第25話


今年も既に秋となった。農村の人々は忙しそうに作物を収穫し、冬に向け準備をしだす。しかし、収穫されるであろう多くの作物は、農民たちを肥らせることなく、多くの税として兵たちの胃袋に入ることとなるだろう。


ふと、ユレンは故郷を思い出す。あの貧しくも楽しい場所を。今年の収穫は上手くいっただろうか、忙しく働いているのだろか。目に見えない妄想が毎日のように頭に思い浮かぶ。


「はっ……はっ……」


走っていたユレンは酸素が足りないのか、そんなことを考えてしまっていた。とっくの前に息は切れ、足を止めろと体は脳へ訴えかける。汗は滝のように流れ零れるが、自分の額を拭うことさへ億劫に感じていた。


どうして走っているのか、なぜこんな苦しい思いをしているのか。何も考えずに走っていたら、忘れそうになる。


「はっ……はっ……」


太陽が雲に隠れることはなく、その日差しは肌を焼こうと弱まることを知らない。口の中は既に乾ききっており、早く早くと潤いを求める。このまま地面に倒れることができたら、どれだけ楽だろうか。ユレンの限界はもうすぐそこまで来ていた。


「――――――そこまでぇぇぇぇ!!走るのやめえぇぇぇぇ!!」


もう意識が飛んでしまう。ユレンがそう思ったその瞬間、どこからか野太い叫びが聞こえてきた。意識が朦朧とする中、ユレンはその言葉を頭の中で何度も何度も反復する。


「お、終わり、か……」


ゆっくりと言葉を理解し、ユレンはその歩みを少しずつ緩めていった。そして、しばらく歩いた後、足が完全に動かなくなったと思うとその場に仰向けに倒れ込んだ。身体中からは液という液が流れ、ユレンの体を流れる血液すらも流れ出しそうな勢いだ。心臓はさらなる酸素を要求し、その鼓動、呼吸の勢いを弱めることは無い。体が、肺が、心臓が、生きるために活力を求めた。


「かはぁっ……はぁっ……!もう、動きたく……ない」


息を必死に整えようと深呼吸するも、体は簡単にはいうことを聞かない。指先すら動かしたくない、いや動かすことは出来ないとさえユレンは思った。もう動くことはせずとも運ばれていくだろう、そう考えていると倒れていたユレンの顔に影がかかる。


「お疲れ様です、お水いりますか?」


「水!ください!」


声をかけられるとユレンは、疲れを忘れたかのように勢いよく起き上がり、女性の手に握られた木のコップに釘付けになる。動くことは出来ないと思っていたのが嘘のように、ユレンは水を求めた。


「沢山ありますからゆっくり落ち着いて飲んでください。もう少しで回復魔道士が来ますからね」


ユレンは水を受け取ると、喉を鳴らしながら勢いよく呷る。僅かに口から零れ落ちながらも、その冷たく冷やされた水はユレンの体を冷やし、爽快感と潤いをユレンに与えた。これほどまでに美味しいと思った水はないと、ユレンは思った。


いくつかコップを受け取り、飲むだけではなく頭から水をかけ涼んだりなどしていると、見覚えのある人物が近づいてくるのが遠目で見えた。


「お疲れ様ですユレン君。今、疲労回復の魔法をかけますからね」


「ありがとうございます、ミアさん」


ユレンの元へ近づいてきたミアは、そばに屈むとユレンの体に両手を近づけ魔法を発動させた。薄緑色をした光はユレンの体を優しく包み込み、体の芯から疲労をとり払おうとする。


「この回復魔法はどうゆう効果なんですか?」


「これは疲労回復魔法疲労治癒スタミナヒールね。体力回復や疲労軽減効果を与えるのよ」


「それは……すごい効果ですね、これがあればミアさんは訓練も疲れずに済みそうで羨ましいです」


「実はそうでもないのよ。多少は楽になるけど、これは一時的に疲れを取り除いてるだけなの。本当の効果としては疲れや体力の回復を促進する魔法だし、かけすぎると効果が薄くなるの。だから、まだまだできると思わないでゆっくり休んでね」


「そうなんですね……。でもあるのとないのとでは全然違います」


「ふふ、そうね。よし、これで魔法はおしまい。じゃあほかのとこ行くから、またね」


「ありがとうございました」


ユレンが礼を言うとミアも嬉しそうに微笑み、その場を後にする。痛みが無いようにゆっくりと立ち上がる。ユレンの体の疲れは嘘のように消えていた。辺りを見渡すと、回復魔法をかけられ終えたのか次第に起き上がる者も増えていた。


