第13話 命を掴み命に縋れ
アベルが剣を振り、ニバスが拳を放つ。お互いがお互いの命を奪い合うその死闘に──ルミは介入できずにいた。
いざとなればルミだって戦えるなんて、そんな傲慢な考えはもう捨てた。それでも、アベルを助けられる人間が他にいないのならばやるしかないと、飛び出してきたのに。
「ぅっ……ぐぉお!!」
怪我を押して戦うアベルは時折、戦闘の雄たけびに紛れて苦悶の声を上げる。そんな彼を助けることができない。そもそも、彼がこうして死地で命を賭けているのはルミのせいだと言うのに、何一つとして手助けができないのだ。
流星と無数の月が高速で行き来する奇妙な空の下で、ルミは自問自答する。
喧嘩さえしたことのない自分が、こんな華奢な少女の身体で、直接武力を行使できるとは思わない。もうわかっている。隙を見て殴りかかったところでアベルの足を引っ張るのが落ちだ。
だから考えろ。何かあるはずだ。元男の癖に弱くて弱くて情けないルミでも、戦う以外で何か役に立てることが。
「……!? アベル、後ろだよっ!!」
ニバスと死闘を繰り広げていたアベルが突然、あらぬ方向に剣を向けだす。虚空を睨みつけあたかもそこに敵がいるかのように振舞うのだ。
当然、その隙を見逃さないニバスは無防備な背中に渾身の一撃を叩き込もうとしていた。
「な──」
驚いた声は、アベルとニバスの両者からだった。ルミの言葉に慌てて振り返ったアベルは寸前のところで、二度目の致命から逃れる。掌底を剣の腹で受け止め、衝撃を活用してニバスから距離を取った。
隣に着地したアベルがルミに言葉を向ける。
「ルミ、今の……どうしてあいつが後ろにいるって気づけた?」
「え、え? いやだって、普通に歩いて回り込んでただけだし……」
「……複数を対象にできないのか? 小宇宙を即興で生み出すような魔力はあるのに?」
ブツブツと声に出して思考を纏める青年に、無暗に質問をぶつけるのは躊躇われた。けれど状況が理解できないルミに予想外の場所から、次の疑問が投げかけられる。
「おいおい! そりゃ、NPCだったあっしの規格に合わせて制限してるけどよ。なんでまた“オレ”の現実改変が効いてねえんだ!?」
「ぼ、僕?」
「そうだ! “オレ”はあっしの幻覚魔法とやらでお前らを欺いてた。なのに、お前にはしっかりと現実が見えてた!! 凄いな、運命みたいだな! 戦えるけど弱い青年と、戦えないけど魔法を無力化できる少女! こんな出来過ぎた脚本が実在していいのかッ!?」
魔法が効いていない。本当に自分のそんな特異性があるのか。全てを鵜呑みにすることは難しいものの、確かに心当たりはあった。
平原での戦い。別の“プレイヤー”との戦いで、奴らはルミに対して“現実改変が妙に遅い”と口にしていた。
ニバスに捉えられた際、彼は眠りの魔法をかけようとしてルミには通用しないと驚いていた。
完全に遮断しているわけではないのだろう。だが、ある程度は無意識に抵抗できているのはきっと、勘違いでも過信でもないはずだ。
「ルミ」
「う、うんっ」
「俺じゃあいつの幻覚を防げない。だから、俺が変な動きを始めたら教えてくれ」
「…………わかった」
ルミに、できるのだろうか。そんな不安が返事を遅らせる。
「大丈夫だ。あんたは、俺が絶対に守る」
「…………ありがと」
その不安を別の要因だと勘違いしたのだろうか。歯に衣着せぬ言葉に苦笑いする。
本来は男なんだから守られてばかりは気に食わないだとか、僕のことは気にせずにニバスを倒せだとか。そんな本音を吐けたらどれほど良かっただろう。
実際、赤子の手をひねるように殺されかねないルミは、黙って礼を言う他なかった。
悔しかった。情けなかった。男らしく彼の隣で戦いたかった。けれど、これが女性になってしまったことを自覚していなかった罰だとすれば。今ばかりは、守られるだけの存在に甘んじて見せよう。
そして、守られるだけの存在ならば、それなりにできることをして見せよう。傷を刺激しないように注意しながら、硬いアベルの胸板に手を添える。
「たぶん、できる」
「ルミ……?」
「じっとしててよ」
魔法の本質はもう知った。この世界において強い願いが具現化するのならば。ルミが抱く後悔とアベルを案ずる心は、魔法にだって届き得るはずだ。
「……『治れ』」
身体から何かが流れ落ちていく喪失感。腕を通り、指先を通り、それがアベルに沈み込み、怪我をしたという現実を塗り潰す。それこそが魔法。つまり現実の改変だ。
「ごめん、全部は治しきれないけど……」
「いいや、十分だ。助かった」
