第8話 アベルの理想

 走る走る。夜の王都を。走る走る。三日間の仕事で疲れ果てた身体に鞭を打って。

 見慣れた道。見慣れた建物。前を歩くガタイの良い男性を突き飛ばしながら、アベルは冒険者・開拓者ギルドの扉を壊れるほどの勢いで開け放った。


「ミリア!! すぐに出てきてくれッ!」


「……ここにいるわよ。他のお客さんの迷惑になるから落ち着いて」


 アベルが訪れるのを待っていたのだろうか。もう三年ほどの仲になる彼女は仕事に勤しむこともなく、ギルドの片隅のテーブルで腰を下ろし、こちらを見据えていた。大股で近づき、テーブルに両手を叩きつける。


「落ち着くわけにはいかないだろ!? わかっていることを聞かせてほしい。ルミが誘拐されたのは本当なんだな?」


「本当よ。家にいなかったでしょ? 図書館に顔を出したら連絡してもらうように頼んであるし……ギルドにも昨日から顔を出してないわ」


「詳しい時間と……何でもいい! 少しでも情報を」


「──情報を? 聞いてどうするの?」


 冷めた視線が突き刺さる。ミリアが言わんとしていること。それはいくらでも理解している。だが、アベルがただ家で仕事の疲れを癒す理由には足りない。


「もちろん助けに行く!」


「ただの中堅開拓者が何様のつもり!? 兵団に任せておきなさい! あなたが介入したところで何も解決しないッ!」


「なら誰かが助けてくれるのをじっと待てと!?」


 そうだ。兵士じゃないから。騎士じゃないから。中堅開拓者でしかないから。

 どれも理由にはならない。アベルはルミを助けたいから助けるのだ。相手が危険な犯罪グループだろうが帝国の将軍だろうが、知ったことではない。アベルは見知った相手が傷つくのを見過ごしたくないのだから。


「心配なのは私も同じよ! 会って数日だけど、ルミちゃんが真面目で優しい子なのはわかってる。そんな女の子が危険な目にあってるなんて耐えられない……!」


「だったら──」


「だったら何よ!? ……カインくんとのこと、忘れたわけじゃないでしょ?」


「そ、れ……は」


 見過ごせない、はずなのだ。けれども、彼の名前を出されると思い出してしまう。いや、違うか。この記憶は、この想いは、この激情は、ずっと脳裏にこびりついて剥がれない。

 失望が、諦念が、絶望が、躊躇が、嫉妬が、ずっとずっとアベルの元から離れてくれないのだ。今この瞬間も、薄汚れた醜い心身を蝕み続けている。


「あなたの理想は立派だし尊敬もするけどね。実力が伴っていなければ意味がない……あなたの理想は理想でしかないのよ」


 だから、あれほどルミを助けなくてはと吠えていた心が、たったそれだけの言葉によって冷めていくのか。


「…………っ」


「ルミちゃんがどうなってもいいって、そう言ってるわけじゃないのはわかるでしょ? 今回はもう兵団が動いてる。ここは大人しくプロに任せましょう。カインくんも捜査に加わってるって話だ……」


「待て。カインが? あいつは近衛騎士のはずだろう。どうして兵団の捜査に?」


 しまったと、ミリアの顔にはありありと浮かんでいた。例の事件以来、ミリアはアベルとカインを遠ざけようとしているきらいがある。お互いが冷静になるまで時間を開けようとしてくれているのだろう。

