TS娘の美しき理想の遊戯

Haseyan

第1章 遊戯の終焉

第1話 楽しい楽しいMMO日和

 ──世界には強度というものがある。


 小さく不安定な世界はやがて、大きく安定した世界に呑み込まれる。呑み込んだ世界もまた、更に強大な世界によって征服される。

 例えスケールが宇宙規模になろうとも、この世は弱肉強食の定めから逃れられないのだ。


 そんな世界の一つを高次の存在が覗き込んでいた。大した価値もない弱い世界。不安定で今にも内側から崩壊しそうな世界だ。けれど、そこの住民には特別な知恵と足掻く気概があった。

 弱き世界が強き世界に──青い惑星の人類に指を伸ばす。より安定した魂を簒奪するべく。この弱肉強食の理の中で存続するべく。


 その悪あがきを、“奴ら”は嘲笑っていた。


 ☆ ☆


「ごめん、遅れた! すぐにログインする!」


 慌ただしく手元を操作しながら、ヘッドセットのマイクに向けて叫ぶ。男子大学生の義元 真雪は通話中の友人たちに向けて謝罪しながら、とあるオンラインゲームを起動していた。

 PCのディスプレイに見慣れたタイトルロゴが表示される。


『Drain Universe Online』。海外を中心に展開され、ゲーマたちの間でたびたび話題に上がるMMORPGだ。PvPに主軸を置かれたオンラインゲームであり、ゲーム内の土地を奪い合う集団での対人戦闘を楽しめるタイトルである。

 全世界共通のサーバーが用いられているために人口は他のMMOに追従を許さず、トップクラスの陣営同士の戦争では八千人ものプレイヤーが一堂に会して大攻防を繰り広げたと、ゲーム内外問わずにちょっとしたニュースになったこともあった。


 それだけ聞くと殺伐としたゲームに聞こえるかもしれないが、これはあくまでプレイヤーに全てが委ねられている所謂『未開拓地』での話だ。NPCの国なども存在し、その領土内ではPKにペナルティが設けられるなど安全なエリアも存在する。

 事実、真雪が今晩に友人たちと挑むコンテンツは、対人とは無縁のものだった。


 ゲームの読み込みが終わり、キャラクターセレクトの画面に移る。高水準に鍛え上げた黒衣の剣士と、ある程度で成長が止まっている白髪の少女。前者は厨二病全開で、後者は些か趣味を詰め込み過ぎたが、真雪自身は気に入っていた。

 今回選ぶのはメインの操作キャラではない白髪の少女の方だ。アバターの名前はルミ。気合を入れるようにディスプレイの中のルミが拳を掲げると画面が暗転して。

 ロードが終わり、広大な森のマップが映し出された。


『お、来た来た』


『こんばんはでーす』


 ヘッドセットから男性と女性の声が鼓膜を揺さぶる。そして、ゲーム内でも大剣を背負った青年と、長い杖を握るとんがり帽子の少女が、真雪のアバターに近づいてきていた。

 青年の方がライアン。少女の方がルーシー。ゲーム内で知り合い、共に活動することも多い友人たちだ。


「ごめん、卒研の準備がちょっと遅れちゃって」


『遅刻つっても一分だけだぞ。気にするなって。ゲームのためにリアルを崩すのは論外だしな』


『そうですよ。私も約束破っちゃったことありますし』


 優しい言葉に画面の前で頬を緩めた。実際に会ったこともない真柄だが、些細な問題だ。こうして会話しているだけでも彼らの善性は感じ取れる。


『にしても……ブライさん、そういう女の子が好きなんですね?』


 ブライとは、真雪のメインのアバター──今回は選ばなかった黒衣の剣士の名前だ。彼らも真雪を呼ぶときはその名前を使っている。


 どういう意味かわからず首を傾げ、すぐに自身が操作する“ルミ”のことだと気が付いた。背中に届く長い白髪に、大きな瑠璃色の瞳。整った鼻筋と正に男性の理想を追求したような姿は、当然ながら真雪が作り上げたものだ。

 通話先のルーシーから、くすくすと意地悪な笑みが聞こえてくる気がした。


「べ、別にいいじゃんっ。男なんだからこういう子が好きですよーだ」


『拗ねないでくださいよー。まあ、私も倉庫キャラは理想詰め込んだイケメンだから、人のこと言えませんけど』


『ははっ、たまにネタに走るやつもいるけど……基本、自分の分身に嫌いな要素は入れないだろうからな』


「ライアンさんはどうなのさ」


『俺か? 見てわかるだろ。このかっちょいい細マッチョを!』


 プレイヤーの言葉に合わせて、ゲーム上の“ライアン”が大剣を掲げて見せる。なるほど、確かにこれも一つの男性の理想像だろう。明るくさっぱりとしたライアンらしいと納得させられた。


