第10話 一難去って何とやら

 規則正しい緩やかな揺れ。覚醒しつつあった意思がゆっくりと浮上してくる。すぐ前には黒い髪が。そしてその向こう側には遥か高い石の城壁が見える。

 何があったのか。はっきりと思い出せない微睡の中で顔を上げた。


「起きたか?」


「あ、れ……アベル?」


 名前を呼び、ようやく状況を把握し始める。どうやらルミはアベルに背負われているようだった。意識を失ったまま、王都まで数時間の道のりを運んでもらったということだ。


「ご、ごめんっ! もう大丈夫だから、僕を担いで歩き続けたなんて……」


「慣れない魔力の消費をしたんだ。まだ休んでおけ」


「えっ、でも……」


「いいから。驚くぐらいに軽かったしな」


 言われて、また思い出す。眠るために忘れてしまう事実を。今の自分はルミという小柄な少女だということを。それでも大きな荷物には違いないが、成人男性と若い少女とでは負担はかなり異なる。

 それに四肢に力が入らないのも事実だった。降ろされたところで、結局迷惑をかけるかもしれない。ならばお言葉に甘えるのが正解なのだろう。


「じゃあ、もう少しお願い」


「ああ」


 想像以上に大きなアベルの背中に体重を預けながら小さく頭を下げて。

 本当に彼が大きく感じると、少々嫌気が差した。アベルの体格が特別良いわけではない。それ以上にルミの身体が小さいのだ。こういった時に、自分は性転換してしまったのだと強く突き付けられる。

 早く元に戻りたいと、何度も思わされる。


「この壁って王都の外周、だよね? どういう状況なの?」


 気を紛らわせるように疑問を口にした。見上げるのはそびえ立つ遥か高い石の城壁だ。少しだけワクワクする。城塞都市なんて、まさにファンタジーの代名詞だろう。

 ファンタジー世界はたった数日でも危険だらけ。今すぐにでも日本に帰りたいが、だからこそこういった景色は楽しまなければならない。


「ちょっと検問があるみたいでな。王都に入るのが遅れてる」


「検問?」


 少し身を乗り出して正面の様子を窺う。恐らくは馬車など大型の荷物も通ることができる巨大な正門。加えて、その脇に備え付けられている人間専用の小さな扉。その双方に大蛇のごとく長い人の行列が伸びていた。

 鎖帷子を身に着けた、兵士と思わしき人物たちが、一人ずつ慎重に荷物を点検している。


「どうにも所属不明の武装集団があちこちで報告されてるらしい。大きな都市はどこも厳戒態勢みたいだ」


「武装集団って……」


「あの二人組はその一部だった可能性もある」


 通りすがりの馬車を襲い、そのままアベルとルミに牙を剥いた殺人鬼たち。彼らのような狂人は彼らだけではないと。一体、何が起きているのだろうか。

 ルミや離れ離れになってしまった友人たちのような、日本出身の転移者。

 この世界を正しく理解した上で尚、ゲームとして虐殺を楽しむ“プレイヤー”。


 両者は似て非なる存在であり、共にこの世界の異常だ。そこに因果関係が全くないとは思えない。何か原因があるはずだ。そして、その原因は必ず波乱を巻き起こすと、不思議と確信してしまった。

 それにルミが元の世界に戻る方法を探すのならば、きっと奴らと相まみえる機会は今後も訪れる。だが、ひとまず今は──


「早く、休ませてほしいね……」


「悪いが今日は遅くなりそうだ」


「えっ、なんで? もう少しで僕たちの番じゃない?」


「ルミの身分証明書がないから手続きがいる。それに……死体を放置したままだ。すぐにでも騎士団に通報しないと」


「ははっ、通報はともかく身分証明書とかあるんだ……」


 妙に現実的な響きに乾いた笑いが零れた。魔法の存在するファンタジー世界とはいえ、現実である以上は面倒なしがらみからは逃れられないらしい。ほんの少しだけ夢が壊れたような気分だ。


