幼馴染:スターダスト・ロマンス

コカ

幼馴染:スターダスト・ロマンス







 「……彦星が、織姫に会いに行くのかしら」


 空一面にぶちまけられた星のイルミネーションが、眼下に広がる町の灯りよりも爛々と輝いている。そんな夜、


 「……それとも織姫が会いに行くのかな」


 「さぁな」


 アイツからの気まぐれが、俺のスマホに到達したほんの十数分後、いつか夏の日に来たあの屋上に彼女と二人。あの時のように花火は上がってないけれど、俺は案山子のように突っ立ってこの満天の星空を見上げていた。

 いつもの俺なら、こんな時間に何のようだ。明日も朝から仕事なんだぞと、文句の一つや二つ吐き捨てるだろう。

 実際コイツの呼び出しは、こっちの都合なんてどこ吹く風。今日ばかりは面倒だなと思ったさ。

 珍しく早く帰れたもんだから、さっさと風呂に入って酒でも飲もうかという腹づもりだったし、その後に見たいテレビ番組もあったからな。


 とは思いながらも、さっそく夜の街に飛び出しているもんだから我ながら情けない。


 こんな俺に、そんな呼び出し無視して寝ちまえ。とは、皆まで言ってくれるなよ。

 まぁ、そうなんだけど、だからといって俺に拒否権がないのはもはや一種のお約束。

 それに、こんな夜更けにあの世間知らずめ、どうやら一人でうろついているみたいだからさ。あれでも見てくれだけはいいんだ。何かあっては夢見が悪い。放っておく訳にもいかないだろう。

 なんて、不平不満を垂れ流しながら渋々と自転車のペダルを踏みしめ、あのワガママ女に文句の三つ四つ、お見舞してやろうとは考えた。だが、


 ――その絶景はそんな気分を一掃してしまった。


 いやまいったな。

 これは見事としか良いようがない。雲ひとつないその見事な夜景に、思わず感嘆の声を上げてしまう。

 彼女はさも待ちくたびれたと言いたげに、腕を組んでひと睨み。

 職場ではクールな美人ともてはやされているようだが、ふたりの時は、昔と変わらない無邪気さのまま。

 そんなアイツの頭上では、光を乱反射させる氷の結晶ばりにキラキラと、星、星、そして星。俺の目を輝かせてくれている。

 きっと、どこかのプラネタリウムから逃げ出したに違いない。

 確かあれがベガで、向こうがアルタイル。いつか誰かに教えられた知識だが、その間を流れる天の川までしっかりと見えている。


 「……よくもまぁ、我慢できるわね」


 彼女はいつの間にか背を向け、手すりに身体を預け、ポツリ。


 「年に一回しか会えないだなんて」


 そんな月明かりに照らされたアイツの横顔は、遠く離れた彦星と織姫に向けたものか。どこか切なげで哀愁を感じさせた。――なんて、それは一瞬のことだったが。


 「天の川なんてピョンと飛び越えれば良いのに」


 屋上の床――冷たいコンクリの上に「よいしょ」と腰を下ろし、アイツはそう言い放つ。

 上を向いたまま『どうしてそうしないのかしら? 』なんて本気で頭をかしげるところは非常に彼女らしい。

 そんなアイツの隣に腰掛けて、さっき行きがけに買った炭酸飲料を手渡す。ついでに、


 「それは反則だろ」


 返答をよこしてみる。

 確か、彦星と織り姫はイチャイチャしすぎて怒られたのではなかっただろうか。それが原因で離ればなれ……だったような。

 と、なればさ、一応は罰を受けている二人だ、反省の意味も込めてそんな事はしないだろう。

 第一、あの広大な天の川を見てみろよ。目のくらむ距離に、呆れ果てるほどの星の海ときてる。あれを飛び越えるのは至難の業だぜ?

