Mythosland:07 ピュシスの中のロゴス

 正門を出ると、カコはトモローに右手を伸ばした。

 彼はその手を握り、左手をわたしに出す。

 わたしは……手をつなぐのをためらった。目を三角にして見ているカコの視線に気づいたからだ。それでもわたしたちは、幼馴染として手を繋ぐ。

 友情と愛情は両立しない。何かを手にするためには、手に持っているものを捨てなければならない。なぜなら、手の数は限られているからだ。

 わたしも、手にしたいものだけを掴める日がくるのだろうか。それとも離さずにいられるのだろうか。


 三人で帰るときは手をつないで家路につくのが、幼いころからの習慣だった。

 あの頃は恥ずかしいとは思ったことはなかった。わたしたちにとって、それが当たり前で、日常的なことだったから。

 最寄り駅で降り、路地までさしかかると、手をつないで歩くのをやめる。


「それじゃ、またね」


 カコは手を振って右の路地を歩いていく。彼女が角を曲がるまで見送った。

 暗くなっていく夜空には街明かりに負けず、一番星が輝いていた。


 トモローが、ふとつぶやく。

「キリンの首はどうして長いでしょう」

「欲張って餌を食べてたキリンが崖から転落して、途中の木の枝に首が引っかかってのびたから」

「ぶー、ちがいます。彗星のアイスキャンディーなめるため。キリンキリンに凍って流れてるからね。素敵な名前でしょ」


 軽い洒落ですかっ。

 どこからそんな発想が出てくるのやら。

 前々から思っていのだが、一度、頭をこじあけて構造を調べてみたくなる。


「あいかわらずリリカルに物事を見るね」

「キョウはシニカルに物事を見るんだね」

「うれしくないほめ言葉をどうも」

 女にいう言葉じゃないよ、と口の中でいい返す。

「カコとは、うまくいってる?」

「うん。でも、三人のほうがたのしいや」


 聞いたわたしが間違っているかもしれない。

 根本的に彼は何かがかけている。身勝手でわがままで、自分勝手な自己中心的な人間は嫌いだけど、少しぐらいは自分の気持ち、わがままになってもいい。こんな彼を彼女は好きになった。それは、いいことなのだろうか。

 こんなとき、何か話さなければと強迫観念に襲われる。以前の自分はどんな行動をとったのだろう。記憶は助けにならない。つなぐ手が妙に熱く、汗ばんでいた。


「なんだか恋人同士みたい」

 彼が笑いかける。

 思わずわたしはカバンを彼の足にぶつけた。

「調子に乗るな!」


 照れを隠すようにわたしは大声をあげる。つなぐ手を強く握りながら。

 ごめんなさいと謝るトモロー。わたしは許す。思わず二人して笑った。カコのことも忘れて心から楽しいと思った。だから後ろから近づく気配に、少しも気づかなかった。


「手なんかつないじゃって、楽しそうね」


 覚えのある声に、すぐに振り返った。

 ……母だ。

 笑っている。

 まずいところをみられた、そう思っても遅かった。


「こんばんは、おばさん」彼は頭をさげる。

「こんばんは、トモちゃん。おばさんだなんて他人行儀な呼び方やめてえな。お母さんって呼んでいいのよ。将来、キョウと結婚していいから。いまから少しでもなれとかんとね。来年には籍入れて、翌年にはかわいい孫の顔がみられるとあたしはうれしいんやけどなあ、まだ三十代やし、若くてきれいな姿を初孫におぼえてもらいたいし」


「変なこというの、やめて!」

 わたしはしゃべりだした母の言葉をさえぎるようにいった。

「トモローの顔みるたび吹き込まんといて、その気になったらどうするの? だいたいカコとつきあってるのに」


「いまはそうでも、先のことはわからないでしょ」さらりと母はいう。

「おばさん、キョウちゃんが目を三角にして怒ってますから、その辺にしておいた方が」

「お母さんがいいにくいならミヤコさんって名前で呼んでくれてもええよ。そうそう、夕飯すき焼きなんやけど一緒に食べてく? 大勢で食べた方がおいしいし。キョウの手料理。わたしは作らせてもらえないのよね、隠し味にビール入れちゃダメって、ぶーぶーいって。茶碗の持ち方が変とか箸の持ち方が違うとか、母親のわたしを怒ってくるの。ひどい娘でしょ」


「当たり前よ。母親を名乗る前に母親らしいことをできるようになるべき。仕事で忙しいのはわかるけど」


 ため息をつきながら横目でちらっと母を見ると、トモローの後ろに素早く移動していた。


「ほらまた。トモちゃん、お母さんを助けてー」

「誰がいじめてますか、誰が! それにトモローに甘えないで」

「トモちゃん。将来の夫婦喧嘩の予行練習と思って、お母さんを助けて」


 さすがのトモローも、母の前では借りてきた猫のように何も言えなかった。

 結局この日、トモローはわたしの家で夕食を食べていった。

 夜も遅いから泊まっていったらと母がいいかけたので、あわてて彼を玄関の外につれ出した。


「今日は楽しかったね。母さんの話はあんまし気にしんといて。ちょっと子供っぽいっていうか、親子というより友達に近いけど。悪気はないから。トモローは自分の気持ちを大事に」


 見送る背中が夜の闇に溶けて消えるまで、わたしは手を振った。


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