「回復魔法かけられたものから点呼確認をする、こちらに集合するように!!」


軽くストレッチをしていると、上官からの指示が出たのが聞こえた。休憩するのもつかの間、ユレンは待機していた軍人の元へ向かう。ここで点呼をした後、炊き出し、掃除、洗濯など役割に別れ仕事を行わなければならない。訓練兵は身の回りの事は自分たちだけでしなければいけず、そしてその作業を夕食までに終わらせなければならない。ユレンがする今日の仕事は軍馬の世話であり、食事を与えたり厩舎を掃除するといったことを行う。


訓練兵の集まりにユレンが近づくと、羊皮紙を持っている軍人を中心に点呼が始まっていた。


「――――他に誰かいないか?」


「ユレンです、ユレン!今来ました」


「ユレンだな、よし。ここにいる者たちは仕事に向かっていいぞ。炊き出しの奴らは急いで準備すること。夕食に遅れた場合は指導が待っているため遅れないように!」


「はっ!」


いつも通り指示を出されユレンたちも慣れたように聞き流す。訓練が始まって既に二週間弱、嫌でもこの環境には慣れてしまっていた。訓練は厳しいものが増え、実践形式が多くなり辛い思いを何度もしたが、手を抜くことをユレンはしなかった。


「――――以上で話は終わりだ、なにか質問は?」


「「「ありませんっ」」」


「よし、では解散!……あぁ、まだ来ていないものは叩き起こして連れていくため安心するように」


上官の言葉に静かな笑いが起きる。その様子に満足した上官はその場を離れ、未だ倒れ休んでいる訓練兵たちに近づいていった。


「まだ寝てるのか貴様らッ!!戦場で寝てる暇なんかないぞ!魔法をかけられたならさっさと立ち上がれ!ほらっほら!」


「は、はいっ、すみません!」


上官の言葉に地面に寝ていた者たちは飛び起き、急ぎ上官の元へ集まっていった。ユレンはその様子を見て口角を上げる。


「ユレン、笑うなんてひどいなぁ。しかしあいつら飛び起きて走れるくらい元気だな、もし遅れたら追加で走らせてやるか」


後ろからそう聞こえ振り返ろうとすると、ユレンの首に腕が回り、その背中に重い何かがのしかかる。その重さにたたらを踏み倒れそうになるも、両足に力を込め地面を踏みしめる。


「おい!やめろクシュオ、暑いし重いぞ!……うわ、それに汗だくだ!」


「るせー、俺は疲れたんだよ。このまま運んでくれ」


ガハハと笑いながらユレンに倒れかかる男。クシュオと呼ばれた男はユレンより一周りほど大きな体にくすんだ金髪が特徴の訓練兵だった。出身は南の都市で商人の三男坊らしいが、その豪快な性格にはあわなかったらしく家を出て志願した。


ユレンは首にかかったクシュオの腕を外そうとするも一向に離れない。それどころか更に体を密接させてきた。


「ははは、クシュオがまたユレンにちょっかいかけてるぜ」


「ユレン、回復魔法はいつ覚えるんだー。早く俺たちを癒してくれよ」


「まぁユレンにしてもらうより女の軍人さんにしてもらう方が嬉しいから頼むことはねーけどな」


クシュオとユレンのやり取りを見て、周りの兵たちも笑う。クシュオがユレンにちょっかいをかけるのは初めてではなく、訓練兵の間では少ない笑いの一つだった。


軍の訓練が始まって共に生活するようになってからは、ユレンを含め全員が打ち解け笑い合えるほどになっていた。毎日の訓練が辛く厳しいものであるからこそ、訓練兵の中では連帯感や団結が生まれ、より良い関係を築くことができたのだ。


ユレンが所属する修練棟では何より、クシュオの存在が大きかった。当時、訓練兵から避けられていたユレンだったが、クシュオだけはユレンに対しても変わらぬ態度で接してくれたのだ。それから周りもユレンに対して変に気にすることはなくなり、今ではユレンも訓練兵たちの良き戦友として認められ、厳しい日々を共に生活していた。


「いいから離れろよクシュオ!早く終わらせないとお前も走ることになるぞ!」


「おっとそうだったな。俺は物品の入れ込みだがユレンは?」


「軍馬の世話。ほらさっさといけ、お前の無駄な筋肉が役に立つチャンスだぞ」


「全く、お前は尊敬の念が足りないな。まぁ飯が食べれないのは困るしさっさと行くか、またなユレン」


クシュオはそう言うとユレンから腕を外し、同じ仕事の訓練兵たちに話しかけその場を離れていった。ユレンは開放された首を擦りながらクシュオの背中を睨む。なぜかクシュオはユレンに対してよく絡んできた。そんなクシュオの存在を、ユレンはありがたくも思う一方で厄介にも思っていた。


