第20話 奇跡

「おい、、大丈夫か?」


 小西さんの声で目が醒めた僕は、慌てて飛び起きた。

僕はまた、古墳の管理事務所のソファーで横になっていたのだった。


「念のために様子を見に来たらあんさんがびっしょり濡れて倒れとったんや。ほら、ねこちゃんも随分心配しとったで」


みこも心配そうに見つめている。


 銀縁眼鏡のレンズにヒビが入っていた。僕は、眼鏡を外すとこの不思議な眼鏡をじっと見つめていた。

萌は、萌はどうなったんだろう?天国に行けたのか?もしくは、失敗したのか?


「あ、ありがとうございます。もう大丈夫です。それより、萌、萌は天国に行けたんでしょうか?」


 僕はすがるように聞いた。

みこが僕の胸に飛び込んでくる。そして、僕の顔をペロペロと舐め始めた。


「あのな、きっと上手く行ったと俺は思う。あんさんが倒れていた場所へ行った時、凄く清々しい雰囲気を感じたんや。正直、初めての体験やったな。あんな気持ちは……。だからな、絶対にその萌ちゃんという子は天国に行けたと思うで。あんさんは、ある意味、俺の無念を晴らしてくれたんや。ほんま感謝してる。おおきにな」


 小西さんは僕に暖かいコーヒーを渡しながら確信に満ちた顔でうなずく。僕は、事務所の入り口に立ち、そして夏の陽射しを浴び、光り輝く古墳の樹木を見ながらそっと静かにつぶやいた。


「さよなら……。萌。そして、ありがとう」



 

 久しぶりに出勤した僕は、チーム全員の慌ただしさに一人取り残されていた。皆がどこか緊張した趣で自分の作品を最終チェックしている。そういう僕も昨夜は、徹夜でプレゼン用のデザインを描いたのだが、それは仕事というよりも自分の心を癒やすようなそんな気持ちでスケッチブックに絵筆を走らせたのだった。


 最近はデザイン制作にPCを使うことが多かったが、この作品だけはどうしても自分の手で描き上げたかった。白地のキャンパスに僕は少しずつ丁寧に思いを重ねていった。そして、漸く日の出前に完成した作品には、オレンジ色の光が射し込むリビングの椅子に眠る萌とその足下で萌を見上げているみこが描かれていた。


「次、神谷。今まで誰も合格になってないな。お前が最後やほんまに頼むで」


 悲壮感が漂う声を発す水木課長の前で、僕は一枚の絵を皆の前に掲げた。


「あかん。なんやこれは。おまえ……」


 その時、「待てっ」と声が響いた。その声は、役員の沢木だった。最初のプレゼンの際に冷たく皆の作品を審査し却下した人だ。僕は、じっと沢木を見つめている。


「この暖かさはなんや。この作品からは壮大な愛を感じるんや。お前これを見て何とも思わへんのか?よし、決まりや。これでいこう」


 僕は、この一枚に萌への思いを全て描き切ったと満足していた。そして、僕の思いそのものをこの絵から感じてくれたことが何よりも嬉しかった。


「ありがとうございます……」


 僕は涙でそれ以外の言葉を発することが出来なかった。



 それからはトントン拍子に事が運んだ。僕が描いた絵は最終コンペでも他社を圧倒し選ばれたのだ。そして、CDのジャケットになり、さらには、先週から梅田の大型ビジョンでも映し出されていた。来週からは、渋谷でも広告展開がスタートするらしい。


 だが、僕はと言えば、喪失感が日に日に増し、あれからずっと気分が冴えない。梅田の大型ビジョンに映し出される萌の姿を見るととても誇らしい気持ちになるものの、今は見る度に一層寂しい気持ちになっていくのだ。


 七尾先輩は、あの日以来、僕を避けているようだ。

先輩は僕が幽霊に恋をしたことにきっと気づいているのだろう。だから、今はそっとしてくれているのかもしれない。


「おい、神谷、CDサンプル上がってきたぞ。なんでも、この子は大阪の大学生みたいやな。期待の新人らしいわ」


 帰り際、水木課長からCDを二枚渡された。僕はそのジャケットを見つめふっとため息をつく。そしてCDをカバンの中にそっとしまい会社を後にした。


 平城駅に着いた僕は、ショップ柴田に入って行く。おばちゃんとは、萌が消えてから数回話をしたが、いつも差し障りない内容だった。きっと萌の事を話すと寂しくなるからとお互いが避けているのだろう。今日もレジで二言三言話をしただけだったが、僕はカバンから取り出したCDをおばちゃんに無言で渡す。おばちゃんは、「あっ」と短い声を出し、そのCDをずっと眺めている。僕もまた萌を思い出してしまい、家に向かって駆けだしていた。


 家に帰るとみこが玄関で出迎えてくれた。やはり、みこも萌がいなくなり毎日寂しいのだろう。前より甘えんぼうになっているようだ。


 みこを抱き上げリビングに入っていく。萌がいつも座っていた古い椅子に蛍光灯の光がそそぐ。

僕とみこは椅子に座りしばらく萌の事を考えていた。


 萌は今頃何をしているのだろう?天国でお父さんとお母さんと仲良く過ごしているだろうか?そして、僕らのことを見守ってくれているだろうか……。



 二階に上がりCDデッキの電源を入れた僕は、サンプルのCDをカバンから取り出し、封を解いた。真新しい印刷の香りがするインデックスを取り出し、CDをデッキに射し込む。ボリュームを上げると一曲目が流れだした。ゆっくりとしたストロークのアコースティックギターが味気ない部屋に暖かい空気を作り上げていく。そして歌が始まった時、みこが急に階段を駆け下りていった。