 しかし、逆効果だ。時を経つにつれてアベルの中の醜い心は膨れ上がり続けている。カインの華々しい噂を聞くたびに、理不尽な痛みに苛まれている。


「……どうにも、下積みだとか何とかで兵士の仕事に参加してるみたい。ほら、彼って近衛騎士団所属だけどまだ見習い扱いじゃない」


 だからカインがルミを助けるための捜査に参加していると、そう聞くだけでアベルは──


「……っ! 待ちなさい、アベル!! あなたまた同じことを……」


「うるさい! わかってる……そんなことはわかってる……」


 ミリアに背を向けて足へと力を籠める。後ろから届く制止の言葉。咎めるような、案じるような声色を聞けば、彼女が何を言いたいのか最後まで聞く必要もなかった。

 アベル自身、誰が間違えているのか理解している。誰が一番醜いのかを理解している。自分のせいで状況が悪化する可能性を考慮している。


「──でも、黙っててくれ」


 だが、理解した程度では止まれない。良き友人の言葉を振り払って、アベルは再び夜の王都を駆け出した。


☆ ☆


 当てはない。何かしらの技能を持ち合わせているわけでもない。アベルにできることは小宇宙の探索と剣を振ること、そして風の魔法を操ることだけ。プロの兵士のように誘拐犯の居場所を突き止め、人質を安全に救出する方法など何一つとして知らない。

 その上、開拓者としても、剣士としても、魔法使いとしても、アベルは二流でしかなかった。


 より安全で素早い小宇宙の探索を行える人材は探せばいくらでもいるだろう。

 一振りの剣だけで全てを切り裂き、世界を切り開く英雄の噂は耳にするだろう。

 己の魔力だけで小さいながらも世界を創造する使い手だってきっと存在するだろう。


 そのいずれもアベルにはできない。だから二流でしかなく、二流にしかなれなかった。なのに、アベルが抱いてしまった理想は身の丈に合わない偉大なもので──


「すみません! この辺りで白髪の女の子か……怪しい男を見ませんでしたか!?」


「お、女の子? ああ、最近噂の事件の話か? 悪いけど俺は何も知らね……」


「ありがとうございますっ!」


「あ、おい! 質問するなら少しぐらい買っていけや!」


 とにかく当てずっぽうだ。ギルドと図書館、その間に位置する店や通行人を相手にひたすら聞き込みをする。けれど成果は大きくない。そもそも騎士や兵士ならともかく、アベルのような一般人では真面目に答えてくれない人間だって少なくなかった。

 あまり頭の良い方法ではないだろう。けれど、これ以外の手段をすぐに思いつけなかった。走りながら考えるしかない。夜が更け、ますます人の気配が消えていくのを感じながらも、アベルは手がかりを探す。


「……兄貴、何してるんですか?」


「……っ。カイン、か」


 聞き慣れた声に振り返れば、月明りの下でカインが静かに佇んでいた。呆れたような表情でアベルを見据えている。


「こんな時間に妙な男が走り回ってると聞いて来てみたら……まさか捜査の真似事でもしてました?」


「真似事でも、構わないだろう……ッ。それよりカインはルミが巻き込まれた事件について……」


「ええ、調べてますよ? 犯人の根城も俺たちの捜査グループである程度は絞れています」


「そ、そうか! だったら……」


「だったら? 教えるとでも? 部外者の兄貴に?」


 カインは意地の悪い笑みを浮かべているわけではない。ただ無表情で、冷めた瞳で、アベルを見上げているだけだ。まるで咎めるように。


「冗談もほどほどにしてくださいよ。これから救出作戦だって時に情報を漏らすわけがないじゃないですか」


「そうかもしれないが……! 俺はルミを助けないと……」


「それは兵士の仕事です。──或いは、あなたが頑なになろうとしない騎士の仕事だ」


 当然のことだろうとばかりに、カインは吐き捨てる。一切の異論を挟む余地のない、完璧な正論だ。犯罪者の取り締まりは兵士や騎士に任せ、一般人は彼らに託す。人を人たらしめる社会の秩序の一部。