「ったくクシュオのやつ……危なく首が締まるとこだった」


「はは、災難だなユレン。まぁクシュオも悪気があるわけじゃないと思うんだ、大目に見てくれや」


ユレンの様子を見て訓練兵の一人が近づいてくる。その顔には笑みが浮かんでおり、ユレンは大きくため息をついた。


「なら変わってくれよ。全く、いい迷惑だ」


「それな勘弁。まぁんなことより厩舎に行こうぜ。さっさと終わらせて水でも浴びに行こう」


「それはいい。厩舎の仕事があるやつらは俺ら合わせて十五人だよな、それだけいればすぐに終わるな」


「ジミーが実家で馬を育ててたらしいからもっと早く終わらせることができるかもな。ま、とりあえず行こうぜ」


そう言われユレンは頷く。周りの訓練兵たちも次々に仕事に向かっていき、その場には誰もいなくなる。まだ日が沈む気配はないが、それもあっという間に過ぎるだろう。その日もユレンたち訓練兵は怒涛のような日々を生き抜いた。これから待ち受けるであろう日々も辛く厳しいものになる。しかし、周りを見れば一人ではない。支え合える仲間は常にそばに居るのだ。



――――――――――



夕日も闇に沈み、月の光だけが辺りを照らす夜。訓練兵たちは夕食を取った後、既に宿舎の中で眠りについていた。明かりはなく、宿舎の中からはイビキがいくつか聞こえるだけであった。外では虫の音が静かに響く。その音色は秋の夜に心地よい彩りを与えた。


儚くも必死に生きる全ての生物たちは、明日に向け今日を生きる。きっとそれは人も虫も変わらない。


そんな深い闇の中、一つの光が灯る。そこは軍の施設の一部屋であり、光の映った地面にはいくつか人影が見えた。軍の会議室であるその場所には、広く飾り気のない部屋であり、その真ん中には大きな円形のテーブルが置かれ、その周りには何人かが机を囲むように座っていた。机の上に広がったいくつもの羊皮紙を流し見しつつ、プカプカと煙を浮かべ葉巻を嗜んでいた。


「もうすぐ半月が経つが……訓練の経過はどうだランドン少佐」


ある老人が葉巻を片手に笑みを浮かべ、そう呟く。


「そうですね、ある程度の体力はついてきましたな。走る量も増えて極めて順調、と言えるでしょう。訓練官たちの印象も全体的に悪くはない、むしろ例年よりもいい方であります」


「ふむ……。どうやら今年は質がいいようだ、計画通り次の訓練へ移行してくれ」


「はっ、了解しました。次の訓練からは実践形式の突撃及び防御体型演習となります。なので木刀や訓練防具などの搬入を明日から始めたいと思います」


「それがいいだろう。しかしまぁ、ランドン少佐は事務もできて助かるな」


「恐縮です」


ランドンはそう言って初老の老人に頭を下げた。老人は満足気に頷くと、机の上に広がった羊皮紙をいくつか眺め始めた。羊皮紙には訓練兵たち一人一人の特徴や出身地、そして能力などこの二週間で集めた情報が載っていた。その中で、老人は一枚の羊皮紙を見たと思うと大きく目を見開いた。


「ほぉ、異能持ちか……。どうやら今回は大当たりを引いたようだ」


老人の手にある羊皮紙には大きく赤い判が押されていた。二十代の男であり名はハインと記してあった。


「本人の自覚は薄く、異能も完全に実践向きといったものではないですが久方ぶりですね」


「第三軍のアクス太尉以来か。可もなく不可もない異能だが、使いこなせれば大きな戦力となるのは間違いない」


老人の言葉に周りの軍人たちも深く頷く。英雄は、戦場でしか生まれない。この国は英雄を求めている、小国をまとめる力のある者、魔物を駆逐し人の領域を広げんとする者、人々を導き勝利を掴む者。この国には未だ英雄はいない。


「この者の修練棟は何番なのだ」


軍人の一人がランドンの方を向き質問する。ランドンは資料を広げながら口を開く。


「第二修練棟であります。第二修練棟はこの者を中心とした活気溢れる訓練兵達が多い印象です。訓練にも意欲的であり今後の訓練次第ではありますが成長が期待できる部隊かと」


