末になり、オスカーは両親と共にトゥーランへと帰った。王都では春や秋に主な社交の場が設けられるが、冬場、特に冬至から年が明けてしばらくはそれぞれの領地で夜会などが多く開かれる。領民との交流や地方ごと――主家と旗手、旗下の家同士繋がりを強めるためだ。


 王都にいた時から両親はレイチェルのことでオスカーを心配していた。というのも、彼がここまで落ち込むことはこれまでなかったからだ。しかも勝手にメアホルンの周囲をこそこそと調べはじめた。何かあって旗手からの信用を失ったらどうするのだと叱責しようかと考えたがうまく隠しているし、あまりにも暗い表情で調べているのでとても口を出すことはできなかった。

 息子を心配する両親ではあったが、毎年年明けにトゥーラン城で行われる夜会にメアホルン伯爵夫妻だけではなくレイチェルも正式に招待したことだけはオスカーにきっちりと伝えた。メアホルンは旗手伯爵家だし、その令嬢でしかも成人しているレイチェルを招待しないわけにはいかない。オスカーは両親が自分を心から心配してくれているのを理解しながら部屋に閉じこもって出て来なくなった。






「相変わらずね、オスカー」


 そんなオスカーの部屋におざなりなノックと共に遠慮なく入ってきたのは三歳年上の姉、コートニーだった。結婚して家を出てはいたが何年かに一度はこうして実家であるトゥーランに帰省して年越しを過ごす。もちろん夫も一緒だ。

 部屋のソファにだらしなく寝そべっていたオスカーは姉をじろりと睨みつけ、それからそっぽを向くように寝返りを打って顔を隠した。大げさなため息が降ってくる。


「ちょっと気に入らないことがあるとすぐそうやって部屋にこもっていじけるんだから。いい加減になさい。もう大人なんだから」

「……放っておいてくれ」

「はぁ、情けない。そんなにいじけるなら最初からレイチェルに婚約を申し込めばよかったのよ。メアホルンのことはどうにだってなるんだから」


 姉の言葉に、オスカーは低くうなった。


 結局、あきれる姉も心配する両親や祖父も、オスカーを部屋から出すことはできなかった。彼を部屋から出したのは他でもないレイチェルからのアラン・スミシー宛ての手紙だった。彼女もまたメアホルンに帰ってきていた。

 手紙を何度も読んだ後、彼はすぐに机に向かい、それから久しぶりに部屋を出て侍従に「この手紙をすぐにパーシヴァル家に届けて欲しい」とアラン・スミシーからレイチェルに宛てた手紙を渡したのだった。


 両親はずっと何か言いたそうな、心配そうな視線を向けていたが、彼は部屋から出てもむっつりと黙ったまま、年明けの夜会の準備を手伝った。領主である父親の補佐はもちろん、庭や広間にあの魔術の炎を浮かべて装飾の手伝いもしてやった。

 夜会の当日は侯爵家の嫡男にふさわしい襟元に細やかな刺繍が入った灰色の衣装を身にまとい、侯爵家の若いメイドたちの熱い視線を浴びたが、彼はやはり黙ったままだった。日が傾き始めると客人が訪れ、やっと彼は夜会でおなじみの上っ面の笑顔をはりつけはじめた。






 メアホルン伯爵家があのどこぞの次男坊も連れてやって来たことを知らせたのはいつもオスカーの傍にいる侍従ではなく、この家の執事だ。両親や祖父に耳打ちをしてからオスカーは執事にメアホルン伯爵家とどこぞの次男を庭に案内してほしいと告げた。自分はそこにいるからと。アラン・スミシーからレイチェルに宛てた手紙に彼はそう書いたのだ。


 魔術の炎が浮いているおかげで庭はそこまで寒さを感じなかった。炎の明るさで星が少し見えづらくなるのは残念だとぼんやりと考えながら、オスカーは静かにレイチェルたちを待っていた。彼女はどんな顔をするだろうか? これからオスカーがすることは、きっと新しい魔術を考えるよりも難しいことだったが、オスカーには妙な自信があった。何もかもうまくいくような――執事に控えめに声をかけられ、オスカーは星空から視線を外して振り返った。




 その時の、レイチェルの顔と言ったら!




 トゥーランに帰ってきてからはじめて、彼は心からの笑顔を浮かべた。「アラン・スミシー様がお待ちです」と執事に言われていたメアホルン伯爵夫妻も心底驚いた顔をしている。どこぞの伯爵家の次男だけが状況を分かっておらず、ぽかんとしていた。


「こんな寒空の下、申し訳ありません。彼女から色々と相談を受けて、ぜひ一度お話しなければと思ったのです。そちらの方も一緒に」


 すらすらと言葉が出てくる。早く本題に行きたかった。


「メアホルン伯爵と奥方がレイチェル嬢のことを心から思って、ふさわしい相手を探していらっしゃったのは私も承知しています――が、レイチェル嬢がとても不安に感じていたようなので――」

「ま、待ってください!」


 メアホルン伯爵――レイチェルの父親が遮った。


「あ、あなたが娘の援助をしてくださっていたアラン・スミシー様なのですか!?」


 「そうです」とオスカーはあっさり言った。ここまで来たらそれは大した問題ではないのだ。オスカーは呆然とするメアホルン伯爵を放って話をつづけた。レイチェルに会えなかった間に調べたことを――主にレイチェルが手紙で指摘した以上の次男坊の素行の悪さについて。それからどこぞの伯爵夫妻がそれを隠して厄介払いのためにメアホルン伯爵家に次男坊をすすめてきたこと。事業提携については真剣だったことやトゥーランとの繋がりを望んでいたこと、メアホルンで暮らす豪商が金をもらって紹介をしたことは特に触れなかった。オスカーにとって、どうでもいいことだ。婿候補の男の素行の悪さ以外はメアホルンにも問題のある話ではない。

 今までやって来た問題のある行動をオスカーが並び立てていくうちに、次男坊の顔は夜の庭でもわかるくらいどんどん青ざめていった。それを無視してオスカーは最後に「レイチェル嬢の結婚相手にはもっとふさわしい者がいますよ」と朗らかにつけ足した。


「私です」


 オスカーはその虹色の瞳でレイチェルを見つめた。彼女は今日も瞳の色をごまかしていたが、今晩だけでも遠慮してもらおう――レイチェルは気づいていなかったが、オスカーの魔力で彼女の瞳の色はもう本来の色を取り戻していた。

 言葉も出ないメアホルン伯爵家の三人をにこにこと眺めてからオスカーはレイチェルの前にひざまずいた。


「アラン・スミシー宛ての手紙で、君が自分の名前の前に『愛をこめて』とか『あなたの』とか書くたびに僕がどんな気持ちだったかわかるかい?」


 レイチェルの虹色の瞳は、幼い頃と変わらずに若草色を隠している。


「僕なら魔術に関わる仕事がしたいという君の望みを――まあ、ちょっと形は違うけど叶えられるし、自分で言うのもなんだけど家柄も肩書も悪くないだろう? 跡取り問題は考えないといけないけど」


 「でもそれ以上に」とオスカーはレイチェルの姿を見つめてその笑みを甘くした。


「僕ほど君を想う男はいないよ、レイチェル。君は僕の幸いだ」


 瞳の色を教えてもらったその時から――。


 レイチェルの手が困惑したように美しいドレスをぎゅっと握りしめた。ゆっくりと開かれた口から出る答えを、オスカーはもう知っていた。レイチェルのドレスは美しく神秘的な紫色――オスカーの幸福の色だったから。



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レイチェル・パーシヴァルの書簡集 通木遼平 @papricot_palette

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