第12話 天と地の生命体

 格上との戦いで様子見は愚策だ。少なくともそう考えているアベルは迷わずに先の先を取った。普段は消耗や制御の問題であまり行わない、風の魔法を補助に回した加速も駆使して、ニバスだった者に斬りかかる。


「いいよォ! 風と剣技の融合、王道じゃないかぁ!!」


 光が屈折するほどの魔力を纏った腕。それがアベルの渾身を容易に受け止める。人間の皮膚が斬撃を喰らって掠り傷も付かない光景には辟易としたが、深追いはせずに即座に飛び退く。

 今の攻撃が通用しないのならば、防御も許さぬ速度で急所を貫く他ない。薄い勝ち筋を脳裏に描きつつ、ニバスを睨みつけた。


 当のニバスなのだが。悩まし気に自らの腕を見つめて立ち止まっている。戦っている相手から視線を外す始末だ。そのおかげでアベルもゆっくりと思考を巡らせる余裕ができたのだが。


「うーん……ちょっとやり過ぎだな。どのくらいだ? もっと弱めるべきか」


 そう呟きながら腕に付きまとう魔力を削っていく。手加減としか思えない行動であり、意図が理解しがたい。それに、相対するアベルとしては好都合なはずなのだが、手を抜かれている事実はあまり気持ちが良くなかった。


「あーわりぃな。気にするなよ。これは手加減とかじゃなくて、調整だ」


「……あんたらの発言は本当に理解できない」


「あんたら? もしかして他の“プレイヤー”に既に会ってるのか。はははっ、面白いねぇ! “オレ”が手を出す前から、演出はされてきたってわけだ!!」


 悦びを前面しつつ、再び吠えるニバス。叩きつけられる戦意に震えそうになる身体へとアベルも活を入れる。

 魔力の出力が弱まったのならば、渾身の一撃を再度試してみる価値はあるだろう。ならばまた先手を取るべきか。


「考える余裕は──与えねえっすよ」


「ぅ、おぉ──!!」


 言葉通り、アベルの魂は作戦会議ではなく、眼前の対処に追われる。アベルのように風を纏うことなく、純粋な脚力だけでアベルよりも僅かに早く、ニバスが肉薄してきたのだ。

 振りかざされた拳を左手でどうにか弾くが、小回りの利く拳撃が一発で終わるはずがない。次々と放たれる拳の連打。避け切れなかった打撃が骨を軋ませるが、致命的なものはどうにか受け流して。

 何かしらの型があるのだろう。同じ連打の組み合わせが何度も何度もアベルの生命を奪わんとする。


 だから、その型の境界にアベルは差し込んだ。


「──ぐぇ!?」


 合わせた蹴りがニバスの腹部を貫く。苦悶の声を上げ僅かに後退するニバスへ剣を振り上げた。これで剣の間合いだ。有利な状況を逃がさず、一気に仕留める。

 首筋に向けて全霊の剣技を──


「──“都合の良い”夢は、見られやしたか?」


「は……?」


 歪む。消える。目の前の現実が、否。虚構が崩れ去る。後退したニバスなどどこにもおらず、アベルの懐に飛び込んだニバスが弓のように大きく腕を引き絞って。


「がぁ、ハ……っ!?」


 掌底が叩き込まれる。骨が折れる嫌な音が内側から響き、肺と胃の中身が無理やりに逆流する。避けるべき致命的な痛みを存分に味わいながら、アベルの身体は背後へと吹き飛んでいった。


☆ ☆


「アベル……?」


 横転した荷馬車。ボロボロになった天幕の隙間から絹のような白髪が顔を覗かせる。

 不気味な言動を取り明らかにナニカに取りつかれた奴隷商人ニバス。彼と戦うアベルの姿をルミは余さずに見守っていた。だから、決着がついた瞬間さえも瞼に焼き付いている。

 隙を突かれ、血反吐を吐きながら廃屋へと消えていくアベルの姿を、だ。

 初めは信じられなかった。だってアベルは強い。悪魔からルミを守ってくれた。平原の“プレイヤー”も撃退して見せたし、あのままでは商品として連れ去られていたルミたちを助けてくれた。


 未だにルミは甘えていたのだろう。心のどこかできっと、何とかなると無責任に過信していたのだろう。あれだけの恐怖を植え付けられても尚、ルミは平和ボケしていたのだ。


「やっべ……加減したつもりだけど、平気だよなぁ?」


 拳を開閉しながらアベルを吹き飛ばした方向へ歩き出すニバス。彼の姿を見つめながら、ルミはフルフルと首を横に振った。


「ダメだ……僕のせいで、アベルが……」


 その先は恐ろしくて声にはできない。けれども、目の前の光景はそれを事実にしようとしている。

 助けなくては。ルミ如きが、なんて言ってられない。他に誰もいないのだ。この身がか弱い少女であろうとも、躊躇っている時間も考えている時間もない。そのためには、手足を縛る紐が邪魔だった。消えてなくなってしまえ。