『それより、ぱっぱと始めるか。ブライは準備できてるか?』


「もちろん。しっかりと用意してあるよ」


 インベントリを覗けば、持ち運び重量の大部分を占めているアイテムが確認できる。これがわざわざ、サブアカウントの“ルミ”でログインした理由だ。このアバターはこの特殊なアイテムを使用するために特化してある。

 そうでもしなければ扱えないような代物なのだ。しかし、わざわざ一からアバターを育成し直すだけの価値はあった。


『……緊張してきました』


『大丈夫、大丈夫。適正レベルは超えてるし、準備もしっかりしてきた。それに最悪、ブライだけ逃げればやり直しも効くからな』


「責任重大だなぁ」


 口ではそう言いつつも、真雪はディスプレイの前で笑っていた。ゲーマー足るもの、高難易度コンテンツは緊張しつつも全力で楽しむものだ。

 三人のアバターで森の広場にぽっかりと空いた、『空間の裂け目』を囲む。


『よし、行こうぜ』


 ライアンの言葉と共にゲーム画面が暗転した。


 ☆ ☆


 緑の生い茂る平原にて。大量の魔物が三人のアバター目掛けて雪崩れ込んでくる。その多くはゴブリンやオークと言った亜人族のモブ──つまりは雑魚敵だ。しかし、その数の暴力はちょっとしたレベル差など覆すほどの脅威だった。

 その群れを一人で食い止めているライアンに向けて、真雪はルミを操作してひたすらに治療魔法を連打する。


『やばいやばい、体力の減りとエフェクトの数がやばい! PCフリーズしないかこれ!?』


「画質設定下げてなかったの!?」


『完全に忘れてた!』


 仮に通話が途切れたら即座に撤退しよう。ライアンが動かなくなれば即座に戦況は崩壊する。真雪は心の中で固く誓った。


『こ、これ本当に終わるんですか……?』


「際限なく湧くわけじゃないし……とにかくルーシーさんは範囲魔法を連打!」


 ルーシーの不安も尤もな光景だった。画面のほとんどが敵で埋め尽くされているのだ。最早、何が起きているのかわからない。前衛のライアンは敵のターゲットを集め。後衛のルーシーはひたすらに攻撃魔法を打ちまくり。そして、やることの少ない“ルミ”はなけなしのMPで治療魔法を投げ続ける。

 凄まじい速度でHPとMPのゲージが増減を繰り返すのは、回復薬も同時に飲み続けている証拠だ。これがゲームでなければ薬漬けどころでは済まないだろう。


『やべっ……!? ネームドが抜けた!』


「何とかしてみるけど……」


 ライアンの傍を通り抜け、赤字で表記された魔物がルーシーと“ルミ”に迫ってくる。稀に出現する強化された魔物だ。確率は低いはずだが、これほどの群れならば数匹紛れ込んでいても不思議ではない。


「僕のキャラじゃ一発、耐えられるかどうかだよ!」


 いくら強化されているとはいえ、元が低レベルの魔物だ。メインアカウントの“ブライ”ならば容易に倒すことができるだろう。しかし、真雪が現在操作しているのは戦闘にあまり向かない“ルミ”だ。

 可能な限り戦闘技能にもステータスを振っているが、本当に最低限の戦力でしかない。


 だからとにかく回避に専念する。そのうえでライアンへの援護も続けないといけない。指を限界まで行使し、分身である“ルミ”を動かし続ける。


 一発攻撃が直撃すれば失敗だ。“ルミ”が倒されてしまえば計画は頓挫し、アイテムを用意するために再び数か月の金策が必要になる。

 回避して回避して、全ての攻撃を捌き続けて──


『ナイスっ! よく耐えた!!』


 気が付けば、画面を埋め尽くしていたはずの魔物がほとんどいなくなっていた。余裕のできたライアンが踵を返し、か弱い“ルミ”に張り付いていたオークを大剣で叩き潰す。

 ほっと息をつく暇もない。やがて第二陣が現れる。その前に終わらせなければならない。


『加速かけました!』


 ルーシーの魔法によって移動速度を上げた三人は広大な平原の中心部に走る。マップを見れば夥しい量の赤い点が迫ってきていた。あれが第二陣だ。回復薬もMPも消耗したままでは、今度こそ対応しきれないだろう。


「早く、早く……!」


 平原の中心で、真雪はインベントリから例のアイテム──『空間強度安定化魔法陣』を選択して使用した。アバターの少女が道具を準備し始め、完了までの時間を示すゲージが表示される。

 遅々として終わらない作業。これでも最速になるまでスキルを取得しているはずなのに。


 ライアンとルーシーが魔物の大軍勢に向き合う。“ルミ”は少しでも攻撃を喰らえば作業を中止してしまう。そうしたらもう、間に合わない。真雪にできることは画面の前で祈ることだけだ。