「みこ、どうしたんだよ!」


 僕は、みこを追って一階へ降りていく。

そこで、僕は固唾をのんだまま固まっていた。


そう、そこには、もう二度と会えないと思っていた萌があの椅子に座っていたのだ。


「ど、どうして?な、なんで?萌……、えっ?やはり天国に行けなかったのか?」

「ばか!わかるやろ?だってもう太陽は沈んでるやん。しかも、尊人君、銀縁眼鏡してないし!それに、ほら、こうしてみこも抱っこできてるやんか!」


みこは凄く嬉しそうに萌の顔を舐めている。


「こら、みこ〜。こそばいよ〜。やめて〜。きやぁ〜」


 思わず立ち上がり、バランスを崩した萌を僕はとっさに受け止めた。

萌は恥ずかしそうに僕の胸に顔を埋めてくる。


「萌は、あの日、コップの水を飲んだ後、光を感じる方向へ凄いスピードで飛んでいった。それは、果てしなく遠い距離やったし、本当に心細かった。だけど目を閉じたまま自分が信じる方向へただひたすら飛んで行った。そして、もう何日も過ぎたような、これからどうすればいいんだろうとすごく不安な気持ちが芽生え始めた時、尊人くんが萌を呼ぶ声が聞こえたんよ。

だから萌は、「尊人君!!」と叫んで思い切って目を開けてみた。すると、萌は病院のベットで横になっていた。あの事故で、お父ちゃんは亡くなって、本当は萌も翌朝死ぬことになってたはずなんやけど、萌は目が覚めた。そう、奇跡的に助かったんや。尊人君のおかげで暗闇に行かずに済んだんよ。そう、尊人くんがあの日、姫の呪いを解いたことで、萌の過去が変わったんやと思う……」


 僕は、力を入れて萌を抱きしめていた。

生身の萌は想像以上に細くそして、とても暖かくなんだかとても良い香りがした。


「リハビリを頑張って、大学に復学して、好きだった歌のオーディションで運良く優勝して、デビューの道が決まったんやわ。そして、ファーストアルバムの楽曲の録音が全部終わったその夜にCDジャケットのデザインはこれだよって見せてもらった。その瞬間、私はこの家での出来事をゆっくりとゆっくりと思い出していったんよ。そう、尊人君とのかけがえのない時間を……。」


二人は暖かい涙に包まれている。


「なぁ、もう一度言って。あの時何度も言ってくれた言葉を……」


僕は、さらに力を込めて抱きしめながら萌に語りかける。


「萌、僕は萌が好きだよ。ずっと一緒にいよう」


萌は、涙を流していた。


「うん。ずっと一緒だよね。ほんまにほんま、絶対やで」


 萌が顔を上げる。僕は萌の頬を両手で触る。そして、萌の唇に自分の唇を重ねた。

みこは僕らの周りを走っている。


 もしかしたら、本当に姫の呪いのおかげで萌はこうしてこの世に戻って来れたのかもしれない。


 僕らはこれからも、お互いのぬくもりを感じながらいつまでも一緒に過ごしていけるだろう。幽霊に恋をした僕は、この夏、本当の恋を手に入れたのだ。




「なぁ、もう朝やで。早く起きてー!」


萌がまだ半分眠っている僕の顔をつまみながら話しかける。


「うん?眠いよまだ」

「もう!ほら、六時やで。遅刻ちゃう?」

「もう少しだけ……」

「あっ、そう!?じゃあ萌特製のパンケーキは食べへんということやねんね」

「食べます!!」


 僕は一気に飛び起きるとパジャマを脱ぎ捨てた。

萌はそれを見て笑ってる。

なんて可愛いんだろう。僕は思わず見とれてしまう。


「今日は音楽事務所の担当者と私とでな、ジャケットのデザインを考えてくれた尊人君の会社に行って挨拶する予定なんやわ。だからご飯食べたら一緒に行こうな」


 萌は僕の頬にキスをして台所に向かう。

朝ごはんを準備した後、そして、いつもやっていたようにコップで水を飲むのだろうか。


僕らはこうしてこの平城の小さな一軒家でいつまでも幸せに過ごしていくんだ。


 今日は朝からとても良い天気だ。

夏の陽射しと蝉の声、そしてそよ風で揺れる樹木の音、全てが僕らを祝福しているかのようだ。



「会社で会っても尊人くんとか言っちゃ駄目だぞ」

「え〜、あっそう。やっぱりあの先輩がいるから気にしてるんやな?」

「ばか、違うってば。僕が好きなのは……」

「ん?好きなのは?」

「え、好きなのは・・・・、柴田のおばちゃん!」


 ふざけていうと萌はすねたふりをして走り出した。

僕はそんな萌を後ろから追いかけそして手を握る。


 今日もいつもと同じように八両編成の電車がゆっくりとホームに滑り込んできた。



終わり

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僕は恋をしてしまった。 かずみやゆうき @kachiyu5555

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