 そう言った俺の返答が面白くなかったのか、彼女は少しふくれっ面でいつものアヒル口。


 「アンタはホントに夢がないわ」


 ついっと俺の顔から目を逸らし、ゆっくりと色とりどりの宝石が光るあの夜空へと手をかざす。


 「ほら見なさい。私の手の中に納まる程度の距離じゃない」


 まるで宝石箱に手を入れたかのように、アイツの指と指の隙間から星の輝きが零れ落ちてきた。


 「吸い込まれそう」


 「……そうだな」


 それがあまりにも幻想的で、魅惑的に見えたからだろうか。思わずアイツと同じよう、自分の手のひらを空に向けていた。

 彼女はそのまま大きく広げた自分の手のひらを宇宙でもつかむようにグッと握りしめ、


 「私ならひとっ跳びよ? 」


 口の端をほんの少し、だが確実に持ち上げた。星空に突き出した俺の手を見上げたまま。


 「……でも、」


 彼女の手が不意に俺の手と重なる。少し小さなアイツの手のひら。そこから伝わる体温という名の温もりに、瞬間、不覚にもドキリと心臓が跳ねた。


 「アンタの方が遠くまで行けそうね」


 そう言って、アイツは今度こそはっきりと笑顔を見せる。

 反則だ。

 月や星の瞬く中、照らされたその顔は……反則だ。

 胸の鼓動を悟られまいと、必死に誤魔化そうと、何気ない会話と共に視線をまた自分の手のひらへと向ける。

 情けなく上ずった声を正常に保ちながら、


 「そ、それなら俺も、ひとっ飛びだな」


 我ながらキャラに合わないセリフを垂れ流してしまっていた。アイツはそんな俺へイタズラな笑みを向ける。


 「ん? 織姫のところまで? 」


 なんて、意地の悪い質問と共に。

 おい、俺がその手の質問に弱いことは重々ご存知だろう。まぁ、理解してやっていることだろうが。

 彼女は、その瞳をより一層小悪魔的に輝かせ、黙りこくった俺を追い詰めるかのようにニジリニジリ、身体を摺り寄せ問い詰めてくる。

 俺としてもやられっぱなしは性に合わない。しかし、体勢を立て直そうと足掻いてはみたものの、いつの間にか、俺の腕にはアイツの腕が巻きついて、立ち上がることさえ出来なかった。

 明後日の方を向いた俺の後頭部に、彼女の焼けるような視線をジリジリと感じながら、……あぁ、わかったよ降参だ。

 大きく溜息を一つ、アイツに聞こえる様、これ見よがしについてみせ、


 「ねぇ、誰のところまでひとっ跳びなの? 」


 彼女の問いかけにもう一度、頭上の夜天へと目を向けて、


 「 ――― のところまで」


 ひとり、呟いた。

 顔全体が火をつけられたかのように熱く、今だけは、コイツの相手はできそうにない。


 「え、なぁに? 肝心なところが聞こえなかったんだけど? 」


 もう一度、今度はしっかりと答えなさい。なんて、弾んだ声色に柔らかく瞳を細めたアイツ。

 そりゃそうだ、聞こえるようには言ってないからな。だけど、小さな頃のように耳を引っ張られようが、頬をつねられようが、――俺は言ったからな。


 「 ――― のところまで、だ」


 こんなこっ恥ずかしいセリフ、二度と言うまいと心の奥底に誓い、頭上に広がる夜天の空を仰ぐ。

 傍らで、イタズラが成功したチビっ子のように、アイツは笑い、


 「ふふ、また。また大事なところが聞こえないわよ? 」


 その言葉から逃れるように、そして、気恥ずかしさを誤魔化すように、仰ぎ見た空はやっぱり雄大で。

 おちゃらけたようにブーイングをかます彼女――どこか空元気を感じるアイツを隣に、あの空を流れる天の川に再度目を奪われた。


 ――彦星が、織姫に会いに行くのかしら?