「……っ!」


 オークの一匹が弓を射る。それはライアンの横を通り過ぎ、ルーシーの咄嗟の防御魔法も追いつかず、“ルミ”に真っすぐ肉薄して──


【小宇宙の従属が完了しました。所有権をギルドマスターの『ライアン』に付与します】


 作業の完了を示すシステムメッセージで塗りつぶされるように、矢は寸前で消滅した。


 ☆ ☆


「お、終わった……っ」


 思わず溢れ出した言葉に肩の力が抜ける。あれほどの大軍勢は綺麗さっぱりいなくなっており、膨大な数のアイテムドロップだけがその名残だ。

 どこか非現実的な気分に陥り、このエリアが三人のギルドの領土となっていることを何度も何度も見直す。


『よっしゃああぁ! これで俺たちもギルドハウス持ちだ!!』


『やりましたね!』


 友人たちの歓喜の声を聴いてようやく、達成感が湧き上がってきて。


「や、やった!」


 真雪も遅れて声を張り上げた。正真正銘、このエリア──小宇宙と呼ばれるワールドマップとは隔離された空間は真雪たちの所有物となった。自分たちのギルドハウスを設立するのも、やたらと充実したインテリアで飾り付けるのも自由というわけだ。


『Drain Universe Online』はプレイヤー同士の領土戦を主軸にしたMMORPGである。しかし、多くのプレイヤーが好き勝手に領地を持ってしまっては、いくら広大なワールドマップがあろうと、溢れるプレイヤーが大勢生まれるだろう。

 それを解決するのが、この小宇宙と呼ばれる空間だった。


 ワールドマップには無作為に空間に裂け目が生成され、その内部には様々な環境の小宇宙が生成される。通常であれば一定時間で消滅してしまう、ただのダンジョンだ。

 しかし、真雪たちがそうしたように、『空間強度安定化魔法陣』を使用することで、半永久的に維持することができた。それこそが、多くのプレイヤーが自分たちの拠点を設置する領土の正体だ。


 独立し、ランダムに生成されるがゆえに、土地に制限はない。ワールドマップにあるのは人間一人程度しかない『空間の裂け目』だけだ。このシステムのおかげで全てのプレイヤーが自身の領地を持つ余地が生まれている。


 もちろん、領地であるが故に他のプレイヤーに強奪される危険性はある。しかし、真雪たちは敢えて移動に不便な辺境の小宇宙を攻略した。わざわざ襲撃してまで奪われる可能性はかなり低いだろう。

 平原ベースの小宇宙では入手できる素材なども少ない。だが少人数のギルドなら、それでも十分すぎる。領地を持つのはこのゲームで最初の目標なのだから。


『早速、ギルドハウスの設定をしてみましょうよ! 模様替えとかしてみたいです!』


『やるか! このための資金も用意してあるし……プレビューするからどれがいいか見ていこうぜ』


 言うや否や、平原の中心に大きな屋敷が出現する。内部には入れない虚構だが、雰囲気を確認することはできるだろう。そうやって盛り上がる二人につられて真雪も笑う。

 明日は土曜日。三人とも休日だ。夜が明けるまで領地の整備に費やされるのは言うまでもない。


「先にアカウント切り替えてきていい? ルミだと不便もあってさ」


『おっけー。じゃあ俺もトレイ行っておくかな』


『そうでぇ……ぇすうう、わ──ザザ』


 ルーシーの声にノイズが混じる。通話ソフトのエラーか。通信状況を確認しようと、ウィンドウをゲーム画面から切り替えようとして──気づいた。PCの操作が効かない。どれだけキーボードを叩こうとも、何も画面には反映されなかった。


「あーこれブルスクかなぁ……」


 PCが強制終了する予感がして、真雪はため息をついた。幸いなのは戦闘中でなかったことだろう。ゆっくりと再起動しても特に問題はない。

 その間に真雪もお手洗いに行こうとかと腰を上げ──


「……?」


 ──られなかった。足腰に力が入らない。どれだけ立とうとしても、真雪も身体は椅子に張り付いたように動かない。

 体調が悪かった、なんてこともない。時折徹夜することはあっても、真雪は極めて健康体の大学生だ。身体が麻痺して身動きが取れないなど、あまり考えられない。

 しばし待てば戻るだろうか。あまりに長時間、この異変が続くようなら救急車を呼ぶことも視野入れるべきか。

 そう考えながら机の上のスマートフォンに視線を向ける。それ以上のことができなかった。肩がピクリとも動かない。足だけではない。真雪の全身から自由が失われている。


 ──どうしよう。


 身体は動かない。声も出ない。恐らく、耳も聞こえていないし、鼻も働いていない。残っているのは、視界だけだ。その視界に映るのはディスプレイに映し出されたゲーム画面だけ。


 ──絶対におかしい。


 真雪は一人暮らしだ。このまま身動きが取れなくても、しばらく誰も気づかない。いよいよ命の危機を感じて、焦燥感に心が満たされた。


 ──だ、誰か。助け


 何もできないまま、遂には視界さえ暗く暗く染まっていく。それと共に意識も消えていって、


『我が世界の、糧となれ』


 無人の部屋に転がるヘッドセットから、そんな声が響き渡った。

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