「明日は休めるから少しだけ我慢してくれ。日付が変わるまでに帰宅できれば上々だな」


「うへぇ……急いで通報しないとだし優先してくれないかなぁ……」


「──そうですね。緊急の案件ならばお先に話を伺いますが」


 突然かけられる第三者の言葉。ルミは背負われたまま肩を跳ねさせ、アベルはゆっくりと振り向く。そこに立っていたのは、幼ささえ残る金髪の少年だった。ただし厳格な雰囲気を漂わせる制服のようなものを身に着けている。

 あくまで印象だけで言うならば、その制服のデザインは正に──


「もしかして」


「お察しの通り。ザリアモール王国近衛騎士団所属のカインと申します」


「き、騎士団……!」


 本物の騎士だ。コスプレでもなんでもない。市民や王のために剣を振るい、盾にもなる正真正銘の騎士団。これもまた非現実を感じるファンタジーだ。ゲーマーとして興奮を抑えられない。

 だが、テンションを上げているのはルミ、ただ一人だけだった。


「……カイン」


「お久しぶりですね、兄貴。女性を侍らせて仕事とは、随分と良いご身分なようで」


「彼女は保護しただけだ。そういう関係じゃない」


「おや、そうでしたか。これは失礼を」


 片や葛藤を胸の内に抑え。片や皮肉を隠しもせずに。旧知の仲らしき二人の間に険悪な空気が流れる。あまりにも重々しいやり取りに、ルミは静かにアベルの背中へ引っ込んだ。


「──騎士を裏切った貴方だ。てっきり気軽な開拓者の立場で、好き放題やっているのだと思いましたよ」


「……っ」


 単純な憎悪だけでは片づけられない、渦巻くような悪感情の嵐。反論すらせずに、ただ苦々しく表情を歪めるだけのアベル。

 ああ、確かに今日は長引きそうだ。諦めに似た想いを抱きながら、ルミは巻き込まれないように体を小さくさせた。


☆ ☆


 大陸東部に位置し、最大の勢力を誇る大国。グリデント帝国。その玉座が置かれる帝都バベルに青年は居た。


「ふむふむ。素晴らしい。中々に“プレイヤー”が集まってきた」


 虚空を見つめ、にやりと嬉しそうに笑う。その姿を遠巻きに見た者たちは、きっと目の錯覚かと誤認するだろう。

 何故なら青年は帝都バベルの城──その頂上に腰かけているのだから。


「千、二千……一万は欲しいですねぇ。そうしないとゲームにならない。ね、君たちもそう思うでしょう?」


『縺昴≧縺?縺ュ』


『莉イ髢薙r蜻シ縺ー縺ェ縺阪c』


「ええ、是非ともお願いしますよ」


 気安く話しかけるのは腐った肉と無数の目玉の怪物。ルミたちに襲い掛かった悪魔だ。青年は不協和音しか鳴らさない悪魔とどういうわけか会話を成立させている。

 この悍ましい生命体と意思疎通を可能とさせているのに、平凡な青年にしか見えない。そのちぐはぐさは対面する者の心臓を不安で締め付けるだろう。


「それにしても……アウラアムの小僧も面白いことをしてくれる。想定外の事態ですが、アドリブこそ腕の見せ所。この世界に取り込まれた地球人とやらも上手くゲームに組み込んでやりましょう」


 実に楽しげに、それでいて真剣に、今後の展望を思案する。ああでもない。こうでもない。キラキラとした情熱を浮かべながら、たくさんたくさん考える。


「一五〇〇年もかけた大作だ。絶対に参加者には楽しんでもらわなくてはッ!」


 夢を追う。己の願望を実現する。そんな純粋な想いに形作られた未来予想。


「だから、もっともっと考えよう。この世界を破壊するシナリオを。完璧なゲームを」


 この世界の住民からすれば、滅亡の合図ともいえる残酷な計画。

 そんな理想の遊戯を練り込んでいく青年は、幻のように帝都から姿を消していく。


 とある世界のゲームは現実へと移り変わり、彼らの遊戯は終焉を迎えた。

 だが、彼の宇宙の侵略者にとって。


 ──遊戯ゲームはまだ、始まったばかりだ。 

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