第5話

 むかしむかしある所に、とある王都にお空が大好きな一人の女の子がいました。

 ある日のことです。女の子はお母さんにお使いを頼まれました。

 女の子は頼まれた通りにお店を回りました。気前のいいおじさんは果物をおまけしてくれました。女の子は妖精たちの優しさに心が温かくなりました。


 ですが、王都でのひと時も、鳴り響く鐘の音で終わりを迎えます。


 王都に他国が攻めてきたのです。戦争です。王都で戦争が始まったのです。

 それは悲しい出来事でした。本当に、恐ろしい出来事だったのです。

 飛び交う火は家を焼き、追い立てる風は妖精たちを苦しめます。砕け飛ぶ岩も、命の水も、すべてが敵でした。


 女の子も飛んで逃げようとしましたが、風のいたずらで王宮まで連れ去られてしまいました。 

 もちろん、女の子は王宮になど入ったことがありませんでした。そこが王宮だと気が付いた女の子は慌てて出ようとしましたが、しかし外は怖くて出たくありませんでした。

 悩むうちに女の子は落ち着きました。そしてその目に一つの石柱が映りました。王宮の中庭にあった丘の上に、石柱があったのです。

 石柱は女の子の背丈ほどの高さをした、やや丸い形でした。女の子はそれを見ると不思議と歩き寄りました。なぜか、寄ってしまったのです。 

 女の子がその石柱に触れた瞬間、石柱は唐突に眩い光を放ちました。


 そして現れたのは、不思議な大釜でした。

 女の子は願いました。


 ——戦いが終わりますように。

 ——平和が続きますように。


 女の子の涙が大釜に落ちたその時です。もう片方の目から零れた一滴の涙が大地に染みると、そこから夢のような光が次々と咲き始めたのです。

『銀の大釜』は女の子の願いを叶えたのです。王都に広がっていく青い花々は、争っていた妖精たちを戦えなくしていきました。そして、戦争は治まったのです。

 女の子はそうして空の彼方、時の彼方まで王都で平和に暮らしました。


 女の子は永遠の春に今もいるのです。



***



 昼間の時よりも当然抑えられた声量。しかしより心に染みるような歌声に、俺も羽白も聞き入った。気が付けば物語は終わっており、短い詩はそれ以上に濃密な光景を脳裏に浮かばせた。

 ティッカさんが反応のない俺たちを見て不安げに見つめていた。


「ど、どうだったかしら」

「とても、よかったです。……すいません、少しぼーっとしてしまって。言葉が出ないほどよかったんです」


 羽白の言葉に安堵の息を漏らしたティッカさんが、俺の方を見て来た。


「右に同じく」

「もう、なによそれ」


 ティッカさんの言葉と、隣から送られる視線が厳しい。


「……感動しました」

「最初から素直に言いなさいよ」

「そうですよ倉見さん」


 息ぴったりね、君たち。


「あら、懐かしい詩ね」

「お母さん」


 ティッカさんの座る向こう側、別の部屋から出て来たのはティッカさんの母親だ。ティッカさんを産んだだけあって、綺麗な女性だ。突然来た俺たちに対して嫌な顔をせず、それどころか先ほどまで振る舞われていた豪勢な料理もティッカ母の手料理で、作った後は話の邪魔になるからと奥の部屋に引き込んでくれたのだ。

 陽だまりのように優し気なほほ笑みには心が癒される。

 ティッカ母はティッカさんの隣に座った。


「ごめんなさいね、邪魔だったかしら」

「いえ、そんな。……懐かしいとおっしゃっていましたが」

「今ライラの歌ったのは、旦那が残してくれたものなのよ」

「そう、お父さんの詩」


 ティッカさんの言葉には懐かしむという以上に、過去に対する思いが含まれていた。


「失礼ですが、お父様は」

「二年前に亡くなったわ。魔法を使わないで空を飛ぶ方法の実験をしている最中にね。なんでそんなことをしてたのかは分からないんだけど。体、弱かったのにね」


 同じバルドだったお父さんの残した詩。こんな状況でこう考えるのは無粋だが、さっきのティッカさんの表情を見ても、『涙の大釜』に思い入れがあるのは明白だ。そしてこれを司書としての視点から考えるのならば、『涙の大釜』という詩が、ライラ・ティッカを主人公とした物語において重要な要素だという可能性が高い。