医学の知識は持ち合わせていないうえ、怪我の詳細まで調べている余裕がない。だから治療しきれない。それでも、幾分か顔色の良くなったアベルは不器用ながらに笑って見せた。
「……どうして待っててくれたんだ?」
「せっかくの主役とヒロインの演出を遮る気はねぇからなァ! 終わったなら──戦闘パートと行かせてもらうが、なッ!!」
「ああ、そうか──!」
アベルとナニカが同時に大地を蹴り飛ばし、再びぶつかり合う。剣の間合いを保とうと蹴り技を組み合わせて立ち回るアベルと、懐に飛び込もうと苛烈な連撃を繰り返すナニカ。
そして──
「右にいる!」
「……っ!?」
時折、アベルの動きが狂う。ナニカに幻覚を見せられ、存在しない敵へと意識を向けてしまう。それを正すのがルミの役目だ。
警告によってアベルは現実に立ち返る。横合いから飛んでくる裏拳を屈んで回避し、そのまま緑色に輝く左手をナニカの腹部に向ける。ルミでもようやく感知できるようになってきた魔力の気配。それがアベルなりの解釈をもって現実を書き換える。
つまり風の暴力。圧縮した空気砲だ。
「ぶっ飛べ──ッ!!」
「べぇ…………!」
ナニカがくの字に折れ曲がって吹き飛ぶ。すかさず追い縋るアベル。ルミも戦場に移動に合わせて、慌てて走り出した。
アベルは風によって背中を後押ししているようで、ルミではとても追いつけない。それでも援護だけは決してやめないと必死に目を凝らしながら脚を動かす。
その視点の先でアベルは、民家の壁に着弾したナニカに斬りかかっていた。ナニカもただでは受けない。すぐさま魔力の籠った拳を掲げて防御に回すものの、地に背中を付けたままでは踏ん張りが利かないのだろう。
少しずつアベルの剣がナニカに押し込まれていく。
「う、おおおおぉぉぉおぉぉぉぉ!」
あまりに不利な体勢に、いくら底の見えないナニカでも厳しいものがあったのだろう。遅れて近場にまで追いついてきたルミが見る限り、彼の手首に少しずつ刃がめり込んでいき──
「まだ、まだ……終わりにはしねぇぞ!!」
「ぐぅ……っ!」
ナニカがアベルを蹴り上げる。僅かに怯んだ隙に剣を横に弾いて、ナニカはアベルから距離を取った。立ち上がり体勢を立て直すが、左の手首からは夥しい量の鮮血が流れ出している。
力なく垂れ下がった様子を見る限り、すぐには使い物にならないだろう。
「投降しろ、と言っても無駄か?」
「ははァ……当たり前だぜ! あっしがお前らに殺されるまでがこの物語だからな……っ! 半端なタイミングで打ち切るのは勘弁だ!」
片手だけになっても尚、ナニカの戦意は途切れることがない。むしろ自らアベルに肉薄する始末だった。
再び踊るような戦いが繰り広げられる。アベルは蹴りと風の魔法で間合いを取りつつ、渾身の斬撃をぶつけて。ナニカはそれらを掻い潜り、必殺の打撃を叩き込もうと攻め立てる。
アベルの斬撃が半身を取って回避され、カウンターで放つ拳撃はしかし、手数が半減したために容易に対処される。左手でアベルが拳を弾き、ほぼ同時に回し蹴りを叩き込む。
少しずつ、だが確実に、戦いはアベルの方へと傾き始めていた。
「ふっ! おぉぉ──!」
彼は左を重点的に狙っていた。手が使い物にならないのならば、攻撃だけでなく防御も手薄だからだろう。実際、ナニカの身体には徐々に切り傷が増え、全身から少しずつ命が赤い液体となって零れていた。
完全に優劣は反転した。それを理解しているアベルも冒険はしない。堅実に攻め立て、このまま勝利へともつれ込ませる。
故に。更に状況を塗り替えようと動き出すのは、ナニカの方だった。
「動きのないラストバトルは締まらねぇ!! 小悪党の悪足搔きってなァ!」
「……っ!?」
ナニカが斬撃へと突っ込んでいく。自らの左腕を犠牲にしながら、無理やりに踏み込んで。大きく頭を仰け反らせた。型もへったくれもない、頭突き。魔力で強化された額がアベルの顔面に突き刺さる。
「ぐ、ぅ……っ」
「さっさと起きないと……悪役の勝利で終わっちまうぞッ!?」
脳天に突き刺さる衝撃にふらつくアベルの前で、今度こそ最後の一撃を放つべくナニカが構えた。きりきりと弓のように引き絞られる左手。アベルに一撃で重傷を負わせた掌底が、また一度開帳されようとする。
「二度と、受けるわけがないだろう……ッ!」
だが、アベルも気合で意識を覚醒させた。歯を噛みしめ、血がにじむほどに剣を握り、戦いの決着の予感に覚悟を決める。
最早、ルミにできることはない。ただ彼の勝利を願うことだけが許された行動だ。
──本当に?