 先刻聞いた、アイツの問いを思い出しながら。……ひとつ、天の川から流れた星が、きっかけだった。

 離れて消える光がどこかもの悲しくて、やるせなくて。多分、自分を重ねたのだろう。


 「……やっぱり、イヤだよな」


 「え? 」


 急な俺の言葉に、さすがの彼女も虚を衝かれ戸惑ったようだ。そんな呆けたアイツの顔を横目でのぞく。

 ここにきて、なんとなくだ。僅かに感じていたモヤモヤが、うっすらと形を帯びてきた。

 そもそもコイツは星に想いをはせるロマンチストではないし、それこそ彦星と織り姫に悪態をつくようなヤツだ。そんなヤツが、今日は最初からおかしかったんだ。

 だからなんとなく、コイツが急に俺を呼び出した理由がわかった気がして。


 ――俺は、アイツの頭に優しく手を乗せた。多分、とても申し訳ないような、それでいて困った顔をしているだろうね。


 「……転勤っていっても、ほんの一年だ」


 ふいに、彼女の顔が曇った。


 「おっと、湿っぽいのはナシだぞ」


 つい先日に、あれだけ散々、喚き散らしただろう。

 俺の転勤が決まったあの日、たまたまコイツと夜、飯を食う約束をしていて。

 確か、なにかのお祝いだったんだ。彼女はずっと前から楽しみにしてくれていたのに、蓋を開ければ大喧嘩。

 俺もさ、言い方が悪かったんだ。変に拗ねたような口ぶりで、きっと、コイツに止めて欲しかったんだ。行くなと言って欲しかったんだ。なのに、


 『あら、そう。……良かったじゃない』


 妙に物わかりの良いような台詞を吐くもんだから。今思い出しても、失敗したなと反省する。


 『まぁ、お前にとって、俺なんていてもいなくても一緒だよな。むしろ清々したろ、ようやく俺なんかとオサラバできて』


 クソダサい捨て台詞なんざ吐いちまった。

 そして、この一言で、一気に彼女に火がついた。ものすごいビンタと共に。


 ――おめでとう。こんな面倒な女とようやく離れることが出来るわよ。さぞ、清々したでしょうね。


 ――私は、ただの幼馴染だもの。ただ長い間隣にいただけのね。そんなマヌケが、とやかく言う権利なんてないもの。


 ――だから、だから私は、結局今までどおり、何も言えない自分が悔しい……。


 張り切って予約した高級レストランの前。

 あの時、久しぶりに見たアイツの涙は、……俺がずっと言えなかった気持ちを、全てキレイに吐き出させるには充分で。

 こんなことなら、もっと早く気持ちを伝えておけばと、後悔した。うぬぼれかも知れないけれど、彼女もきっと同じ理由で、今日こんな夜更けに俺を呼び出したのだろう。

 意地っ張りで臆病で、長い間遠回りしてきた分、少しでもたくさんの思い出を作りたくて、そして、少しでも長く二人でいたかったんだ。

 でも、今回の転勤は、別に誰かが俺たちに意地悪をしているわけではない。それはきっとコイツも社会人のひとりだから、ちゃんとわかっているはずだ。

 会社としては、俺に、いろいろな場所で勉強してもらいたい。そう言ってくれているのだ、――それは、目をかけてもらっているということだし。期待だってされている。

 確かに転勤先はとても遠いけど、それこそすぐに会いに行けるような場所じゃないけれど、それでもこれはチャンスなんだ、喜ばしいことじゃないか。


 「でもっ! 」


 彼女は一瞬声を荒げたが、何か言いたげに僅かに口を動かして、すぐに堪えるようにへの字に結んだ。

 その綺麗な瞳にはたくさんの星がゆらゆらと映り込んでいて、眩しくて、それでいて、雄弁にコイツの心情をまざまざと見せつけてきて、……俺の堅い決意は揺るぎそうになる。


 でもさ。


 それでも俺だって、男だから。カッコ良いところを見せたいんだ。

 今は、安月給しか取り柄のない俺だけどさ、この転勤で認められて、給料も上がって、余裕できたら。その時は、ちゃんと言うから。俺から、お前に言うから。だから。

 だから、……それ以上は言わないでおこう。


 『あの彦星だって、ずっと我慢してるんだぜ。それに……』


 たぶん、お互いに次へと進めなくなるから。


 『……織姫が、毎日泣いてばかりじゃ心配しちまう』


 なんて、今はそんなこと、俺の腕に顔を押しつけたまま、「……一年は、長いよ」動かなくなったアイツに向かって、言えるわけがないのだから。


 ……俺たちの頭上で、またひとつ。星が流れて消える。


 その哀れなほどの儚さに、ほんの少しだけ、涙が出そうになった。























 ……余談だけどさ。

 織姫が鼻水を垂らしながら号泣するのは、もう一年先の話。そして、彦星の懐が三ヶ月分吹っ飛ぶのも、また同じ一年後の未来の話。

 どちらも見事な天の川の下での、一年に一度の笑い話だ。忘れてくれ。






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