 例え原動力が正義感であろうとも、被害者の保護者だったとしても、アベルが手出ししてはいけないものだ。


「ハッ、ざまあないですね。楽な方に流れずにさっさと騎士になっていれば済んだ話なのに」


「違う……俺が騎士を諦めたのは……」


 そうだ。見習いでも構わない。アベルが騎士になっていれば、今回の件にも正式な捜査グループの一員として参加できていた可能性は高い。けれど、現実は見ての通りだ。

 アベルは騎士ではない。騎士にならなかった。そう。せめて共に夢を追いかけたカインには騎士の道を捨てた理由を──


「俺、が……ただ……」


 それを告白しようとしても、アベルの弱々しい心は言葉にすることを拒絶していた。どうしても口にできない。やはり、無理だった。他でもないカインに本音を伝えることだけは。

 期待していたものが知れず、カインはあからさまに不機嫌そうにアベルを睨みつけてくる。


「まあ、今ここで反省しても遅いですからね。また今度で構いません。ルミさんも他の被害者も俺たちがしっかり救出するので、指をくわえて待っていてください」


「…………」


「もう家に帰って寝ててくださいよ。不審者扱いで他の兵士に連行されても困るので」


 カインが背を向ける。弟分の姿が遠ざかっていく。あの日の、まだカインが自分を純粋に慕ってくれていた頃のように、カインが遠くへ消えていく。

 わかっている。アベルが内心を吐露すればカインの態度は少なからず改善するだろう。全て、アベルが悪いのだ。何もかもアベルに責任がある。


「……ああ、くそっ──!」


 なのに、胸に渦巻くのは酷く濁った黒い感情だ。理性は自責を求めているのに、アベルの弱々しい心が、感情がカインを恨んで仕方がなかった。何もかもが気に入らない。カインも、自分も、周囲の何もかも。


「カインッ! 待ってくれ! 頼む、ルミはどこに捕まってるんだ!? 教えてくれ……!」


「……話、聞いてなかったんですか? それとも都合の悪い言葉は忘れましたか?」


「俺が間違ってるのは理解してる……それでも、俺は……っ」


 あまりにも無為な行動だ。アベル一人が介入したところで状況は恐らく変わらない。むしろ兵士や騎士の邪魔になるリスクが付きまとうだろう。だから、純粋にルミを助けたいのならば、素直に引き下がってカインたちに任せるのが正解だった。

 

 けれども。理性も挫折も痛みも、何もかもを押しのけて湧き上がってくる衝動がある。今から数年前。あれほどまでに打ちのめされた理想が、また鎌首をもたげてしまうのだ。


「俺の手で、何もかも助けたい──ッ」


「ハッ。俺の手で、ですか。変わりませんね」


 カインが肩越しに振り返りながら、確かに笑った。嘲笑するわけではない。心の底から、純粋に破顔して見せた。


「そうだよ……正直、俺の行動が正しいかどうか知ったことじゃない。ただ困ってる人間が目の前にいて、黙って見てることが我慢ならない。だから……」


「──究極的には、被害者の無事なんかどうでもいい。自分が手を差し出した。その事実が欲しいだけの、自己満足でしかない。そうですよね?」






 差し込まれるカインの回答に頷く。当時、指摘されるまで自覚はなかった。だが、弟分が言う通りアベルの人助けとは酷く身勝手なものだ。

 誰かを助けるときに考えなんてありはしない。とにかく身体が動くままに任せ、事件や事故に介入する。その善意と言う隠れ蓑を被せた自己満足。それがアベルの人助けだ。


 結果、アベルは凄惨な光景を更なる地獄に変えた経験があった。

 

 善意のつもりだったものが、人々を傷つける光景は。その地獄を容易に塗り替え全てを解決した“金髪の少年”の勇姿は。今でも忘れることはない。だからアベルは、膝を折ったのだ。


「俺のせいで死ななくてよかった誰かが死ぬかもしれない。大した才能もない人間が首を突っ込むのなんて馬鹿げてる……そんなことは、嫌と言うほど知った! でも……それでも……俺はじっとしてられない……ッ!」