「ふむ……。引き続きこの者には注目しておけ、多少手を出すことも構わん。他の修練棟はどんな様子だ」


「はっ、第一は冒険者やクランの者を中心とした部隊となっており、既に戦場に向かわせております。Bランク冒険者マガルを中心に中堅クラン複数、Cランク冒険者も多数在籍しております。部隊数は他と比べ少ないですが、実力は大きく上回っているでしょう」


「冒険者連合の依頼を受けた者たちか、今後戦況が変われば増えることもあろう。現場の兵たちと最低限の連携が取れれば問題ない、やり方はそちらに任せよう」


ランドンは老人の言葉に頷くと、控えていた書記に記録を頼んだ。


「了解しました。……志願兵に関しては第二は先程の通りで、第三に関しては……概ね並といったところです。多少荒々しい性格の者が目立ちますが、規定の範囲内であると考えます」


「今は大目に見ておけ。縛りすぎてやる気をなくしてしまわれたら困る。ただ、戦場に出てからも続くようであれば処置を考えよう。第四はどうだ」


「第四に関しましては第三とそこまで大きな差がある訳ではありませんが、クシュオという者を中心としてとても仲間意識が高い部隊となっております。今後そこを活かし訓練すれば、練度や連携に関しては他の部隊よりも高いものになると考えます」


軍人たちはクシュオに関して書かれた資料を読み息を吐く。


「商人の息子なだけあって交流を深めることは得意のようですな、兵たちと団結して訓練や仕事をする様子は他とはまた違って面白そうだ」


「ふむ……。ただ指揮官向きの人間ではないな。考えて行動しているというより、人柄、なのだろう」


「経験不足は課題だがそれは本軍が補えばよい。ある程度経験のあるものを分隊長と置き、新兵たちと組ませるのが吉と見るな」


時間が経つにつれ、周りの話し合いは少しずつ加速していく。軍人たちは今後この修練棟で訓練している兵たちをいくつかの部隊に分け戦場に向かわせなければならない。早い段階から兵士たちの特徴や人柄、能力を把握しそれを戦場で発揮させるようにしなければならないのだ。優秀な者、平凡な者、才能に乏しい者、全てを上手く使わなければいけないのが上官である彼らなのだ。


ふと、ある軍人は第四訓練の資料の中で、異色の経歴を持つ少年を見つけた。


「このユレンという者まだ成人になっていないにもかかわらず魔法・技能スキル持ちだと言うのは本当か?成人前でここまで使える者は久しぶりに見たな」


「異能持ちを抜けば……いや抜かなくても才覚に関してはこちらの方がすごいのではないか?才能に関して言えばこの経歴は異端だ」


その場にいる軍人たちはユレンの資料を見て驚く。魔法も技能スキルも実践レベルで使うことができ、志願する前は魔物を相手に狩りをするほどの実力者。単独での魔物との戦闘経験があり、少年となると優秀という言葉では足りない。


「ランドン、この者は確か……」


「この者は農民出身でありながら独学で魔法を習得し、幼い頃からその才覚を発揮していました。少将殿には報告していましたがこの者は今、私の直属の部下となっており直接指導しております」


老人はランドンの言葉を聞き、静かに頷くともう一度ユレンの資料を眺める。老人は何を考えているのかしばらくじっと資料を見ると、ゆっくりとランドンの方に顔を向け口を開く。


「……なるほど、お前は異能持ちよりこの少年を支持するのだな」


「ユレンはこの国にとって必要な者になると私は確信しております。リヴォニアの繁栄にきっと役立つでしょう」


ランドンはいつものような無表情な眼差しで老人を見つめる。無機質な目と目がぶつかり合い、その場に凍りついたような沈黙が訪れた。しかしそれも長くはなく、老人はにやりと口角を上げたかと思うと口を開いた。


「引き続きこの少年のことはランドンに一任しよう。ランドン少佐が薦めるんだ、どんな人物になるのか私は楽しみにしているよ」


「……はっ、了解いたしました。では、部隊編成については後ほど会議を開くため、それまで資料と人物を照らし合わせておいてください。次の議題としては兵站と補給について――――――」


会議は終わることなく夜更けまで続いた。そこにどんな思惑があるか、それはまだ誰もわからない。人々は勝利を渇望している。勝たなければ、何も残らない。


少しずつ、少しずつ戦争への日は近づいていた。残りの僅かな期間でどれほど成長できるのか、ユレン達はこれからも厳しい訓練を続け、来る大戦に備える。

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