第4話 莉々との別れ

「ファイアボール!!」


 莉々りりが叫ぶと同時に、上空に巨大な火の玉が現れた。


 ――なんか、デカくね!?


 昔よくトラックで運ばれるのを見た乾草の塊(ロールベールというらしい)くらいの大きさの火球が、縦に横に激しく回転しながら俺に襲い掛かってきた。


「うわあああああああ!!」


 咄嗟に避けた俺は、よろめいて後ろに転んだ。運動なんざろくにしないから、体幹なんてあったもんじゃねえ。


「アイスニードル! ウィンドブレイク! リーフカッター!」


 カタログ片手に、莉々は立て続けに呪文を唱えた。

 ほぼ名前通りの超常現象が、次々に俺を襲う。


「ひいいいい……っ」


 俺は雲の床を、無様に這いつくばって逃げた。

 莉々の攻撃は止まらない。


 やっぱり、怒ってるんじゃないか!


「黒きいかずち!!」


 なんでそこは日本語なんだ!?


 落下してきた巨大なチョコの塊を避けたとき、俺の体力は限界を迎えた。

 夢の中だというのに、なんつう疲労感だ。


 小さな声でなにかの呪文を唱えるのを最後に、莉々はカタログを捨てた。

 そして、へたり込んでる俺を押し倒すみたいにして、腹に圧し掛かってくる。


 小さな白い両手が、汗でべたつく俺の首筋に掛けられた。


「だめだよ、優くん。逃げたら一緒にいられないよ?」


 すごい力だった。

 この小さな身体のどこに、そんなパワーがあるのかわからない。


 もしかして、最後に唱えた呪文。あれのせいか。

 身体強化系魔法ってヤツ?


「お姉さん、さっき言ってたよね。優くんは死んでないから元の場所に戻るって」


 莉々が捨てたカタログを回収したらしいカミサマが、はっと口を押さえた。


 いや、そんなことしてないで助けてくれ……。


「莉々さん、あなたまさか」


「ここで優くんが死ぬのは、予定外でしょ。だったら転生するよね? 莉々と一緒に行けるよね?」


「がっ……っ」


 苦しい。

 意識が朦朧とする。


 莉々が笑う。


 ……もうダメだ。

 

 カミサマがカタログを開き、なにか叫ぶのが見えた。




 ◇◇◇




「山田ァ。ホンット使えないねアンタ。ドリンクの補充にどんだけ時間かけてんの?」


「はあ。スンマセン」


 あの事故から半年。

 俺は近所のコンビニで、バイトを始めた。


 運転手が泥酔していたために、俺が莉々を引っ張り込んだという事実を知る者はいなかったが、“事実上、美少女を盾にして助かった”アラフォーニートへの風当たりは強かった。


 少しでも助かった命の価値を上げるべく、ババアが勝手にバイトを見つけて来たのだ。

 なんでも、ここの店長とは昔からの知り合いだそうで……要はコネだな。


「もういいからトイレ掃除してきてよ」


 舌打ちしながら、店長の娘が顎で店の奥を指し示す。


「ったく、いくら付き合いがあるからって、よりによってこんな使えないオッサン入れるなんて……」


 聞こえてる。聞こえてるから。


 俺はダンゴムシみたいに背中を丸め、その引き攣った高い声から逃れるようにしてトイレへ向かった。


 床に膝をつき、棒のついたタワシを使って便器を擦りながら、俺はため息をつく。


 後悔していた。


 莉々を巻き込んだことに対してじゃない。


 あの時、大人しく車に轢かれて死ななかったことを、だ。


 俺が目を覚ましたことを喜ぶヤツなんて、ひとりもいなかった。

 それどころか、毎日ゴミを見るような視線を向けられて……。

 

 これなら、死んだ方がましだった。


 でも、もし莉々が生きていたら、どうなっていた?


 あの場所にいたのが、莉々じゃなかったら。

 そんで、俺が奇跡的に一命を取り留めたのを知ったら。


 莉々だけは、喜んでくれたんじゃねえか?


「……莉々」


 寂しさと情けなさで涙が零れてくる。

 生きてたって、莉々に会えないんじゃ仕方ないじゃねえか。


 アイツの言う通りだった。

 俺には、莉々しかいなかったんだ。


「うう……莉々」


 ガチャ。


 背後でドアノブの回る音がした。


 しまった。

 鍵を掛けるのを忘れていた。


 でも、表に清掃中の立て看板出してたよな?


「あの、スンマセン。今、掃除中なんで」


 一旦タワシを置いて涙を拭ってから、ドアの方を振り返った。


 そこには、ドア枠に頭をぶつけそうなくらい大柄な男が立っていた。


 年齢は三十歳かそこらで、非常に彫りの深い日本人離れした顔立ちをしている。

 筋肉質な身体つきで、着ている黒いスーツの胸と袖の部分がはちきれんばかりだ。


「ユウクン」


 耳に心地よい重低音だった。

 洋画とかで、シブい系の俳優に声を当ててそうな感じの、思わず嫉妬するようなイイ声。


「やっぱり……優くんだ」


「は?」


 男の目から、小粒のダイヤみたいな涙がきらりと零れた。


「優くん、会いたかった!」


<つづく>

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