 まあ、主人公に新しい出会いというイベントを引き起こしたのだ。物語が動き出すきっかけになってもおかしいない。この機会は是非とも手にしておきたい。

 羽白なら当然わかっているとは思うが。


「そう、ですか」

「ああ、いや、気にしないでよ。お父さんにはバルドになることを見せることもできたしさ。最後は笑って別れられたから」

「……それはよかったです」


 空気が肌にまとわりつくようだが、しかし嫌な感覚ではなかった。おそらくティッカさんは言葉通り、父親の死に対する後悔というものがないのだろう。死生観が特別俺たちと乖離しているというわけではなさそうだし、そういう風に思えるティッカさんは少し羨ましい。


「実はさ、頼みたいことっていうのが『涙の大釜』に関わることでね」


 ティッカさんは姿勢を改め、俺たちに向けて真剣な眼差しで続ける。


「『涙の大釜』について、一緒に調べて欲しいの」

「詳しくお願いできますか?」


 うん、とティッカさんは頷いた。


「バルドが語る詩はね、勝手に披露しちゃいけなくて、他のバルドにも認められたものでなくてはいけないの。神話や伝承はそれが本当かどうかというのはいいのよ。作られたものかもしれないから、比較的簡単に認められるの。でも問題は歴史。これは他のとは違って審査が厳しいの。語り継ぐものだから、間違ったものが伝わってはいけないのよ。もちろん認められても間違いだと発覚すれば認可は取り消されたり訂正されたりするわ」


 口伝しかない故に、そこには慎重さが求められるのか。


「それで私、『涙の大釜』を外では披露したことがないと言ったでしょう。しなかったんじゃなくて、しちゃいけないの」

「他のバルドに認められている詩ではないから、ですか。それに、話の流れからすると」


 ええ、とティッカさんが羽白の言葉を引き継ぐ。


「『涙の大釜』というのは、神話でも伝承でもなく、遥か昔にあったことなのよ」


 ティッカさんの言葉に、俺は驚かずにはいられなかった。さっき聞いたものを俺はおとぎ話のように思っていたからだ。もしかしたら歴史を語る時も物語チックな語り口だからかもしれないが、その可能性は低いと思う。正確性を求める歴史の詩において、それを損なうような語り方はしないだろうからだ。


「ですが、さっき聞いたかぎりだと、歴史というよりは伝承とかおとぎ話のように感じました」


 どうやら羽白も同じ疑問を抱いたらしい。


「ええ、そうね。私もそう思うわ」

「でしたらなぜ歴史だと。伝承ということにしてしまえば、外で披露することもできるかと思いますが」

「それは駄目よ」


 断固とした拒否だ。


「この詩を残したお父さんが言ったの。『涙の大釜』は決して伝承などではなく歴史だって。私はお父さんの意思を引き継いで、この詩を歴史として語りたいの」


 ライラ・ティッカが示した意思。それはおそらく物語を動かすものになるだろう。

 主人公というのは、望んでも望まなくても物語を動かす力がある。どんなに冴えなくても、落ちこぼれでも、せかいに主人公として定められたのならば、そいつは主人公なのだ。


「なるほど、わかりました。一つお伺いしてもいいですか?」

「ええ」

「なぜ、今日出会ったばかりの私たちに、こんな大切なことを話して、さらに調べるのを手伝ってほしいだなんてお願いを?」


 え、お前がなんかいろいろしてたんじゃないのか。凄い仲がよさそうだったじゃないか。

 戸惑う俺を置いて話は続く。


「そっちのさっきから興味なさそうな顔をしてるクラミ―よ」

「……俺ですか」

「私の変装を見破ったり、頭がよさそうだったから」

「それだけ?」

「それに、あなたたちと一緒なら楽しそうだから」

「はあ……なるほど?」


 いまいちぴんと来ない理由だが、そう言うならそうなのだろう。


「ふふ、ライラさん。その顔は興味ない顔じゃなくて、いつもの顔ですよ。少し無愛想なところがあるので、許してあげてください」

「え、そうなの。ごめんなさいクラミ―。あなたがそんな顔だなんてしらなくて」

「ああ、いえ、お気になさらず」


 本当に失礼だね君たち。

 しかし羽白のおかげで場の空気が一気に軽くなった気がする。


「私の頼み、引き受けてくれるかしら」

「具体的にはなにをするのですか?」

「旅をしようと思うわ。バルドは旅をして詩を蒐集することもあるから、それと一緒にね」

「いいですね、旅。とても楽しそうです」

「じゃあ」


 今度は羽白が頷く。


「是非、私たちにもお手伝いさせてください」

「ありがとうカサネ、クラミー!」


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