大学生の「わたし」のぬいぐるみ性風俗体験記

ぶらいあん

ウミウシの愛

「『卑猥』っていうのは要するに『他人の性』を指す表現じゃないですか。自分の世界に属さない、いわばその人にとって異質な性のあり方を『卑猥』と呼んでいるだけだと思いますよ」


 コメンテーターの男はいかにも自信ありげに言った。

 画面の端には『増加する”ヌイグルマー” ぬいぐるみ性愛者は卑猥か』という文字が見える。隣の席に座る別の女性が言った。


「たしかに、なにをもって『卑猥』とするかは人それぞれといいますか、個人の主観や価値観に左右されるものだとは思います。ですがその一方で、ぬいぐるみを性愛の対象にしていると公言する『ヌイグルマー』の若者が近年増加していて、これを好ましくないと感じる人の割合が多いというデータもあります。またネットでもたびたび議論が炎上しているそうです。このことについてはどうお考えでしょうか」


「放っといてやれって思いますね。もちろん卑猥と思うのは個人の自由ですよ? でもヌイグルマーの人たちがあなたやあなたの周りの人に具体的になにか悪いことしました? って話じゃないですか」


「なるほど。ではヌイグルマーの増加が世代間の対立や少子化の進展を助長するのではないかという意見については――」


 そこでわたしはテレビを消した。ソファがわりに座っていたベッドにリモコンを放る。ローテーブルや床に放るよりは音が立たなくていい。

 狭いワンルームに家具らしいものはそれくらいで、貧乏大学生の部屋らしく脱ぎ捨てた服やら教科書やらが散らばっている。


 他に目立つものといえば、ベッドの面積の大部分を占める大きなウミウシのぬいぐるみくらいだろう。

 名前はキューピー。全長100センチ。ウサギみたいな耳と白地に黒の水玉模様がかわいい。一昨年にホームセンターで一目惚れしてその日にお迎えした。以来ずっと一緒に暮らしている。もっとも、あまりにかわいすぎてテレビで話題になっていたような対象としては見られないけれど。


 その丸っこい頭を軽く撫でて、わたしはベッドから立ち上がった。いつもより少しだけ慎重に今日着ていく服を選ぶ。

 姿見の前に立つ。無地のシャツに地味なパンツ。昨夜もよく眠れなかったから顔に生気がないけれど、それも含めていつも通り。耳の下までの髪。小柄で痩せぎみ。『肉感的』や『性的』と表現できる身体的特徴は一切ない。どこをとっても中性的。

 だけど、いつもと違ってわたしの胸は緊張と好奇心と未知への恐怖とで高鳴っていた。部屋を出る前にキューピーをもう一度抱きしめて、心の中でささやく。


 ――大丈夫、大したことじゃないから。試しにちょっと別の子と遊んでみるだけだから。

 キミとは清い関係でいたいから、と心の中で言い訳を重ねた。自分でもなんの言い訳になっているのかわからなかったけれど。



 駅前の古い雑居ビル。三階に『ぬい・どりーみん♡』と書かれたいかにもなピンクの看板が見えた。赤裸々すぎてこっちが恥ずかしくなる。もっと目立たないようにすればいいのに。

 狭いエレベーターを出るとすぐに受付のカウンターが見えた。若いボーイさん(髪は長めだけどたぶん男性)に緊張しながら話しかける。


「あの、予約した水野ですけど」


 偽名だったけれど相手は特に気にせず、当店のご利用は初めてですかとか、初めに手の消毒とうがいをお願いしますとか事務的に言って、規約やシステムの説明を簡単にしてくれた。用意してきた料金を払うと、別のボーイさんが出てきて個室に案内される。


 ドアを開けるとすぐに、ネット予約の時に画像で見た相手に出迎えられた。

 ごく狭い部屋の隅に置かれたベッドに腰掛けてこちらを誘っているのは”ジェームズさん”という名前の大きなクマのぬいぐるみ。背はキューピーより少し高いくらいだけど、恰幅がよくて量感がすごい。短い腕も脚も太くて、毛むくじゃらで、『むくつけき大男』という印象だ。