「……ああ」


 一度口にしてしまえば、もう抑えられない。一度は諦め、抑え込んできた理想が溢れ出してくる。

 己の愚かさも、挫折も、忘れることはない。だが、それでも、友人が危機に陥ると知れば我慢できずに身体が動いてしまうのだ。最早これは、アベルと言う男の習性か何かなのだろう。


 そんなあまりにも自己本位な願いを受け取り、カインはその場で振り返って──


「──ちゃんと、言えるじゃないですか」


 心底、嬉しそうに笑った。久々に見る弟分の歓喜だった。本当に嬉しそうで、悦ばしいと言わんばかりの満面の笑み。なのに、見る人をどこか不安にさせるのは、彼もまたどこか歪んだ感性を持っているからだろうか。

 カインが歩み寄ってくる。大袈裟なまでに両腕を広げて、歓喜の声を上げる。


「兄貴は誰よりも強いんです。兄貴は誰よりも優しいんです。兄貴は誰でも困ってる人を助けるんです。兄貴は──そのことに疑問なんて持たないんです」


「…………」


「ああ、良かった。俺がちょっと嫌味を言ったぐらいで人助けを躊躇う兄貴なんていなかったんですよね? 俺を罵倒したのはちょっとした気の狂いだったんですよね? 人助けをするために一番都合が良いはずの騎士を諦めたのも、ルミさんを助けるために躊躇ったのも、何かの間違いですよね?」


 弟分が語る、理想の兄貴。あまりにも偉大で、あまりにも強大で、あまりにも完璧な誰か。少なくともアベルではない、理想の誰か。

 荷が重すぎても、眼を逸らすことは許されない。カインにそこまで想わせてしまったのは、他でもないアベルなのだから。


「犯人グループのアジト候補と、救出作戦の詳細です。勝手に兄貴なりにルミさんを助けてください」


「……すまない」


「良いんですよ。流石に今から騎士の国家資格は取れませんから。でも……次の試験は必ず受けてくださいね?」


 半ば無理やりに押し付けられた資料を一瞥して、アベルは小さく謝罪する。それに返されるのはカインの微笑みだ。彼はそれだけを残して、足早に背を向けて立ち去っていく。

 必要なことは全て終わらせたとばかりに。


「……俺は」


 そんなカインを静かに見送り、アベルは夜空を仰ぐ。

 何度でも言おう。ルミの無事を願うのならば、本職の兵士に任せた方が良い。けれど、アベルは自ら動かなければ気が済まない。それは最早、善意ではなく自己満足でしかないのだ。


 カインとの関係性にひびが入ったあの日。アベルのせいで、傷つかなくて良い人間が傷ついた。何をしても全てが裏目になり、より最悪の結果を招くことになった。

 だって、アベルには才能がない。特別に優秀なわけでもなく、凡人でしかない。


 ──兄貴! これで一件落着ですね!


 だから、その最悪を容易に解決して見せた天才を前に、アベルは折れた。自分が何もかもを救える英雄でないことを見せつけられ、自分を慕ってくれる天才を妬んでしまって──酷い言葉を吐いたのだ。

 そもそもアベルは騎士を諦めたわけではない。カインは知らないが、今でも国家試験には──惰性ではあるが──挑戦している。アベルが騎士になっていない理由は単純なこと。


 アベルには騎士になるだけの才能がなかった。それだけだ。


 それがカインとの確執。何処までも完璧な兄貴だと見上げてくれる少年と、弟分の才能に嫉妬した青年。その末路だ。

 人助けを掲げておきながら、アベルは何処までも醜い心を持っていた。

 

 ルミと共に悪魔と遭遇したあの日もそうだ。アベルが苦戦した悪魔を素人同然だったはずの少女が下した。その光景にアベルは嫉妬を抑えきれなくて、ルミに辛く当たってしまったのだろう。


「……それ、でも」


 資料に目を通しながら一度、歩き出す。目標が定まったのならば、後は実行に移すだけだ。そのためにもまずは装備を整える。歪んだ心で、綺麗な理想を掲げる青年は、静かに帰路へと着いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る