違和感が心臓を撫でる。致命の気配が背筋を伝う。何かを見落としている。ナニカの何かを見落としている。不意の頭突きからの必殺が、彼の最期の策なのだろうか。
その正体に突き留められないままに、ルミは叫んだ。
「左の掌底が来るよ!!」
「そうか──」
悟ったようにアベルは僅かに構えを変え、ルミも叫びながらに気づく。掌底が迫る。それを半歩引いてやり過ごして──返すアベルの刃がナニカの首筋を斬り裂いた。
その瞬間は、外から観戦していただけのルミにとっても長く感じられた。
アベルは剣を振りぬいた姿勢のまま。
ナニカは掌底を放った大勢のまま。
時が止まったかのように静かな時が流れて。
「あ、空が……」
無数の星と月。奇妙な空が割れて、崩れていく。辺り一帯を隔離していた小宇宙が消失していく。世界が正常に戻り、周囲の喧騒が舞い戻ってきて。
それと共に、ナニカは膝から崩れ落ちた。
「……ありがとう。俺には右の拳が飛んでくるように見えてた」
残心を解きながらアベルは小さく呟く。
最期の攻撃に左を選んだナニカだが。そもそも奴の左手は先ほどの攻防で使い物にならなくなっていたはずなのだ。それがフェイクだったのだろう。他者の肉体を乗っ取って活動している“プレイヤー”は、肉体の痛みなどを感じていない疑いがある。
或いは本来ならば動かない肉体を、強引に動かす術があるのかもしれない。
幻覚と先入観によって、右の拳だと錯覚させ。実際には左の掌底で必殺を叩き込む。それが奴の最期の策だった。
「ぼ、ぼぇ……ッ! あー死んだ死んだ! 悪の奴隷商は英雄とヒロインのコンビに見事打倒された!」
血に伏したナニカが笑っていた。溢れ出す魂の残り火を気にもかけずに、瞳を爛々と輝かせて、狂ったように歓びの叫びを上げていた。
思わずアベルが身構える。ルミも身を固くする。もう一分も持たずに息絶えるのは間違いないのに、彼の異様な熱意が二人に恐怖を植え込んで止まない。
覗いている。ニバスの肉体の奥から、ナニカが、“プレイヤー”がアベルとルミの顔を少しでも記憶に刻み込もうと覗き込んでいる。
「最高だったぜ、お前ら! ちゃんと顔と名前は覚えておく! またお前らの物語が見たい! すぐにでも準備しようッ! ああ、楽しみだ!! 次はどんな悪役と脚本を、用意しよう、か……! はは、はははははははは…………」
首に穴が開き、酷く話しにくそうにしながらも高笑いを上げて。最悪の“プレイヤー”は奴隷商のニバス共々に事切れた。
命の気配は消えた。見開かれた彼の瞳には生気がまるで感じられない。一足早くアベルが息を付き。それを見たルミもようやく筋肉を弛緩させる。
「……二度と会いたくないよ」
「同感だ。関わらないで欲しい」
心の底からの本音だ。ただでさえ正体不明の不気味な存在なのに、あんな狂った感性の男に目を付けられては堪ったものではない。
今後が思い遣られる。けれども、少なくとも今回の事件は、解決したのだ。
「ルミ!? 大丈夫か!?」
「終わった、んだよね……?」
「ああ、もう終わった。心配は要らない」
「そっか……そっか……」
安堵すると同時に力の抜け過ぎた身体は、その場に崩れ落ちてしまった。危うくお尻を強打するところだったが、直前でアベルに支えられて事なきを得る。
慙愧の念と使命感でどうにか動かしていた足と腕は、自分でも驚くほどに震えていた。一度気が抜けて、自覚してしまえば、心までガタが来る。あれだけ泣いたのに、また勝手に涙が溢れてきてしまった。
「こ、怖かった……な……。ははっ、やば。止まんない……」
「……兵団が到着したみたいだ。話は俺がするから、今はゆっくり休め」
「うん……ごめん……」
喧騒がすぐに近くにまで迫り、事故現場や横転した馬車に押し込まれていた女性たちを見て、驚く声が届くが。そちらに意識を向ける余裕はない。
今は頭の中身を整理するので精いっぱいだった。
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