「……え」


 そう願った瞬間、ふっと手足が軽くなった。自由に動く。長時間縛られたことで痛々しい痕こそ残っているが、ルミの拘束は綺麗さっぱりなくなっていた。理由は不明。だが、好都合だった。


「……!? あなた、いつの間に……待って! 危ないわ!」


 自分に良くしてくれた女性の言葉を振り払って、ルミはアベルの元へと駆け出して行った。


☆ ☆


 また、失敗するのか。胸に走る痛みに苦しみながら、アベルはどうにか顔を上げた。アベルの身体が貫通したのだろう。廃屋にできた風穴を通り抜け、ゆっくりとニバスが近づいてくる。どうにかして対抗しようにも、これ以上は身体の自由が利かない。

 腕は鉛のように重く、指先の感覚が希薄だ。何より掌底を喰らった胸がまずい。確実に肋骨の数本はへし折れているし、下手をしたら内臓に突き刺さっているだろう。

 重要な臓器が潰れても尚、動き回れるほどに頑丈ではないと、アベルは自覚していた。


「あーあ。やっぱダメか。まあ、たまには悪役の勝利で終わってもいいけどよぉ……」


 せめてもの気概でニバスを睨みつける。相変わらず声と口の動きは一致しない。本当の本当に、不気味な存在だ。こいつの正体にも迫ることはできず、友人も、無辜の民も、己の理想も守れずに、ここで果てるのか。

 それだけは、嫌だ。諦めても諦められないからこそ、アベルはここに来たのだから。


「……へえ! 重症人の目じゃないぜ! こりゃあいい!! 足掻いて見せてくれよ! やっぱりお前は最高だ!」


 意味のわからないテンションの上げ方をしながら、ニバスが拳を振り上げる。動け。少しでもいい。せめて、兵団が到着するまでの時間を稼がなくては──


「いてっ!?」


「……?」


 不意にニバスが前のめりに倒れかかる。後頭部を擦って不思議そうに彼は振り返った。アベルも何が起きたのかとそちらに意識を向けて──目を見開いた。


「や、やめろ……アベルをこれ以上は……」


「お前……あっしに捕まってた女か」


 ルミだ。ルミがニバスに背後から殴りかかったのだ。どういうわけかアベルにご執心だったニバスは、素人の気配さえ見逃していたのだろう。完全な不意打ち。千載一遇の機会だったのだが、それを掴めと言うのはあまりに酷だった。

 せめて悪魔と戦った時の精神状態ならば良かった。あの時のルミは妙な自信のようなものがあり、何より思い切りの良さがあった。けれども、今のルミは。


 足腰は震え。顔は恐怖の一色に染まり。今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに弱々しい姿勢だ。とてもではないが戦える状態ではない。ニバスにぶつけた拳だって、僅かに痛みを与える程度でしかなかったのだろう。


「アベルが動けないなら……僕が、相手……してやる……っ」


 それでも。ルミは勇気を振り絞ってニバスに立ち向かおうとしていた。不可能なことは誰よりも己が理解していながらも、懸命にアベルを救おうと拳を構えていた。

 心が荒ぶる。彼女の姿にアベルの中の何かが爆発しそうになる。


「──ああ、イイ」


 それはアベルだけではなかった。ニバスが静かに感動の涙を流していた。


「なんなんだよお前ら!? “オレ”の予想を更に超えてくれる! なんで予感を、願望を、想像を、予知を、ずっとずっと凌駕してくれるんだ!?」


「……っ」


 ルミが気味の悪さに頬を引き攣らせていた。同感だ。この男の情緒はまるで把握できない。


「でもそうだよなァ! 英雄は弱きを守るんだ! 守られる人間は英雄の傷つく姿に心を痛めるんだ! なあ、なんでかわかるか!? わかってくれるよなァ!?」


「…………」


「答えられねえか! いいさ、怖いもんな! 頑張って立ち向かってるんだもんなッ!! 無理強いはしねえさ、だってお前らは理解してるんだからよッ!」


 呑まれている。アベルもルミも、膨大な声量と熱量──そして、狂ったような笑顔に圧倒されてしまって動くことができない。


「だが、敢えて言葉にするぜ──それが知性体に許された機能だからだ」


「機能……?」


「そうだ! 畜生共や生きてるかもわからねえ腫瘍の塊にはねえんだよ! 知性があれば優しくなれるッ! 義憤を抱くことができるッ! 他者を慮ることができるッ!」


 とても奴隷商人から放たれるとは思えない、あまりに綺麗な言葉の数々。並びたてる台詞はどれも素晴らしいものなのに、どうして恐ろしいのだろうか。


「他者との比較、それによる愛の発展形! それが知性を持つものと持たざるものを明確な差だッ! だから矮小な人間であろうと、知性があって心優しい存在なら“オレ”は大好きだ!」


