第3話 初めての魔術

 執務室の窓から、屋敷を飛び出したクリスの姿が見えた。

 ヴァンはそれを見て、目頭を揉んだ。


「まさか、家出か?」

「……いいや、そのような度胸はあるまい」


 横からかけられた言葉に、ヴァンは首を振る。

 クリスのことは、生まれた時からよくよく知っている。


 彼は面倒事を嫌う。

 もし家を出れば、面倒事は山のように彼に降りかかるだろう。

 上二人の息子は別だが、クリスは廃嫡された程度で家を飛び出すタマではない。


「父上、やはり成人するまでは待った方が良かったんじゃ?」

「これ以上クリスを育てる時間はない」

「成人するまでは、廃嫡を棚上げすることも出来たはずだ」

「それでクリスの時間を無為に奪えと?」


 ギロリと睨むと、青年が肩を竦めた。

 この青年は、フォード家長男、スティーヴ・フォードだ。


 ヴァンにとって初めての息子ということもあり、かなり厳しく躾けてしまった。

 そのおかげか、人格はまっすぐ伸び、不正を嫌う厳格な人物に育った。

 反面、物事を深刻に捉えすぎるきらいがある。


 つまりは、冗談が通じないのだ。

 クリスとは大違いである。


 さておき、クリスについてだ。

 廃嫡しただけで家を飛び出す繊細な子だとは思えない。

 だが、万が一を考えると、頭が痛い。


 いくら廃嫡したとはいっても、クリスは最愛の妻ライラの置き土産なのだ。

 家族の命は、自分の命よりも重い。


 だからこそヴァンは、クリスにこれ以上重荷を背負わせたくはなかった。

 どのみち、彼にフォード家当主は務まらないのだ。ならば早めに別の道を歩ませた方が良い。

 そう思っての決断だった。


「……クリスのことよりも、今はこの領地の話だ」

「――はっ。話を脱線させてすみません」


 そこで二人から、親子としての顔が消えた。

 領主と家宰の表情になる。


「よい。さて、我がフォード領には問題が山積している。これらをどうにかしなければ、フォード領に未来はない」


 初代当主が国王から辺鄙な土地を貰ったせいで、今代に至るまで、フォード領は資金難に喘ぎ続けてきた。

 本来であれば、土地のさらなる開発や整備、また治安維持に力を入れたい。

 しかしそのためのお金がなかった。


 赤字が出れば、ヴァンは迷わず家財を売った。

 それでも足りなければ、国王にお金の無心を願い出た。


 王国側にも、この辺鄙な土地を与えた後ろめたさがあるのか、資金提供を渋ったことは一度もない。

 しかし、それも限度というものがある。


 金の無心を続けるのは、あたかも『自分は領地経営が出来ない無能』だと公言するに等しいことだ。

 さすがにそれは、ヴァンのプライドが許さない。


 子どもたちに領地を譲る前に、少しでも良い領地になるように、出来るだけいまある問題を解決しておきたい。


「盗賊の略奪取り締まりに、森の開墾、魔物の駆除に、交易商の確保、生活用水の拡充と。我が領の財政状況では、一度に解決するのは困難です」

「それに、息子の家出か……」

「えっ、今何か?」

「いいや、なんでもない」


 ヴァンは即座に首を振る。

 表情に出していないが、実の所クリスの家出(疑い)は、ヴァン個人にとってクリティカルな問題だった。


 しかしここは、執務室だ。

 心を鬼にして、ヴァンはクリスのことを頭の片隅に追いやった。


 領地経営を脅かす問題は、人手さえあれば一気に解決出来るものばかりだ。

 しかし、人を動かすにはお金がかかる。


 他領から見れば、僅かなお金だ。

 しかしそのお金が、ここにはない。


「……なんとか、出来ることからやっていくしかあるまい」

「そう、ですね」

「最悪の場合は……」


 妻が残していった書物を売却し、資金を稼ぐ。

 もうそれくらいしか、フォード家にはお金を生み出す方法は残されていない。


 だがそれをすれば――。


(ライラやクリスが、どう思うか……)


 二人の顔を思い浮かべると、ヴァンの頭痛はますます悪化するのだった。


          ○



 家を出て、クリスはひと気のない平原までやってきた。

 ここなら、自分が調節した魔術を思う存分発動出来る。


「さあやるぞっ!」


 クリスはスキルボードを開き、手を前に伸ばした。


 魔術の行使については、高名な魔術士に事細かく教わっている。

 その手順に乗っ取り、体内でマナを高めて一点に集めていく。


「お……おお!?」


 体の中で、マナが動いた。

 初めての感覚だ。

 魔術士に教わっていた時には、一度もこれを感じられなかった。

(そのせいで、匙を投げられた)


 体内で生み出されるマナが少ないのではないかと、薬を飲まされたこともある。

 母が特別なルートで取り寄せてくれた、特別な薬だ。


 しかし薬を飲んでも、クリスにはまるで変化がなかった。

 ただ苦い思いをしただけだった。


 それが、今はどうだ?

 体内で蠢くマナの本流を感じられるではないか!

 これに、クリスは興奮した。


 初めて、憧れ焦がれた夢の魔術が放てるのだ。無理もない。


 興奮している間にも、魔術は体のなかで自動的に組み上がっていった。

 これが、スキルボードの力か。


 ある一定のマナが掌に充填されたその時、クリスは叫んだ。


「ファイアボール!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る