 わたしは妙にどぎまぎしながら、受付で説明された通りに備え付けのシャワーを浴びた。

 それからバスローブを着てジェームズさんの隣に座ってみたものの、当然ながら相手はなにもしてこなかった。仕方なく前をはだけて彼の腰にまたがる。予想以上に恥ずかしい。

 そうしたらふと、店のホームページに載っていた言葉を思い出した。


「思いのままに愛し合ってください。当館の素晴らしいホストが、あなたを夢の世界に誘ってくれるでしょう」


 こんな感じかな、と試しに腰を揺すってみる。

 するとふいに、ブルル、となにかが下腹の下で動いた。思わず変な声が漏れる。どうやらジェームズさんの深い毛に覆われた股間の奥が機械的に振動しているらしい。

 初めのうちはくすぐったいだけだったけれど、高いお金を払ったんだから……と思ってしばらく耐えることにした。振動をより強く、より切実に感じられるように、体重をかけてお互いの腰を深く密着させる。


 5分くらい経った頃だろうか。いい加減に馬鹿馬鹿しく思えてきて、わたしは苦笑した――と思った。

 でも口から漏れたのは苦笑じゃなくて、耳慣れない奇妙なうめき声だった。


 ――あ、やばい。


 直感的にそう思った。いまの声、出そうと思ったものでも出ると予想できたものでもない。

 ぞわり、と背中が粟立った。呼吸が浅く荒くなる。熱い。全身が熱い。下腹の奥で身体の芯が燃えはじめている。


 振動はいつしか微細で速いものから大きくうねる波のようなものに変わっていた。マッサージチェアのモードが『もみほぐし』に切り替わった感じ。所詮は機械の動きのくせに、生々しくていやらしい。わたしは嫌悪感を覚えた。少なくともそう頭では思った。

 なのにわたしの腰は、離れるどころかどんどん相手の腰との密着を強めていた。わたし自身の意思に反して、より強い刺激を求めるように。浅ましく、淫らな蛇みたいにくねりさえしていた。


 ――これはダメだ。

 この感覚は、この身体の反応は、わたしの世界に属するものじゃない。

 これは――そう、卑猥だ。卑猥すぎる!


 わたしは霧消しかけていた意志の力をどうにか結集してジェームズさんを蹴飛ばした。

 急いで服を着て逃げるように部屋を出て壁にぶつかりながら狭い通路を全速力で駆け抜けて、受付でボーイさんにまだ時間残ってますがと言われたけど結構ですと返してエレベーターに飛び乗った。



 気がつくとわたしはアパートの玄関で息を荒げて立ち尽くしていた。心臓はバクバクと鳴り、汗だくの服は肌にまとわりつき、そしてとにかく暑い。

 脱いだシャツで顔と身体の汗を拭って「シャワー……」と無意識に呟く。

 そうだ、シャワーだ。わたしは部屋干ししていたバスタオルを取る。

 まずはシャワーで不快な汗とあの毛むくじゃらの体毛を洗い流そう。それから……。

 そこで思考が止まった。視線がある光景に釘付けになる。

 カーテンの隙間から差し込む夕暮れ時の陽光。

 その赤い光を背負ったキューピーが、どこか寂しげにこちらを見ていた。

 バスタオルが手から滑り落ちる。わたしはベッドに駆け寄って愛しのパートナーを抱きしめた。


 それからわたしはキューピーと愛し合った。生まれたままの姿になって激しく求め合った。ジェームズさんとしたことよりも断然すごいことを、他人には決して言えないようなことをたくさんした。思いつく限りのありとあらゆる愛の技法を試し、時間も喉の渇きも忘れて行為に耽った。


 ――これだ。


 息を弾ませながらそう確信した。この感覚、この身体の反応。初めて感じる、けれどずっと前からこれを求めていたんだという感じ。なくしていたパズルのピースがカーペットの裏から見つかって、長年夢見ていた一枚のきれいな絵が完成したみたいな、そんな感じの幸せな達成感。

 これは純愛だ。断じて卑猥なんかじゃない。



 誰かの話し声でまどろみから目を開けた。いつの間にかテレビが点いている。不朽の名作とされるハリウッド製のラブ・ロマンス映画。非の打ち所のない美男美女が感動的なキスシーンを演じていた。

 わたしは肩の下にあったリモコンでテレビを消した。それから隣で寝ていたキューピーを抱きしめ、その唇にキスをした。

 ……唇? ウミウシに唇ってあったっけ?

 まぁどっちだっていい。キューピーの性別が雄か雌かと同じくらい些細な問題だ。溶け合ってしまえれば性別なんて関係ない。わたしの意識も甘い眠りに混ざって溶けていった。

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