 繰り返そう。未知とは恐怖だ。ニバスだったナニカは人間の言葉を操っているが、その思考形態が未知なのだ。故に理解できない。故に恐ろしい。


「だって──知性の本質は慈悲なんだからな!!」


 狂っているのではない。壊れているのではない。ただ奴にとっての当然が、この世界の常識からかけ離れているのだ。

 ナニカは本気で人の優しさを信仰している。アベルとルミに美しい生き様を求めている。その信仰を引きずり出すために、二人を痛みつけようとしている。


 だから、真面目に会話するだけ無駄なのだろう。今更ながらに、アベルは奴と意思疎通が不可能だと悟った。交渉は不可能だ。ここで殺すしかない。手加減して捕縛するなんて余裕はない。


「ルミ……ありがとう。おかげで、少しは……傷も塞がった」


「アベル!? 無理しないでっ!」


「しなくちゃダメなら、するんだよっ。それはお互い様だ……!」


 ナニカが気持ち良く演説している間に、用意していた魔法薬で最低限の治療を施していたのだ。骨が即座に治るような代物ではないが、止血ぐらいはできる。苦しいの変わらないうえ、肋骨が折れたまま暴れては傷の悪化を招くだろうが、知ったことではない。

 今この瞬間を、乗り越えなくてはならないのだから。ゆっくりと立ち上がって、落とした剣を拾う。


「ちっ。そろそろ外野が集まってきちまうな。それはつまらねぇし……禁止されてるが、少しぐらいなら構わねえか」


 そうだ。それにこの会話でかなり時間が稼げた。間もなく兵団が到着する。彼らの助力さえあれば、この男だってどうとでも対処できる、はずだった。


「──『創世』」


「……!? ルミ!!」


 膨大な魔力がナニカから溢れ出し、ルミもアベルも身を固くした。魔力を纏う術を知っているアベルならともかく、対処法を知らぬルミにこれは──


「え……何が……?」


 しかし、何ともない。ルミも魔力の奔流が何を齎したのか理解できずに困惑している。

 魔法の心得があるアベルにも、何が目的だったのか初めは理解できなかった。だが、遅れて確かに気づく。アベルだからこそ認識する。

 しかし、だからこそ。この場に具現化した奇跡をとてもではないが信じられなかった。


「……世界が、隔離されてる」


「アベル、それって……?」


「あり得ない……! そんな馬鹿なことが、一個人で……」


 天を仰げば、登りかけていた朝日が消え失せ、満天の星空と月が巡っている。目にも止まらぬ速度で無数の星々や月が空を飛び回っているのだ。

 そのように、あり得ない法則が適用される宇宙を、アベルは知っていた。

 このように、外世界から閉ざされた宇宙の感覚を、アベルは知っていた。


 他でもないアベルの生業とは、そんな無数の世界の開拓なのだから。


「これは……小宇宙だ」


「まあ、ほぼ正解だぜ。“オレ”がやったのは他の“プレイヤー”に内緒でな」


「いくら小さいからって……新しい宇宙を生み出して、そこに俺たちを閉じ込めるなんてことが!?」


「いやいや正確には生み出したんじゃなくて、隔離だっての。周りの建造物とかはそのままだろう? 完全な『創世』なんて流石にできねぇよ」


 どちらにせよ、常識外れの偉業だった。これで援軍は期待できなくなってしまった。

 恐らくこの辺りだけが小宇宙に隔離されている。入り口である世界の風穴を兵団が見つけるまで侵入はできないだろうし、そもそも人力で生み出された小宇宙に入り口が用意されているのかも怪しい。

 状況はますます悪化している。だが、端から覚悟は決めていたはずだ。アベルがやるのだ。アベルが救うのだ。アベル自身の手で、皆を。


「あ、アベル! 僕にできることなら、手伝うからっ!」


「……ああ。わかった」


 本当は下がっていてもらいたいが、彼女が素直に引き下がることはないだろう。そう確信できてしまうからこそ、アベルは頷いた。


「やるぞ、ルミ」


「うん……っ」


 凡人と素人のコンビは、諦めと恐怖を抱きながら、怪物に立ち向かっていった。

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